【22年墓碑銘】村田兆治さん 死の1週間前に記者へ語っていた「野球少年へのメッセージ」 | FRIDAYデジタル

【22年墓碑銘】村田兆治さん 死の1週間前に記者へ語っていた「野球少年へのメッセージ」

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60歳を超えても140km近いスピードボールを投げていた村田さん(画像:共同通信社)
60歳を超えても140km近いスピードボールを投げていた村田さん(画像:共同通信社)

「マサカリ投法」で知られる元ロッテのエース村田兆治さん(享年72)が亡くなったのは、221111日だ。同日未明に東京・成城の自宅から火が出て、2階にいた村田さんは意識不明の状態で病院へ搬送される。死亡が確認されたのは、午前6時前のことだった。

村田さんが亡くなった当日、『フライデーデジタル』は追悼記事を配信している。村田さんは、死の1週間前に本誌記者へ意味深なメッセージを送っていた。通算215勝(177敗)をあげる名球会投手だった村田さんを偲び、再度紹介したい(内容は一部修正しています)――。

「これあげるよ」

本誌記者に手渡された野球ボール。10年9月、都内ホテルでの取材が終わってのことだ。そこには、直筆でこう書かれていた。

「人生先発完投」

言葉どおり、最後まで自身の想いを貫いた人生だった。

素人相手の草野球でも全力投球

「村田さんは、22年9月23日に羽田空港(東京都大田区)の保安検査場で女性検査員に暴行を加えたとして現行犯逮捕されています。村田さんは携帯電話を手にしていたため、何度も金属探知機に引っかかったことに腹を立てたようです。2日後の25日に保釈されましたが、検査場での対応には不満を持っている様子でした」(スポーツ紙担当記者)

83年に右ヒジの靭帯再建手術(トミー・ジョン手術)を受けながらも、翌シーズン終盤に復活した村田さん。日曜日の登板が多かったことから「サンデー兆治」と呼ばれた。

「村田さんは実直な人です。自分の流儀を、どんな状況でも貫こうとする。素人と対戦する草野球でも手を抜くことなく剛速球を投げるので、周囲が引いてしまうこともあったそうです。食事にもこだわりがあり、高級な松阪牛を好んで食べていました」(同前)

冒頭で紹介した取材以降も、村田さんは本誌記者と交流を続けてくれた。羽田空港での一件には、思うところがあったのだろう。亡くなる1週間ほど前に記者へ電話をかけ、意味深いメッセージを残している。

「逮捕されたわけだから、もちろん謝るべきところは謝ります。ただ、一方的に私が悪いというのは納得がいかない。今は周囲と相談しているところだけど、落ち着いたらすべてを話しますよ。私の考えも主張したい。

残念なのは、今回の騒動で離島の子どもたちに野球を教えられなくなってしまったこと(村田さんは08年から野球を通じた全国の離島振興活動をライフワークにしていた)。最近は、野球をする子どもの数がどんどん減っているでしょう。サッカーやバスケットに流れてしまっている。私は、野球のすそ野を広げたいんだ。島に行けなくなってしまったのは本当に悔しい。騒動が決着したら、また少年たちに野球の楽しさを伝えたいね」

最後まで、自分の意思を貫こうとしていた村田さん。ブレない「先発完投」の人生だった。

  • 写真共同通信社

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