格闘家 寧仁太・アリ「天心選手のように強く、尊敬される存在に」
20歳でデビューして3年で「Krush」ウェルター級のベルトを奪取の逸材
「初めて追われる立場になって感じるプレッシャーは、ものすごかったです。でも、それを乗り越えられたことで、また一つ成長できたと思います」
あどけなさが残る笑顔を浮かべながら、8月末の初防衛戦を振り返るのは、K−1ファイターの寧仁太(あにんた)・アリ(23)だ。
ガーナ人の父と日本人の母を持ち、’19年8月にプロデビュー。抜群の攻撃力でKO勝利を積み重ね、今年2月にはK−1が主催する「Krush」でウェルター級王者に輝いた。最大の武器は優れた身体能力から繰り出す予測不能なキックだ。
「全身のバネを生かした、飛びヒザ蹴りやハイキックが得意です。ほかの選手が届かない距離からでも攻撃することができるので、相手が躱(かわ)せたと思っているところからでも当てられる。人と違うリーチを持っていることが最大の強みです」
アマチュア時代も含めると、18戦で敗戦は1度だけ。相手は数々のタイトルを獲得してきた怪物・野杁(のいり)正明(29)だ。
「あの衝撃は忘れられないです。去年の9月に行われた『K−1 WORLD GP〜よこはまつり〜』で、僕の初タイトルが懸かったトーナメントの準決勝でした。技術もすごかったですが、一番違いを感じたのはメンタル。野杁選手は『何がなんでもタイトルを奪う』という鬼気迫るものがあった。その覚悟が、僕にはなかったです。あの敗戦があったからこそ、今年2月のタイトル戦はがむしゃらになれた。転機となった一戦でした」
デビューからわずか3年足らずでタイトル奪取と、順調なキャリアを歩む寧仁太。しかし、格闘技に出会うまでは苦難の連続だったという。最初の挫折は小学校2年生の時。大腿骨の骨組織が壊死する「ペルテス病」を発症した。
「それまで学校ではやんちゃ坊主でしたが、病気のせいで内気な性格に変わりました。当時大好きだったサッカーもできなくなった。でもそれ以上に辛かったのは、退院後の学校生活でした。歩行補助の装具をクラスメイトにバカにされて、仲間外れにされてしまったんです。悔しくて、必死にリハビリに励んだことを覚えていますね」
努力の甲斐もあって無事に病気を克服。中学校ではサッカーに没頭し、やがてはプロを夢見るようになる。しかし、ここでも大きな挫折を経験する。
「高校には進学せず、一念発起して海外留学を決断。オランダ1部の『フェイエノールト』のセレクションを受けました。結果はダメでしたが、そこで父の母国のガーナの養成機関を紹介してもらいました。欧州各国へのパイプもある育成専門のクラブで、日の出とともに起きて晩まで練習。でも、結果は出なかった。次第に周囲のレベルにもついていけなくなり、19歳になる年に帰国を決めました」
それでも挑戦することはやめなかった。
「ガーナでは格闘技が国民的人気競技なんです。僕もよくメイウェザー(45)の試合を観ていました。だから、もし何か始めるなら格闘技だと決めていました。
サッカーに打ち込む中で、何度も『病気がなかったら……』という思いに駆られました。このまま逃げたら病気に負けたみたいだなって。それだけは嫌でした。だから絶対、アスリートになりたかった。蹴り技が得意なのは、サッカーのおかげだと思っています。そう思えば、挑戦してきたことは決して無駄じゃなかった。そう、ポジティブに考えています」
数々の壁を乗り越え、辿り着いた現在地。最後に今後の夢を聞くと、憧れの存在を明かしてくれた。
「那須川天心選手(24)です。同世代で、あのメイウェザーと戦っているのはすごい。僕も強く、尊敬される選手になりたいです。そうすれば、同じように病気で苦しむ子供たちの目標にもなれる。そのためにも、頑張っていきたいです」
子供たちの希望として輝き続けるために、歩みは止めない。
『FRIDAY』2022年12月2・9日号より
- PHOTO:小檜山毅彦