プロ入り当初は速球130kmでノーコン…メッツ千賀「覚醒のキッカケとなった中日・大投手の言葉」 | FRIDAYデジタル

プロ入り当初は速球130kmでノーコン…メッツ千賀「覚醒のキッカケとなった中日・大投手の言葉」

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中日・吉見からプレゼントされたスパイクを持つソフトバンク時代の千賀。13年6月撮影
中日・吉見からプレゼントされたスパイクを持つソフトバンク時代の千賀。13年6月撮影

「『34』という番号をファンの方に選んでいただいて……。自分の番号にできるようにがんばります」

ソフトバンクから海外FA権を行使しメッツへ移籍した千賀滉大(29)は、12月20日(日本時間)にニューヨークで開かれた入団会見でこう語った。千賀の背番号「34」は、SNSによるファン投票で決定。メジャー史上最多の通算5714の三振を奪い、メッツの大先輩であるノーラン・ライアンがつけていた番号でもある。偉大な背番号が選ばれたことから、千賀への期待の高さがわかるだろう。

「メッツは来季、本気でワールドシリーズ制覇を狙っています。アストロズからサイ・ヤング賞投手のバーランダーを、カージナルスから通算89勝のキンタナを次々と獲得。千賀もエースのシャーザーらとともに、先発の柱として期待されています。

メジャーで成功する投手の条件は、ハイファストボール(高めの速い球)とロースプリット(低めに落ちる球)を持っていることです。野茂英雄や佐々木主浩、田中将大らは、この2種類の球があったからこそ活躍できました。千賀にも最速164kmの速球と、『お化けフォーク』と呼ばれる落ちる球があります」(スポーツ紙担当記者)

三軍メニューの半分も走れない

メッツの入団会見で背番号「34」を披露(画像:AP/アフロ)
メッツの入団会見で背番号「34」を披露(画像:AP/アフロ)

ケガさえしなければ、メジャーでも大活躍しそうな千賀。しかしプロ入り前は、ほとんど無名の投手だった。野球界では知名度の低い蒲郡高(愛知県)からソフトバンクへ入団したのは、10年の育成ドラフト4位である。

「ヒザを痛めていた影響もあり、プロ入り当初は三軍の練習でメニューの半分も走れない状態でした。ストレートの速さは130km台。同期入団で野手の柳田悠岐のほうが、速かったぐらいです。ストライクになるボールのほうが少ないくらいノーコンでした」(球団関係者)

球速を上げようと、千賀は倉野真次・三軍投手コーチ(当時)とマンツーマンでウェイトトレーニングに取り組む。体幹トレーニングにも挑戦し、体重は1年間で8kg増。球速は10km増した。

だが、コントロールの悪さは改善できない。覚醒のキッカケはなんだったのだろう。千賀は『FRIDAY』(13年7月5日号)のインタビューで、中日のエースで2度の最多勝を獲得した吉見一起との出会いが大きかったと話している。

〈吉見さんはキャッチボールをするときに、常にボクの右半身に投げていました。右打者のアウトコースを意識して投げているんです。『常にこちら側(右)に向かって投げていれば、実際の投球で甘いコースに外れることはない』と語っていた。日々のキャッチボールで、これを心がけているうちに、徐々にコントロールが良くなりました〉

吉見は「千賀の吸収力には感心する」と、スパイクをプレゼント。千賀は12年に支配下登録されると、プロ通算87勝をあげ最多勝や最優秀防御率、最多奪三振などのタイトルを獲得し日本を代表する投手に成長した。メジャー挑戦の夢をかなえた千賀は、今も吉見からもらったスパイクを大切に保管しているという。

米国の報道陣の取材に応える千賀(画像:AP/アフロ)
米国の報道陣の取材に応える千賀(画像:AP/アフロ)
『FRIDAY』のインタビューで。13年6月撮影
『FRIDAY』のインタビューで。13年6月撮影
  • 撮影AP/アフロ

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