監修医師が明かす”BK朝ドラ”の「舞台裏とリアリティ」 | FRIDAYデジタル

監修医師が明かす”BK朝ドラ”の「舞台裏とリアリティ」

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『ちむどんどん』と『芋たこなんきん』の意外な共通点

SNSで日々「#ちむどんどん反省会」のタグ付けをしたツイートが盛り上がったNHK連続テレビ小説(以下「朝ドラ」)『ちむどんどん』。一方、BSプレミアムでの16年ぶりの再放送にもかかわらず、SNSで関連ワードが幾度もトレンド入りし、絶賛の声が続出した朝ドラ『芋たこなんきん』。

真逆にも見えるこの2作には、実は意外な共通点があった。それは、前者が「AK(NHK東京放送局)」、後者が「BK(NHK大阪放送局)」ながら、どちらも「医療(医事)監修」を「西谷医院」(大阪府)の西谷昌也院長が務めていること。

西谷先生はこの2作の他、『ちりとてちん』『だんだん』『ウェルかめ』『てっぱん』『カーネーション』『純と愛』『マッサン』など、数多くの「BK朝ドラ」で医療監修を手掛けて来た。

そもそもなぜ、朝ドラの医療監修を手掛けることになったのか。西谷先生にリモートでインタビューを行った。

「もともと関西ローカルのラジオで、病気の解説をする番組に大阪府医師会の先生方が協力していたんです。僕は、偉い先生のもとで、テーマを考えたり、原稿を書いたりする仕事に携わらせていただいていて、先生が急遽出られなくなったときのピンチヒッターとして出演することもありました。 

そんな中、『芋たこなんきん』の医療監修のお手伝いを頼まれて。モデルとなった田辺聖子先生のご主人は皮膚科の先生でしたが、ドラマでは田辺先生の生まれ育った大阪・福島区の商店街にあったような『昔の大阪の一般的な開業医』にしようということになったそうで。そんな中、『大阪の昔の開業医』のイメージを探す中、大阪府医師会の長老の先生が『駒川商店街にちょっと変わった夫婦がいるよ』と私ら夫婦を紹介してくれたそうで、NHKのディレクターさんが取材に来られたんです」

『芋たこなんきん』のモデルになった田辺聖子さんのお別れの会で、お別れの言葉を述べた国村隼さん(写真:共同通信)
『芋たこなんきん』のモデルになった田辺聖子さんのお別れの会で、お別れの言葉を述べた国村隼さん(写真:共同通信)

ところで、「昔の大阪の開業医」のイメージというと?

「東京と大阪では開業医のイメージがたぶん違うと思うのですが、大阪では昔、夕方6時や7時から診療して『夜だけちょっと子供の熱を診てくれ』というような相談に対応している医者が多数いたんです。 

昔の大阪のお医者さんは、言ってみればほぼ年中無休で、往診もすぐに行く感じでした。そのなごりで、大阪の開業医は現在でも朝9時から12時診療で、お昼は往診、夜は5時から8時診療というようなところが多く、自宅と診療所がくっついていましたね」

僕が子供の頃に知っていたお医者さんはドイツ語でカルテを書いてましたが、僕自身はドイツ語でのカルテ書きができなかったので、長老の先生方に書いていただきに行ったんです。長老の先生方に取材する中で、昔の包帯の巻き方や注射の仕方、聴診器の使い方、当時どんな病気が多かったのか、往診はどんな感じだったのかなどもいろいろ教えてもらいました」

朝ドラに“出演”もした医療監修者

撮影現場にもたびたび足を運んだそうで、國村隼の思い出をこう振り返る。

「國村さんは、役者さんの世界で言う『身体表現』、言葉でないところでの表現力が抜群ですね。電話をしながら泣きそうになって唇を震わすような表現は本当に見事でした」 

実は西谷先生自身、『芋たこなんきん』に“出演”もしている。

「ドラマの終盤で健次郎さんが入院するところで、監督さんから『大学病院の理学療法士の役をやってほしい』と言われて。僕自身、友人の理学療法士の先生に見習いに行って勉強しました。 

