横浜の稲川会館に現れ…六代目山口組・高山清司若頭の「圧倒的存在感」
12月20日の午前9時すぎ、神奈川県横浜市にある指定暴力団「稲川会」の拠点「稲川会館」。組員らはざっと60〜70名。10数名の神奈川県警、そして兵庫県警の捜査員たちが周囲を警戒し、上空にはヘリも飛んでいる。
午前10時20分頃、到着した白い車両の後部座席から一人の男性が姿を現した。指定暴力団「六代目山口組」の高山清司若頭である。その約1時間後、「俠友会」の寺岡修会長も稲川会館へと入っていった。
「この日、行われたのは寺岡会長から高山若頭への『謝罪』です。元々、俠友会は指定暴力団『神戸山口組』の中核団体でした。それが徐々に神戸が劣勢になっていくなか、寺岡会長は神戸の井上邦雄組長の引退を唱え、対外交渉を行っていました」(全国紙社会部記者)
しかし、それが上手くいかず、寺岡会長は8月に神戸山口組を脱退することを表明した。そこから、急転直下、この日の「謝罪劇」となったのだった。
この日、高山若頭と寺岡会長は30分ほど二人で話したという。12時20分頃に寺岡会長、しばらくしてから高山若頭が稲川会館を後にした。「仲介役」となった稲川会の内堀和也会長にこの日の会の趣旨について話を聞くと、
「道を外れたことをしたことの謝罪と組織の解散と、本人はおとなしくカタギとして生きていかしてもらいたい、ということだよ」
と答えた。また、なぜ「仲介役」を引き受けたのか、その理由を聞くと、内堀氏はこう回答した。
「いつまでもこういうことやってちゃいけないからな、日本の任侠界のためにも。我々にも、そういうことで影響がきてるから。道を間違えたなら道をまっすぐな道にもどりゃいいんじゃないの、というつもりでね」
寺岡会長は引退し、俠友会はこの翌日の12月21日に兵庫県警に解散届を提出した。
「一度組織を抜けた者の『謝罪』を受け入れたということで、追従する組織が他にも出てくるかもしれません。ただでさえ、六代目山口組と神戸山口組の人数比は圧倒的な差になっています。23年はさらに六代目山口組が攻勢を強める可能性はある」(前出・記者)
来年は暴力団業界にとっても騒がしい年になりそうだ。
- 撮影:濱﨑慎治