重岡銀次朗インタビュー「Z世代最強ボクサー」が世界を驚かす
スペシャルインタビュー 日本ミニマム級前王者 1.6 IBF世界タイトルマッチがついに決定 高校5冠、プロ8戦8勝。
「コロナの影響で、なかなか世界戦を組んでやれなかった。正直、肩の荷が下りたという思いがあります……」
’18年に、ワタナベボクシングジムの渡辺均会長(72)が直接口説いて迎え入れた重岡銀次朗(23)の世界挑戦が決定した。1月6日、大阪でIBFミニマム級王者、ダニエル・バラダレス(28)と対戦する。8戦全勝6KOの銀次朗に対し、バラダレスの戦績は26勝(15KO)3敗1分け。
「技術はもちろん、銀次朗は気持ちが強い。試合時の集中力は目を見張るものがあります。小学4年でボクシングを始めて以来、リングで一瞬も気を抜いたことがない、一度も負けを知らないという点には、こちらも驚かされますよ。高校時代に5冠を達成した銀次朗を預かって5年弱。ようやく大舞台に送り出せます」
渡辺会長は「バラダレスは銀次朗の敵ではない」と言い切った。
「3敗もしている選手に銀次朗が負けるはずがありません。ただ世界的に見れば、ミニマムという最軽量クラスは注目度が低い。ですから、連続KO防衛などでアピールしていけたらと考えています。具志堅用高(67)の世界タイトル防衛記録『13』は、是非抜いてほしいですね」
バラダレスへの挑戦を正式に発表した11月11日、銀次朗は6ラウンドのスパーリングをこなした。右フックと左ボディアッパーが得意だが、「どのパンチでも相手を倒せるように」と、左ストレートにも磨きをかけている。練習の合間に見せる表情は、喜びに満ちていた。
’18年9月25日のプロデビューから今日までを振り返ると、コロナ禍でリングに上がれなかった19ヵ月間が最も苦しい時期だったと銀次朗は話した。
「’19年7月にWBOアジアパシフィック王者となって、その年末にKO防衛したのですが、’20年初頭から試合ができませんでした。決まりそうになっては流れてばかりで、心が折れそうになりましたよ」
試合ができず収入が激減した銀次朗は、都内の蕎麦屋でアルバイトを始めた。
「週に4回、山芋を擦ってとろろにしたり、蕎麦を茹でたり、洗い物をしたりしていました。自分は器用じゃないので、バイト中は必死。リングの上で慌てたことは一度もないですが、注文が殺到したときは焦りました(笑)。ただ、ボクシングのことを考えずに済み、リフレッシュできました。貴重な時間でした」
当時の店長は勤務態度を絶賛する。
「雑な仕事や手抜きは一切しない真面目な好青年で、愛されていました。’21年7月の試合は従業員5名で応援に行ったのですが、あまりの強さに唖然としました。あの重岡選手と、時給が40円あがって『うれしい~』とハシャいだ彼が同一人物とは、不思議な感じがします(笑)」
デビュー2戦目から銀次朗との二人三脚を続ける町田主計(ちから)トレーナーも言う。
「アルバイト先でボクシングとは無関係の方々と接しながら、何かを学んだのでしょう。最近は、他者への思いやりや、感謝の気持ちを口にする機会が増えましたね。今年の夏頃から自分のスパーリングの映像を撮って、客観視するようになりました。欲が出てきた感もあります」
ジムの先輩で、ずっと切磋琢磨してきた前WBAライトフライ級スーパー王者・京口紘人(28)と寺地拳四朗(30)の死闘にも刺激を受けた。
「魂のこもったファイト、試合後の周囲への気遣い――京口さん、カッコよかったです。拳四朗選手のジャブにも学びがありました。距離をいかに支配するか。ステップワークの大切さも再確認しました。バラダレスはファイターですが、奇麗な戦い方もするし、カウンターも合わせられる。打ち合いが好きそうですから、望むところです。百パーセント、KOで勝ちますよ。無敗のまま、パウンド・フォー・パウンド最強になります」
1月6日、日本ボクシング界に新たなヒーローが生まれそうだ。
『FRIDAY』2022年12月2・9日号
- 取材・文:林 壮一
- 鬼怒川 毅
ノンフィクション作家
1969年生まれ。ジュニアライト級でボクシングのプロテストに合格するも、左肘のケガで挫折。週刊誌記者を経て、ノンフィクションライターに。1996年に渡米し、アメリカの公立高校で教壇に立つなど教育者としても活動。2014年、東京大学大学院情報学環教育部修了。著書に『マイノリティーの拳』『アメリカ下層教育現場』『アメリカ問題児再生教室』(全て光文社電子書籍)『神様のリング』『世の中への扉 進め! サムライブルー』、『ほめて伸ばすコーチング』(全て講談社)などがある。ジェイ・ビー・シー(株)広報部所属