「走る苦しさのほうがいいだろ…」箱根のためにあえて”5年目”を選択 国学院大6区選手の葛藤 | FRIDAYデジタル

「走る苦しさのほうがいいだろ…」箱根のためにあえて”5年目”を選択 国学院大6区選手の葛藤

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6区を走った国学院大・島﨑。ペースがあがらず、終始苦しそうな表情で走っていたが、タスキリレーの直前、少し表情が柔らかくなった(写真:アフロ)
6区を走った国学院大・島﨑。ペースがあがらず、終始苦しそうな表情で走っていたが、タスキリレーの直前、少し表情が柔らかくなった(写真:アフロ)

第99回の箱根駅伝は駒澤大が2年ぶり8回目の総合優勝を果たし、史上5校目の大学駅伝3冠を達成した。4年間の集大成として有終の美を飾った者もいれば、その影で悔しさを噛みしめて卒業する者もいる。総合3位以内を目指し、4位で終えた國學院大には『5年目の箱根』に懸けて、さまざまな思いを背負い、出走した選手がいた。

1月3日、4番目に復路のスタートラインに立った國學院大の島﨑慎愛は小さく深呼吸し、気持ちを落ち着かせていた。自身3度目となる山下りの6区。22歳を迎えた今年も勝手知ったる芦ノ湖に戻ってくるとは思わなかった。

4年生だった前回大会はレース4日前に故障が再発し、まさかの欠場。無念の涙にくれ、『最後の箱根』を走ることなく、実業団入りするはずだった。単位が足りずに卒業が半年遅れることは決まっていたが、1年越しで再び箱根路を走ることは想像もしなかったと言う。

「もう走れない、これで終わりだと思っていました。前田監督から『もう一度チャンスがある』と言われて、両親に相談しました。地元の群馬にある実業団企業の内定をもらっていたこともあり、『どうするの?』と言われたのですが、最終的には『自分のしたいことをすればいい』と背中を押してもらいました。親には感謝しかありません」

『5年目の箱根』を目指すと決めた時点で内定はあきらめ、無心に競技に集中してきた。故障で棒に振った悔しさを忘れたことはない。ただ、前期のトラックシーズンでは自己ベストを更新できず、箱根駅伝の前哨戦とも言われる昨年11月に行われた全日本大学駅伝でも重要な1区で区間18位と痛恨のブレーキ。後続の後輩たちが挽回し、過去最高の2位でフィッシュしたことにより救われたものの、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。出走した全員に『ありがとう』と声をかけ、箱根での恩返しを心に誓った。

大会前に古傷の右ハムストリング(太もも裏)が気になれば、すぐにトレーナーに見てもらい入念にケア。コンディションを万全に整え、これまでにないほど絶好調の状態で正月を迎えた。個人目標に掲げた57分台のタイムで走り、区間賞を取る自信もあった。そこにあったのは、自らの悔しさを晴らすという思いだけではなかった。

「大会直前に故障の影響で出走を断念したキャプテンの中西大翔から『僕の分まで頑張ってください』と託され、前田監督からは前回大会で故障を抱えて、7区で区間20位となった(同級生の)前キャプテン、木付琳の思いも背負って走ってほしいと言われていました」

出だしの走りは快調に思えたが、異変を感じたのは8km過ぎ。後ろにつかれた早稲田大に抜かれると、思うように反応できなかった。ペースを上げられず、エンジ色の背中がどんどん遠くなっていく。脚の踏ん張りがきかなくなっていたのだ。苦しい下り坂が続くなかでも、失速するわけにはいかなかった。

「絶対にあきらめられなかった。必死に前を追い、青山学院を抜いたので、何とか順位だけはキープするぞって」

山下りを終えた残り3km付近から監督車(運営管理車)が後ろにつくと、前田監督から大きな声で飛んだ。

<木付の分、(中西)大翔の分まで走ろう。去年、走れなかった苦しさよりも、走る苦しさのほうがよっぽどいいだろ>

約5年間指導を受けてきた指揮官の熱い言葉は心に響き、力を振り絞ることができた。小田原中継所に飛び込んだときには、脚はボロボロに。冷たいアスファルトに倒れ込み、自力では立てなかったが、監督車からの労いの声だけははっきりと聞こえた。

「『よくやった』と言ってもらえて……。区間12位、タイムも59分59秒。設定よりかなり遅かったですし、走りも『よくなかった』のですが、ポジティブな声かけばかりしてもらいました」

左脚を引きずりながら大手町に戻ってきたときには、すっきりした表情を浮かべていた。往路で結果を残した2区の平林清澄(区間7位)、3区の山本歩夢(区間5位)たちと切磋琢磨してきたことで強くなれた自負もある。5年目の大学生活は、ランナーとしても、人間としても、無駄にはなっていない。

「後輩たちは誰も僕のことを責めず、『かっこ良かったです。しっかりタスキをつないでくれてありがとうございます』と言ってくれたんです。正直、この1年は苦しかった。練習では良くても、試合で結果を出せず、本当に悔しかった。でも、前田監督、後輩、両親に支えられて、苦難を乗り越えることができました。かつての同期らの応援も力になりました。あらためて、当たり前のことが当たり前でないことに気づかされた1年でした。箱根の結果には満足できませんが、もう思い残すことはありません」

ときに一人で苦悩する姿を見てきた前田監督は、本人の複雑な感情を慮った。

「島﨑が大学に残ることで現4年生の枠が一つなくなる難しさもあるなか、すべてを理解した上でコミュニケーションをよく取っていました。空回りしたこともありましたが、最後までよくやり切ってくれた。彼の人間性の良さが垣間見えた1年だったと思います。昨年の悔しさを持って、6区のスタートラインに立ってくれたことには感謝したい。努力の証です。そこに敬意を表して、監督車から声をかけました」

島﨑が歯を食いしばり、箱根路を駆ける姿は親友であり、昨年まで同期だった元キャプテンの木付も静かに見守っていた。

「この1年間、彼が努力してこの日に懸けてきたことを知っているので、結果はどうあれ“5年生”として頑張ってきてお疲れ様と言いたいです。昨年はお互い不完全燃焼のまま終わってしまいましたが、これでやっと僕たち2人の箱根が終わったんだなって。ほっとしました。あらためて、一つのことを頑張り抜く大切さを感じました」

箱根のラストランで報われたとは言えないかもしれないが、清々しい気持ちで國學院から羽ばたいていく。今春、大学卒業後も陸上競技は実業団のサンベルクスで続行する。内定先の企業が変わり、人生も変わったが、「後悔はない」と言う。来年のニューイヤー駅伝出走を目指し、次こそは結果を求めて、また努力を続けていく。

  • 取材・文杉園昌之

    1977年生まれ。サッカー専門誌の編集兼記者、通信社の運動記者を経て、フリーランスになる。現在はサッカー、ボクシング、陸上競技を中心に多くの競技を取材している。

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