Z世代も元総理も…「知らんけど」で逃げ道を求める社会の空気感
叩かれるのが怖いから…菅元総理の「口癖」が全国区の言い回しに!?
「知らんけど」が流行っているらしい。
高校生を対象にした渋谷トレンドリサーチの調査で「今流行っている言葉」の第3位にランクインしたかと思えば、今年の「ユーキャン新語・流行語大賞」にもノミネートされた。
そんな「知らんけど」の陰で、政治家からニュースキャスター、アスリートにまで人知れず浸透している言い回しがある。それは「~というふうに思います」だ。

かつて、菅義偉元総理が記者会見などで繰り返した「そうした」「思っています」が鼻につく口癖として指摘されたが、元総理は「~というふうに思います」や「このように思います」も再三口にしていた。
ちなみに、故安倍晋三元総理がよく使ったのは「~なんだろうと思います」である。これもまた、鼻につく類の口振りかもしれない。
それはともかく「というふうに思います」、菅元総理が生みの親かどうかは知らんけど、いつの間にかキャスターやアスリートもコメントの中でこの言い回しを頻繁に使うようになっている。
『イラッとさせない話し方』(日経ビジネス人文庫)や『不適切な日本語』 (新潮新書)などの著書があるフリーアナウンサーの梶原しげるさんは、「~というふうに」を「曖昧な言い回し」と指摘する。
「たとえば、『これはいいことです』『これは悪いことです』と明快に述べると、自分の意見や考えにはっきりと色がついてしまいます。それを避けるために『というふうに思う』を使うようになったんでしょうか。言い回しを曖昧にしたほうが、原則的に反発が少ないですから。発言を後からなじられる立場にある人は特に、どうしても言葉が長く曖昧になりがちです。
その点、『知らんけど』は潔い。政治家が使ったらちょっと面白いですけど、間違いなく非難されるでしょうね」(梶原さん)
政治家には「知らんけど」で逃げるのではなく、「責任は負わないけど」とはっきり言ってもらいたい。
コミュニケーション講座などを主宰する公認心理師の川島達史さんはこう解説する。
「発言の信頼度は言葉の使い方によって変わってきます。『というふうに思います』を使うと、根拠が曖昧な情報だと暗に示すことになる。事実を正確に伝える立場にある政治家やキャスターが多用するのは、あまりよろしくないのでは。信頼度の点からも、私はこう考えますと、切れ味よく述べたほうがいい気がします」(川島さん)
そう、「思う」「考える」の前に「というふうに」を入れて逃げ道を作るようなことはせずに。

責任は一切持たないから、あとは「自己判断」で…
ところで、流行語大賞にもノミネートされた「知らんけど」は、関西人が責任逃れのために会話の最後に添える言葉だそうだが、今や関西以外でも使われている。
ただし一口に「責任回避」と言っても、「知らんけど」にはいくつかの意味合いが含まれているようだ。川島さんはこう分析する。
「自分の発言に責任を持たない、自分の発言を聞いて相手がどんな行動をとろうと責任は持てない、二重の意味を含んでいると考えられます。『とりあえず言ってみたけど、責任は一切持たないから自己判断でお願いします』ということを、『知らんけど』の一言で間接的に表現しているわけです。
発言者のストレスを緩和する効果もこの言葉にはあります。たとえば根拠の薄い話をし、相手が誤った解釈をして不利益を被った場合、自分が悪者になるんじゃないかと不安になる。その不安感を『知らんけど』というユーモアチックな言葉を使うことで解消しようとする意識が働いていると思います」(川島さん)
なるほど、会話の末尾に「知らんけど」をつける裏にはそんな心理が隠れていたのか。
「心理学に『ポライトネス理論』というものがあって、これは人間関係における丁寧さや礼儀正しさの度合いを考える理論です。関西圏の人は一般的にポライトネス度が低いので、ざっくばらんなやり取りを好む傾向があります。だから『知らんけど』を言葉遊びの感覚で面白がれると思うんです。
でも、言葉づかいのマナーを気にするポライトネス度が高い文化圏の人との会話で使うと、適当なことを言ういい加減な人間と受け取られる可能性があります。白黒をつけたがる曖昧さへの耐性が低い人もそうで、『知らんけど』の一言でそれまでの話が曖昧になるのでイラっとされるかもしれません」(川島さん)

えっ!? 会話していた5分間は何だったの…
11月16日に発表された「2022年ティーンが選ぶ流行ったコ
「知ったようなことを言っておいて、最後に『知らんけど』で逃げるとは無責任ですよね。こちらは真剣に聞いているのに、その一言で終わられたらバカにされたような気分になります。なんだ、知らないのかよ、会話していた5分間は何だったのかと。こんな言葉が一般化されるのは、苦々しい感じがしなくもないですね」(梶原さん)
そうは言うものの、梶原さんは「知らんけど」を必ずしも全面否定しているわけではなさそうだ。
「日本人は伝統的に、頭の良さを表に出すことを嫌いますよね。物知りだ、賢そうだと、人から思われたくないところがある。
難しい話を口にしたり気の利いた言葉を使ったりして、最後に『知らんけど』をつけるとどうでしょう。偉そうな感じが払拭されて、話し手と聞き手の立っている土俵が同じになるような気がします。『知らんけど』はバランスを取るのに便利な、なかなか優れた言葉かもしれません。
ただ、関東人の私には『知らんけど』という言い方自体が偉そうに聞こえて、やっぱりちょっとムッときますね(笑)」
責任回避に使えて、偉そうに見られることを回避する用途もある「知らんけど」。いずれにしても、逃げ道、予防線として便利な言葉であることは間違いなさそうだ。
「知らんけど」も「というふうに思う」も使うのは結局、責任逃れの心理が働くためと川島さんは指摘する。
「今はささいな発言がSNSで叩かれる時代なので、公の場面で断定的な言い方をするのは怖いという心理が働いて、曖昧な言葉を使いたい欲求が湧きやすいかもしれません。断定を避け、発言をぼかすことで、自分を防御しているところはあると思います」(川島さん)
自分の意見や考えをはっきり言いにくい――社会のそんな空気の中から自然発生した言い回しが「というふうに」であり「知らんけど」なのかもしれない、というふうに思います。知らんけど。
梶原しげる(かじわら・しげる)フリーアナウンサー、東京成徳大学応用心理学部客員教授。1950年、神奈川生まれ。早稲田大学法学部卒業後、文化放送にアナウンサーとして入社。 1992年からフリーとなり、テレビやラジオなど数々の番組に出演。49歳で東京成徳大学大学院心理学研究科に進学し、心理学修士号取得。『イラッとさせない話し方』(日経ビジネス人文庫)『無理なく楽しむ おつきあい』(第三文明社)など著書多数。
川島達史(かわしま・たつし)公認心理師、精神保健福祉士。1981年、鳥取県生まれ。目白大学大学院心理学研究科現代心理学専攻。2006年、株式会社ダイレクトコミュニケーションを設立。首都圏を中心にコミュニケーション講座を開講している。著書に『結局どうすればいい感じに雑談できるようになるんですか』(サンマーク出版)など。
取材・文:斉藤さゆり