葛西敬之 国鉄を改革した男はいかにして「国商」になったか | FRIDAYデジタル

葛西敬之 国鉄を改革した男はいかにして「国商」になったか

JR東海元名誉会長 息のかかった官僚を次々と官邸に送り込み政権を裏から支配し、 安倍晋三の後見人とも呼ばれた財界の大物――

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’14年、ケネディ元駐日米大使(左端)とともにリニアに試乗した安倍元首相。リニア開通は葛西(右端)にとって見果てぬ夢だった
’14年、ケネディ元駐日米大使(左端)とともにリニアに試乗した安倍元首相。リニア開通は葛西(右端)にとって見果てぬ夢だった

〈今年5月、一人の男がこの世を去った。「最後のフィクサー」と呼ばれた、東海旅客鉄道(JR東海)元名誉会長の葛西敬之である。彼の足跡、政治家との交わりなど、そのすべてを描いた渾身のノンフィクション『国商 最後のフィクサー葛西敬之』が12月14日に刊行された。同書の著者である、ノンフィクション作家・森功氏がレポートする〉

この十数年、日本を動かしてきた人物は? 仮にそんなアンケート調査をすれば、憲政史上最長の政権を築いた元首相の安倍晋三が1位ではないだろうか。’06年9月26日からきっちり1年で終わった第1次政権から’12年12月26日、首相に返り咲いた。1次政権と’20年9月16日までの第2次政権を足し合わせると、首相在位は8年半におよぶ。おまけに安倍は事実上、女房役だった官房長官の菅義偉を後継指名した。安倍・菅のコンビで10年近く政権に居座り続けたことになる。

安倍と菅は自民党内の勢力を押さえ込み、霞が関の高級官僚たちを人事で震え上がらせてきた。過去の首相たちも自らの権力強化に力を注いできたが、安倍ほどの力を持てなかった。巷間(こうかん)言われてきた通り、その歪な官邸一強支配が長期政権の礎になってきたのは間違いない。

なぜ、安倍はこれほど長く強大な権力を維持できたのか。しかし実のところ、本当の理由は解明されていない。

その答えが、東海旅客鉄道(JR東海)元名誉会長の葛西敬之(よしゆき)の存在である。安倍晋三の財界応援団「四季の会」を主宰し、政権の後ろ盾になってきた。永田町や霞が関では知らない者がないほどの大物経営者である。

もっともJR東海の葛西といっても、一般には馴染みが薄いかもしれない。それは、政治家と異なり、マスコミの露出が少なかったからだろう。文字通り、葛西は安倍・菅政権における黒幕にほかならない。

かつて日本にはときの政権と通じ、政策に乗ってビジネスを展開してきた黒幕が数多く存在してきた。日頃はほとんど表舞台に立たない。が、時折その姿を現し、話題を呼ぶ。田中角栄の盟友と称された「国際興業」社主の小佐野賢治や中曽根康弘のブレーンだった「伊藤忠商事」元会長の瀬島龍三たちの顔が思い浮かぶ。彼らは政権のフィクサーとして、国の政策に大きくかかわり、時代を彩った。葛西もまた歴史に残るそんな黒幕の一人であり、もはやこの先現れない最後のフィクサーだといえるかもしれない。

「安倍さんを励まし続けた」

葛西敬之は紛れもなくこの十数年来、日本を動かしてきた。安倍・菅政権の裏側にいて、数多くの政策にかかわり、それが国策となったと言って差し支えあるまい。

国鉄官僚時代は「国鉄改革三人組」の一人として、’87年4月の国鉄分割民営化を成し遂げ、その後、JR東海の社長や会長を歴任してきた。葛西は中国嫌いの反共、保守・右翼思想の論客として知られる。靖国神社の「崇敬者総代」や「日本会議」の中央委員を務めてきた。安倍はそんな葛西の保守思想を仰ぎ見て頼り、葛西もそれに応えた。

「葛西さんは第1次安倍政権をつくろうと四季の会のメンバーを動かし、安倍さんは総理になりました。ところが、持病の潰瘍性大腸炎が悪化し、政権を投げ出してしまった。葛西さんはそこから安倍さんを励まし続けた。『ステロイドを服用しているので辛い』と安倍さんが四季の会に出てきてこぼしていたのを思い出します」

そう語る四季の会のメンバーもいる。安倍はアサコールという特効薬のおかげで病状が回復し、葛西とともに政権カムバックに向けて走り出す。それもまた、葛西の支えがあればこそだった。

そうして’12年12月、再び首相となった安倍は、第1次政権の轍を踏まないよう肝に銘じた。第2次安倍政権で目指したのが、徹底した官邸機能の強化とマスコミ対策である。安倍は信頼できる官僚たちを首相官邸に呼び寄せ、政策立案を託した。「総理の分身」となり、アベノミクスを取り仕切った政務秘書官の今井尚哉をはじめ、「官邸の守護神」と異名をとって官房副長官と内閣人事局長を兼務した元警察官僚の杉田和博、さらに杉田の後輩の北村滋は内閣情報官や国家安全保障局長に就いた。彼らは「官邸官僚」と政官界で恐れられる。

実はそんな官邸官僚たちは、葛西が大事にしてきたブレーンでもあった。つまり葛西は安倍のみならず官邸官僚たちも従え、おかげで安倍は一強の名をほしいままにし、安定政権を築けたのである。
葛西敬之は国を舞台にビジネスを展開した。ときの首相に国策を指南する「国商」といえる。

奇しくも今年、日本を動かしてきた葛西と安倍の二人が相次いで命を落とした。そこから岸田文雄政権の迷走が始まった。

(文中敬称略)

’92年、副社長時代の葛西。左は竹下登元首相。社長、会長と権力の階段を登るごとに政権への影響力も強めていった
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12月14日刊行の本書では、名経営者とされてきた葛西のフィクサーとしての実像が初めて明かされる
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『FRIDAY』2022年12月23日号より
  • 取材・文森 功

    ノンフィクション作家

  • PHOTOゲッティイメージス(1枚目) 堀田喬(2枚目)

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