確か1月の撮影開始日、14日だったと思うんですが、スタジオの公開収録のようなときで、いろんな関係者の方や見学の方が来られていたんです。それで、見学の方たちに向けて、役者さんが紹介されるんですが、私は監督さんから『理学療法士役の方です』と紹介されました(笑)。 

監督さんには『事務的な言葉の中に温かみを込めてほしい』と言われたんですが、助監督さんからは『押してるんや。先生悪いけど、ワンテイクでお願いします』と。 

そんな難しいことを言われたので、たった一言のセリフなのに、頭が真っ白になってしまいましたよ(笑)。一応OKはいただきましたが、本当に恥ずかしくて、僕には役者は無理だと思いました(笑)」

と言いつつも、実は「帝塚山に住んでいるバカップルとか、アホな夫婦がテニスしているシーン」みたいなところで、BK製作のドラマの中にちょこちょこ登場しているというから、根っからのドラマ好きなのだ。

また、『マッサン』では、ヒロイン・エリー(シャーロット・ケイト・フォックス)の茶飲み友達で主治医の川上一恵(天海祐希)のアイディア出しもしている。

「マッサンは社長ですから、お友達に開業医がいても良いだろうと思い、『女医さんはどうか』と。実は日本人で最初に国家資格を持った開業医の女医さんは、荻野吟子さんといって、いろいろな映画やドラマになっていますが、北海道の方だったので、それがヒントになっています」 

色々な意味で話題になった『ちむどんどん』(NHK公式HPより)
色々な意味で話題になった『ちむどんどん』(NHK公式HPより)

『ちむどんどん』…「原因不明の発熱」の訳

ところで、数々のBK朝ドラに携わって来た西谷先生が、なぜAK朝ドラ『ちむどんどん』の医事監修を?

「『ちむどんどん』は沖縄返還のドラマを作りたいということで、だいぶ前にご相談いただいたんです。その中で作家の先生から『1人病弱な人を作りたい』というお話がありました。歌がうまいけど、しょっちゅう熱を出す人はどうかと聞かれ、東京にいる感染症の専門家の友人に相談し、彼と一緒にそういう病気の方を作ろうという話になりました。 

その役はストレートに『歌子』という名前になり、原因不明の発熱という描写になっていましたが、実際にはある特定の病気を設定していたんですよ。 

ただ、現在でも現実にその病気の方がおられるので、そうした患者さんを傷つけないよう、できたら病気の名前を表に出さないでいただけたらありがたいとお話ししました。撮影現場での医事指導は別の専門家がやられています」

時代や地域ごとに、当時どんな病気が多くあり、実際にどんな治療がされていたのかを調べ、ドラマにリアリティをもたらす「医療監修」。その仕事の秘訣を教えてもらった。

「僕の得意分野は、江戸末期からですが、特に戦前戦後の資料は多く集めています。 

朝ドラは非常に多くの方が観られる上、朝ドラでは戦争が描かれることが多く、まだ当時を覚えている方もたくさんご健在ですから。そういう意味で、長老医師たちへの取材の他に役に立つのが、戦後の映画なんです。 

1950年代、60年代の映画の中に出てくる医療シーンを観まくって、松葉杖や車椅子はどんな素材だったか、ナースの服装はどうだったかなどなど、ノートに書いて、Excelで時代ごとにまとめているんですよ」

  • 取材・文田幸和歌子

    1973年生まれ。出版社、広告制作会社勤務を経てフリーランスのライターに。週刊誌・月刊誌等で俳優などのインタビューを手掛けるほか、ドラマに関するコラムを様々な媒体で執筆中。主な著書に、『大切なことはみんな朝ドラが教えてくれた』(太田出版)、『KinKi Kids おわりなき道』『Hey! Say! JUMP 9つのトビラが開くとき』(ともにアールズ出版)など。

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