シード落ちの早稲田が6位と健闘、優勝候補・青山学院が失速…箱根駅伝「名門校で明暗」の意外な理由
「花田さん」
早稲田大学競走部の花田勝彦監督は、選手たちから親しみを込めて「さん」づけで呼ばれている。理由は「監督」というより「先輩」として、いろいろと気軽に話しかけてほしいから。風通しのよいチームを作りたいという。
22年6月に「花田さん」が監督に就任した早大が、第99回箱根駅伝(23年1月2日・3日)で大躍進した。前年は13位と3年ぶりに屈辱のシード落ち。予選会からはい上がったチームが一時は3位につけ、最終的には6位の好成績でシード権を奪還したのだ。
「花田さんはトラック競技選手としてアトランタやシドニー五輪に出場し、上武大やGMOインターネットグループなど学生、社会人での指導者経験も豊富です。若い選手の気持ちを理解しているんですよ。よく口にするのは『指導者は辞書だから何でも聞いてほしい』という言葉。最近の学生は、練習以外はずっとスマートフォンを手にしています。花田さんは厳しく注意するでもなく週に3日は合宿所で選手と食事や風呂をともにし、選手たちと粘り強く接し、徐々にコミュニケーションがとれるようにしました。
また、最近流行りの厚底シューズにもメスを入れています。厚底シューズは、反発力が強い反面ケガをしやすい。花田さんは早大のケガ人の多さに驚き、夏合宿から厚底シューズの使用を禁止しました。本人の言葉を借りれば薄底シューズでの機能任せでない『泥臭い』練習をさせ、いかに高反発に頼っていたかを選手に再認識させたんです」(スポーツ紙担当記者)
「どれだけ厚底に頼っていたか」

花田監督の狙いは、ピタリを当たった。3区の井川龍人(4年)は、14位から一気に9人を抜いて5位となる快走。6区では、北村光(3年)が区間3位となる58分58秒の力走でチームを3位へ浮上させたのだ。3区の井川は報道陣へこう語っている。
「(花田の指導で)どれだけ厚底に頼っていたのか、と思った。(地力が)落ちているのを実感した」
「泥臭い」練習で名門復活となった早稲田。来年はさらなる躍進を期し、クラウドファンディングによる海外遠征を重ね選手たちに経験を積ませる予定だという。
一方、優勝候補と目されながら結果を残せなかった大学がある。3位に終わった青山学院だ。競技終了後、原晋監督は悔しそうにこう語った。
「人生いろいろ、箱根もいろいろ。いろんなことが起こりますよ。だから学生スポーツは面白いんです」
「いろいろ」なことが起きたのは復路の6区から8区。往路では駒澤や中央とトップ争いを演じていたが、一気に8位まで順位を落としたのだ。
「9区の岸本大紀(4年)が踏ん張り、3位まで盛り返しましたが優勝した駒澤には大差をつけられました。区間賞を連発する青学が、6区の記録では最下位になったんです。原監督は『青学は3番で喜べるチームではない。リベンジしたい』と語っています。
原監督は、報道陣へこうも話して反省しました。『自ら律する自律のチームをつくらないといけない。それが過渡期の大会でもあったと思います。もとのような、パワー型の指導スタイルには傾斜したくない。学生スポーツは自ら考え、行動するのが本来のスタイルです』と」(同前)
6位に入り自信をつけた早大と、3位ながら不本意な結果だった青学。両実力校の明暗がわかれた要因は、どこにあるのだろう。自身も早大で箱根駅伝への出場経験がある、陸上競技解説者の金哲彦氏が語る。
「早大には、毎年スピードのあるランナーがいました。しかし距離を走れるスタミナに不安があった。花田さんは、そこに着目し厚底シューズの禁止し、週1回の20km走を練習にとり入れるなど意識改革に乗り出したのが功を奏したのでしょう。本来の泥臭さい練習が、結果につながったのだと思います。
青学は『山上りのスペシャリスト』で5区を走る予定だった若林宏樹(2年)が、体調不良で直前に欠場が決まったのが痛かった。緊急事態でチームに動揺が走り、6区で他校に抜かれるとダメージが広がりました。原監督の言葉どおり『いろいろなこと』が起きてしまった。その後の挽回を考えると、予定通りに若林が走っていれば駒澤の独走は許さなかったかもしれません」
来たる24年は節目の100回目となる箱根駅伝。各校は今回の悔しさや喜び入り乱れる結果を糧に、記念大会への準備始めている。


写真:時事通信社