“バスマニア”泉麻人監修「懐かしき路線バス」の旅

'60〜最新 都知事カラーの車両やボンネット型も!

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やわらかなフォルムの路線バスには、どこかノタルジックな雰囲気が漂う。全国で路線が拡大した’60年代から現在に至るまで、その車体やデザインには様々な変遷があった。マニアックかつ壮大なバスの世界へようこそ!

都営バス

’40年〜’50年代

終戦直後、進駐軍が使用していたトラックを払い下げて改良した2台連結の「親子バス」。

急激な人口増加に対応するため大型トレーラーバスも登場した。

’50年代にはエンジンは車体中央の床下に

’68年に採用されたホワイト地に水色のラインの入ったワンマンバス。

’81年採用の黄色地に赤いラインのデザインは派手過ぎると都民に不評だった。

30年以上にわたり都民に愛され続けている現車体

名古屋市営バス

’87年まではクリーム色と深緑色の塗り分けを施した塗装だった。

前方扉からの乗車スタイルを採用した’80年頃の車体。

’90年代に入ると、クリーム色地に赤いラインやパープル柄など様々なデザインが

大阪市営バス

’70年代に活躍したゼブラ柄。

同時期には白と緑のシンプルなデザインの車体もお目見え。

現在では天然ガスを使用した車高の低いノンステップ型が主流に

小田急バス

泉氏イチオシのボンネット型バス。

車体の犬のエンブレムには「常に前進、常に飛躍。躍動的なはつらつとしたバスでありたい」という意味が込められている。世田谷区や町田市など西東京を中心に運行し、現在では550台近い車両を所有。営業距離は約405kmになる

東急バス

渋谷駅から二子玉川に向かう(’59年撮影)。

目黒区や世田谷区などの東京の高級住宅街から、神奈川県川崎市などをカバー。営業距離は約816km、所有車両は920台ほど。車体は落ち着いたシルバーの地に、赤いラインの入ったカラーリングが特徴

国際興業バス

’90年代のワンステップバス。

北区や足立区などの東京都北部から、川口市や草加市など埼玉県南部を走る。営業距離は約2500kmに及び所有車両は900台になる。同社の事業はホテルや不動産開発など幅広い

西武バス

東京駅前を走る旧型車両(’64年撮影)。

前身は1932(昭和7)年創業の東浦自動車。親会社の西武鉄道がリゾート地開発にも積極的だったため、新宿や池袋から長野県軽井沢までの急行バスも運行していた。東京都北西部から埼玉県南部にかけて網羅している

京浜急行バス

’61年撮影。

品川区や大田区などの東京都南部から、横浜市や鎌倉市など神奈川県東部の広い地域を網羅。羽田地区、湘南地区など地域ごとの分社化が進められた。羽田空港から新宿などへのリムジンバスも運行する

京成バス

’67年に押上駅付近で撮影。

葛飾区や江戸川区などの東京都東部の下町から、市川市や浦安市などの千葉県西部をカバー。営業距離は約3157kmで車両は790台。車体には白地に鮮やかなブルーの塗装が施される

’60年代半ばに女性車掌が消減!
乗車方法や運転手の仕事が一変

「ボクが小学校低学年だった’60年代前半は、家の近くを都営や西武、国際興業など7つか8つの路線バスが走っていました。当時は東京も路線の距離が、今よりずっと長かったんです。よく乗っていた都バスは、新橋(港区)から鷺宮(中野区)まで走っていましたから。まだ電車の交通網がしっかり整備されておらず、こうした長距離路線バスは庶民の貴重な移動手段だったんですよ」

こう熱く語るのは、『大東京バス案内』『バスで田舎へ行く』などの著書があるコラムニストの泉麻人氏(62)だ。「幼稚園児の頃からオタク歴57年です」と語る、筋金入りの”バスマニア”である。路線バスが日本で産声をあげたのは1903(明治36)年。以来100年以上にわたり国民の足となり、高度経済成長期を迎えた’60年代に入ると全国的に路線が一気に拡大した。泉氏とともに、懐かしき路線バスの変遷を振り返る旅に出よう!

