スペインから決勝ゴール 田中碧がドイツに持ち込んだ「秘密兵器」
サッカー日本代表は現地時間1日、ワールドカップ第3戦で強豪・スペイン代表と対戦。2-1で勝利を収め、グループE首位で決勝トーナメント進出を決めた。
前半は1-0でリードされた展開で折り返したが、後半から投入された堂安律が同3分にゴールを奪って同点に追いつくと、さらに同6分、MF田中碧が体ごと押し込むように逆転ゴールを奪った。
「自分は自分を信じていました。ずっと前から『自分はワールドカップで点をとる』ということをずっと自分の中でイメージしていた。実行できてよかったです。ドイツに勝って前回(コスタリカ戦)に負けた後、「(決勝トーナメントに)いけないんじゃないか、という雰囲気が漂っていたんですけど、自分たちは自分たちを信じていましたし、日本で朝4時という時間帯にたくさんの方が応援してくれた。しっかり勝てて良かった。前半1失点してしまったのはしょうがないのかなとは思いましたが、律(堂安)のシュートからはじまってしっかり逆転できたのは力があったからできたのかなと思います」
この日、決勝ゴールを奪った田中や、ゴールラインぎりぎりで田中にクロスボールをあげた三笘を支える「秘密兵器」があった。高地トレーニングスタジオ「ハイアルチ」だ。田中ら今回、森保ジャパンに選ばれた日本代表8選手だけでなくJリーガーも含めれば200名以上のプロサッカー選手がユーザーになっている。横浜市にあるセンター北店のオーナー名賀大輔氏と創業者の新田(しんでん)幸一氏がこう明かす。
「三笘選手や(ドイツ戦とスペイン戦に先発した)伊東選手は、ほかのプロサッカー選手に比べて、スプリントの最高速度が圧倒的に速いです。彼らの最高速度は世界でも勝負できるので、そのスピードを90分間出し続けられるようなトレーニングを行っています。
シーズンが始まる前のトレーニングでは、一気にフィジカルの能力を上げます。とはいえ、シーズンは10か月近くにわたりますので、ゆるやかにその効果は下がってきます。そのため、田中選手や三笘選手は、低酸素の環境をつくる機械をそれぞれドイツとイングランドに持ち込んで、シーズン中も『ハイアルチ』のトレーニングを行っています。シーズン中のトレーニングは効果をキープする働きがあります。ある意味『合法的なドーピング』といえるかもしれませんね」
「ハイアルチ」はどんな場所にあるのだろうか。それは高地トレーニングという言葉とはかけ離れた、一見普通のスポーツジムと変わらない駅近などの立地にある。しかし、トレーニングルーム内は標高2500m、富士山の5合目と同じ酸素濃度。高地に行くと赤血球が増えたりするため、心肺機能は上がる反面、激しい運動ができないため筋力が落ちる、といわれていた。そこで「筋力が落ちてしまうなら、地上のトレーニングと高地トレーニングを並行してやればいい」というコンセプトで、日本で初めて作られたのが「ハイアルチ」のスタジオだった。
クラブがオフとなったこの夏、日本に帰国したときに合同でトレーニングを行った田中と三笘は、トレーニング効果を一過性で終わらせないため、「ハイアルチ」と同じ環境を維持できるよう、専用マスクとエアロバイクをそれぞれのトレーニング拠点に持ち込んでいた、というわけだ。

