【22年墓碑銘】「アニソンの帝王」水木一郎 一時引退の不遇時代を支えた「美人歌手」の素顔 | FRIDAYデジタル

【22年墓碑銘】「アニソンの帝王」水木一郎 一時引退の不遇時代を支えた「美人歌手」の素顔

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熱唱する水木さん。99年8月には1000曲を24時間ぶっ通しで歌いきるソロライブを敢行した(画像:時事通信社)
熱唱する水木さん。99年8月には1000曲を24時間ぶっ通しで歌いきるソロライブを敢行した(画像:時事通信社)

22年12月6日に肺がんのため亡くなった「アニソンの帝王」水木一郎さん(享年74)を追悼する声が後を絶たない。12月18日配信の『スポーツニッポン』の記事では、「今こそ聞くべきアニキ入魂の名曲」と題し『マジンガーZ』『バビル2世』『ルパン三世 愛のテーマ』など水木さんの代表曲を紹介。12月23日にはラジオ『文化放送』で追悼番組が放送された。

「芸能界にも水木さんのファンは大勢います。森口博子さん、中川翔子さん、『ももいろクローバーZ』……。水木さんは曲が素晴らしいだけでなく、有名無名問わず誰とでも分け隔てなく親しくしていたので信頼されていたんです」(大手レコード会社社員)

追悼の声は国内からだけではない。「もうアニキの生声が聞けないのは寂しい」「アニソンの一時代が終わった」と、海外からも反響を呼んでいるのだ。

「水木さんのウィキペディアは、90の言語に翻訳されています。いかに外国でも人気があるかがわかります」(同前)

水木さんは「生涯現役」を貫いた。21年4月に肺がんが見つかってからも、ステージに立ち続けた。22年11月8日の「第49回歌謡界」には車イスで登場し、「マジンガーZ」を熱唱。11月27日に行われた堀江美都子とのアニソンライブでは、すでに歌える状態ではなかったが口を動かし笑みを浮かべた。

キャバレーやナイトクラブで働く日々

震災で疲弊した東日本の復興にも尽力。地元の子どもたちとステージに上がった(画像:共同通信社)
震災で疲弊した東日本の復興にも尽力。地元の子どもたちとステージに上がった(画像:共同通信社)

しかし、水木さんの歌手人生は決して順風満帆ではなかった。デビュー直後には、長い不遇の時代を経験している。

「水木さんが、歌謡歌手として『君にささげる僕の歌』でデビューしたのは68年でした。しかし、しばらくは鳴かず飛ばずの日々だったとか。ヒット曲に恵まれず、一時音楽業界から引退します。カネを稼ぐために、キャバレーやナイトクラブで働いていたそうです。

引退した理由は他にもあります。同じレコード会社(日本コロムビア)の先輩・九条万里子さんとの結婚です。当時『たそがれの街』『すすきのブルース』などのヒット曲があった九条さんは、日本コロムビアの人気歌手。一方の水木さんは九条さんの前座を務めていた無名の新人でした。水木さんは九条さんに遠慮し、音楽業界から身を引いたといわれます」(同前)

水木さんと九条さんは、71年に結婚する。九条さんからのアプローチだったという。引退した水木さんの音楽業界復帰を、後押ししたのも九条さんだ。

「日本コロムビアのプロデューサーが、水木さんにアニメ『原始少年リュウ』の主題歌を担当しないかと持ちかけます。歌謡歌手としてデビューした水木さんは、複雑な心境だったでしょう。水木さんの背中を『やってみたら』と押したのが、九条さんだったと聞いています。以後、水木さんが第一人者としてアニメや特撮作品などのテーマ1200曲以上を歌ったのは周知の事実です。

メディアに出演すると、水木さんは『オレは恐妻家だから』と話し笑っていました。九条さんと口論になり連続キックをくらったこともあるとか。実際の2人は、とても仲が良かったですよ。84年には、デュエット曲『恋人きどり』をリリースしたほどです」(スポーツ紙担当記者)

キャラクターになりきって、作品の主題歌を熱唱していたという水木さん。愛妻と出会ったおかげでライフワークとなったアニソンは、「勇気や希望、夢が詰まった宝箱」とも話していた。

大変な納豆好きとしても知られ「納豆大使」も務めた(画像:時事通信社)
大変な納豆好きとしても知られ「納豆大使」も務めた(画像:時事通信社)
  • 写真時事通信社 共同通信社

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