「’60年代の路線バスで見逃せないのが、車掌がいたことです。主に女性で回数券のハサミ入れや切符販売、次の停留所のアナウンスなどを担当。まだ手動だった扉の開閉もしていました。当時は都内でも農道のような狭い道を通らなければならなかったため、曲がり角など運転手の視界が悪い場所ではバスから降りて誘導もしていたんです。『お繰り合わせお願いします(席をつめてください)』『発車オーライ!』など、独特の言い回しも印象的でした。停留所に着くと入り口近くにある車掌席からスッと立ち上がり、アコーディオン型の扉を開けるキビキビした動作がカッコ良くてね。子ども心に憧れました」

路線バスの風物詩だった女性車掌は、’60年代半ばになると経費削減のため徐々に姿を消す。

「都バスは’65 年に、運転手だけの『ワンマン運行』を始めました。当時は運転手一人で運行するのが、バス業界のトレンドと受けとめられていた。フロントガラスにわざわざ『ワンマン』と書かれたプレートを掲げ、乗客にアピールしていたんです。車掌がいなくなったことで、いくつか大きな変化がありました。まず車内アナウンスが、女性から男性運転手になった。ボソボソとぶっきら棒に話す運転手が多く、『聞きとりづらいなぁ』と感じていました。降車ボタンがつくようになったのも、大きな変化です。また車掌がいる後方扉から乗るのではなく、都バスなどが運転手のいる前方扉からの乗車にし、運賃は料金箱に入れるスタイルにしたのもワンマン運行の影響でしょう」

’70年代には車体も大きく変わった。

「’60年代前半までは、ボンネット型が主流でした。ボクのお気に入りは、小田急バスに使われていたボンネットが長い、いすゞ・BXというタイプです。しかし都内のバス会社は次々とボンネット型を廃止し、床下最後部にエンジンを置くリアエンジン型を採用しました。唯一、小田急バスだけは’70年代に入っても使い続けていたんです。成城学園(世田谷区)から三鷹市の下本宿までの路線が、ボンネット型でした。車体につけられた銀色の犬のエンブレムも、カッコ良かったなぁ。成城の円谷プロダクションの撮影所で制作された『帰ってきたウルトラマン』(’71〜’72年)には、小田急のボンネット型バスが映っているんですよ」

カラーリングにも様々な変遷がある。ワンマン運行を開始した3年後に、都バスに使われ始めたのはホワイト地に水色のラインが入ったツートンカラー。当時の美濃部亮吉都知事が採用したため、「都知事カラー」とも呼ばれた。

「都バスのツートンカラーは、’81年まで採用されていました。同年末には事故防止のために視認性を高めるという目的で、黄色地に赤いラインの入った目立つデザインに変わったんです。ただ、このカラーリングは派手な配色が街の景観に合わないと、都民からは不評でした。残念ながら1年ぐらいしか使われなかった……。すぐに次のデザインが検討され、白と赤、緑と白、青と白、緑と黄色の4つの配色案で都民アンケートが実施されました。そうして選ばれたのが、緑と白を基調としたカラーリングです。以来30年以上にわたり、都バスは現在でもこのデザインを使い続けています」

泉氏は、路線バスの魅力は車体やデザインだけにとどまらないと訴える。

「停留所の名前を見ているだけでも面白い。例えば、東京の環状八号線と世田谷通りの交差点には『三本杉』という停留所があります。現在では地名から消えてしまった字(あざ)が停留所名として残っているんです。車窓からの風景も興味深い。最近は幹線道路だけを走るバスが増えていますが、東急バスなどには昔ながらの路線がけっこう残っています。渋谷から五反田(品川区)まで行く路線では、目黒不動尊前の狭い道を通り、閑静な住宅街を見られるので乗っているだけで楽しい気分になれますよ」

のんびり走る路線バスに乗って、ノスタルジックな雰囲気を味わうのもいいかもしれない。

写真:東京都 名古屋市 大阪市高速電気軌道 東急電鉄 東急バス 国際興業 京成バス 京浜急行バス 小田急バス 西武バス

 

Photo Gallary24

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