田中や三笘に加え、心身ともに効果が表れたのが、日本が勝利をもぎ取ったドイツ戦とスペイン戦で先発した伊東純也だった。伊東が初めて訪れたのは、ベルギー1部リーグのゲンクでプレーしていた2021年の夏。オフで帰国していたタイミングだった。伊東の神奈川大学時代の同級生が「ハイアルチ」ユーザーで、彼らに勧められたという。
「伊東選手が最初にきたときは、前日に深酒をしていたみたいで、コンディションがあまりよくなかったんです(笑)。それこそ“友達に誘われたからきました”くらいの温度感だったのですが、次の日に伊東選手から『真剣にやりたいです』と連絡がきました。そこからベルギーに帰国するまで、できる限り時間をつくって『ハイアルチ』でトレーニングをしました」
「ハイアルチ」に通い始めた後に迎えたシーズンで伊東は覚醒する。2021年夏以降、日本代表に選ばれ続け、W杯アジア最終予選では4試合連続でゴールも決めて、代表に欠かせない選手になった。
2022年5月にゲンクでのシーズンを終え、夏にフランス1部リーグのスタッド・ランス移籍のタイミングで再び伊東は姿を現した。伊東は新田氏に「移籍したら絶対にレベルが上がるからオフにトレーニングをしたい」と覚悟を明かしていた。
「海外のクラブは、新シーズンの最初からトレーニングの強度が高く、フィジカルのレベルを分けたチーム編成をしているそうです。オフにコンディションを上げて、チームに合流することができれば、最初からフィジカルレベルの高いグループでトレーニングができます。自然とレギュラーポジションに近づけるというわけです」
新天地でレギュラーをつかみ、その先にある冬のW杯で活躍するため、伊東と新田氏はある狙いを持ってトレーニングに取り組んだという。
「試合中に消えてしまう、いわゆる『純也タイム』を無くそうという話をしました。人よりもスピードを出せるということは、人よりも電池の消費が速いということなので、疲れやすいんです。伊東選手と話したのは、90分間を通して、スプリントの回数を増やすということ。そのためには、人の倍の速度で疲労を回復させるということ。回復速度が速ければ、試合の後半になっても伊東選手の武器であるスピードを落とすことなく、スプリントの回数を増やせるわけです。なので、7秒以内のスプリントのレンジ(距離)をあげることにフォーカスしました。
たとえ身体能力が高いといわれている黒人の選手でも、回復速度を上げるにはトレーニングをするしかないのですが、意外にもサッカー界でそこのトレーニングにフォーカスできている人は少ないです。『走る』という部分だけでいえば、プロサッカー選手でも、中学の陸上選手ぐらいのレベルというのが実情です。裏を返せば、取り組んでいない『走る』トレーニングには、大きな伸びしろがあるということです。
心肺機能や解糖系といわれる耐乳酸の機能は、鍛えれば鍛えるほど変化は起きます。実際、男子マラソンの世界記録保持者のエリウド・キプチョゲ選手は、37歳で世界新を更新しています。伊東選手も、まだまだ伸びると思いますよ」
スタジオに通い始めてからこの1年で結果を残した伊東は何より、意識が変わった。
「1年前に会ったときは、ちょっとフワッとした雰囲気がありましたが、今年の夏に会ったときは、自信に溢れていました。正直、伊東選手はトレーニングに対してマジメでも、ストイックでもないんですけど、『サッカーに対して腹をくくっている』印象は誰よりも強いかもしれません」
自信とともに帰国した伊東は、2022年の夏のオフには5日間、新田氏の指導を受けた。「ハイアルチ」のトレーニングは1日30分で終わるが、通常のトレーニングの数倍の効果が期待できるという。
「トレーニング初日は1時間以上休まないと動けないくらい疲労していました。初日からトレーニングの強度を上げていくのですが、それでも5日目には、10分くらい休んで帰れるぐらい、回復が早くなる。あきらかにハードなトレーニングをしているのに、疲労が軽減されることが数値で明らかになりますし、伊東選手に限らず利用してくれる選手は『本当に変わった』と実感してくれています」
決勝ゴールをあげた田中はスペイン戦後、こう明かした。
「今日の試合もそうですけど誰が出ても本当に素晴らしい選手がたくさんいる。自分たちの力で勝ち取った決勝トーナメントですし、次の試合が新たな歴史のはじまり。そこにむかってまたしっかり準備したい」
史上初のベスト8入りという新たな歴史を作ることを信じて人目につかないところで格闘してきた男たちが今、カタールのピッチで輝きを放っている。

伊東のトレーニング風景(提供:新田氏)



取材:奥山典幸