伝説のリズム芸人が振り返る「最盛期の殺人的スケジュール」
伝説のリズムネタ芸人がキッチンカー出店を決めた訳
中学時代の同級生と成人式で再会し、「やっぱ俺らおもろいよな」と身内ノリでコンビ結成、NSCに入学。そこまではよくある話だが、吉本史上最速でNGK単独ライブ、最速でDVD発売、そして最速でテレビで観なくなったコンビといえば…。
そう、「ラッスンゴレライ」で大ブレイクした8.6秒バズーカーだ。解散してはいないが現在コンビでの活動はなく、ボケ担当のはまやねんは今年3月からキッチンカーで軽食を販売。これがなかなかに当たり、マスコミでもよく取り上げられている。
「いやちょっと待ってお兄さん。そこお笑い頑張るんちゃいますの?」と往年のノリで思わず突っ込みたくなるブレ加減? 一体何がどうしてこうなったのか、ご本人に聞いてみた。

忙しすぎて記憶が飛んでるブレイク期。残った思いは「こういう世界なんやな」
2014年4月。嵐は突然やってきた。デビューしてすぐに実力が認められ、ネタ数も少ないまま舞台に立つようになった8.6秒。ネタはすぐに尽き、苦し紛れに昔作って放置していた「ラッスン」をやったらライブアンケートで人気ランキング第1位に。
「もう一生やらんやろなと思っていたので、“え、こんなんウケんねや”と」(はまやねん/以下同)
芸人を中心に話題が広がり、テレビ出演が決まる。その動画を誰かがYouTubeにアップし、ブレイクのきっかけとなった。
「1000万回再生とかいってましたね。当時はまだYouTubeもそんなに流行ってなかったんで、知られているという実感も全くなくて。Vineっていう6秒動画でも女子高生や子どもが真似して、勝手に広まった感じでした」
年末からはバイトもできないほど忙しくなり、1月のスケジュールを渡された時にはその過密さに絶句したという。
「睡眠時間は1〜2時間で、24時間通しで仕事の日もあって。デビュー1年目でどうしていいのかわかんないのに、台本を見る間もないまま番組に出て“ラッスンやってください”と言われて、途中で抜けて次の仕事に行ったり。忙しすぎてあの頃の記憶、マジ無いんですよ」
下積み時代がないから相談できる先輩もいない。ネタを考える時間もない。そんな時に、ネットで根も葉もない噂が広まった。
「ラッスンゴレライは原爆落とす時の号令、みたいな。全部偽造されて、すごいなって思いました。でも会社も噂は相手にせず静観しろと言うし、“こんなん広まらんやろ”と思って放置しちゃった。そしたら一瞬で広まって仕事が無くなり…。ネットで売れたけど、ネットで潰されました」
風評被害は確かに大きかったが、結局は実力不足だったと、はまやねんは振り返る。
「トークの仕方も何もわからない1年目で、急に大御所と絡んで緊張もするし、うまく喋れない状態が続きました。でも“面白くない”とネットでは叩かれるし、みたいな。“こういう厳しい世界なんやな”と痛感しましたね」

「人を楽しませたい」という思いから生まれたキッチンカー
ブームが去り、コロナ禍に入って8.6秒のふたりが決めたのは「お互いに好きなこと、やりたいことを1回やろか」というものだった。
「2年間で10年分働いたんで、焦りはなかったです。このご時世、ネタだけじゃないし、自由にやってみようという話になった」
その好きなことの一環に飲食への興味があった。友達が集まれる場所を作りたいという気持ちが昔からあり、そのスタートとして「はまやねんキッチンカー」を始めた。
イベント会場を中心に、全国どこにでも出向く。移動すればガソリン代もかかるし、許可取りも大変だ。なぜ拠点を決めて活動しないのだろうか。
「僕、営業に行くのがめっちゃ好きやったんですよ。世の中コロナで沈んでいたんで、微力ですけど地方に行って、何か盛り上げられることがあったらいいな、地域活性化みたいなことができたらいいなと思って」
今はキッチンカーの仕込み場所として、知人のお店を借りているが、いずれは仕込み場所も自身で構え、そこで立ち飲み形式の居酒屋を開きたいという夢もある。出費が多すぎて「小売りしんどい」と思いながらも頑張るはまやねんだが、最近ちょっとした悩みも生まれた。
「赤い上下のあの格好でサングラスもしてるんで、ニセモンやってめっちゃ言われる。本物やし、呼んでくれたらどこでも行きますので、よろしくお願いします(笑)」
お笑いの営業感覚で、今日も全国を飛び回るはまやねん。ブレブレかと思ったら、意外と目指すところは当時と一緒なのであった。

取材・文:井出千昌撮影:安部まゆみ