「私は知らないって!」原発事故で無罪判決・東電元会長「お一人ラーメン」後に語っていた強弁 | FRIDAYデジタル

「私は知らないって!」原発事故で無罪判決・東電元会長「お一人ラーメン」後に語っていた強弁

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原発事故から1年半後の12年12月、ラーメン店で一人で昼食をとっていた勝俣元会長
原発事故から1年半後の12年12月、ラーメン店で一人で昼食をとっていた勝俣元会長

1審に続く判決となった。

1月18日、東京高裁は東京電力の福島第一原発事故において業務上過失致死傷の罪で起訴されていた旧経営陣3人に対し、1審と同様に無罪を言い渡したのだ。起訴されていたのは、元会長・勝俣恒久被告(82)、いずれも副社長だった武黒一郎被告(76)と武藤栄被告(72)である。3人とも無罪を主張。19年9月に東京地裁で無罪判決となっていた。

「11年3月に起きた原発事故の要因となった最大15mの津波の襲来が、予測できたかが裁判の争点となりました。予測できたのなら防護壁などを作るなどの対策を怠ったのではないかという、予見と結果回避可能性についてです。検察側は対策を怠ったために、事故で避難を余儀なくされた福島県大熊町の双葉病院の患者ら44人が亡くなったと主張しています」(全国紙社会部記者)

政府の地震調査員会は02年7月に、三陸から房総沖にかけてマグニチュード8クラスの大きな地震が起きる可能性が高いと発表。最大15.7mの津波が押し寄せると公表していた。一方、東電の元幹部たちは「10mを超える津波が襲来する現実的可能性を認識していたとはいえない」と主張している。

「無責任にいろいろ言うのはおかしいでしょう!」

本誌記者の直撃に声を荒らげる場面もあった勝俣元会長。12年12月撮影(画像を一部加工しています)
本誌記者の直撃に声を荒らげる場面もあった勝俣元会長。12年12月撮影(画像を一部加工しています)

被告人となった、東電の勝俣元会長らは原発事故に関する責任をどう感じているのだろう。事故から約1年半後の12年12月、『FRIDAY』は勝俣元会長を直撃している。当時の様子を振り返りたい(記事の内容は一部修正しています)ーー。

年の瀬の迫った平日の午後、「東電のドン」と呼ばれた男性の姿は東京・四谷にあった。ラーメン店「大勝軒」で一人で昼食をとっていたのだ。

「民主党政権がボロボロだった12年秋ごろから、東電内では『しばらく臥薪嘗胆』という言葉がささやかれていました。東電幹部は、自民党が政権を奪還し再稼働容認に動くと考えていたんです。自民党の高市早苗政調会長(当時)は、『頭から原発再稼働を認めないということではない』と発言していましたから。

幹部の予想通り12年12月の衆院選で自民党が大勝し安倍晋三政権が誕生すると、社内に安堵の雰囲気が広がります。事故の責任をとり辞任した、勝俣元会長の復権さえささやかれていたほどです」(全国紙社会部記者)

とはいえ、あからさまに自民党政権に期待する動きはできなかったのだろう。12年3月の東日本大震災から1年の追悼式前に、自宅から出てきた勝俣元会長に話を聞くとスラスラと殊勝に答えていた。

「福島県の皆様はじめ、広く社会に大変なご心配、ご迷惑をおかけして大変申し訳なく思っています。とにかく原子炉の収束と賠償に全力を尽くしていくことを、この1年を機にあらためて誓いたいと思います」

だが、事故責任の話だと勝俣元会長の言動も変わる。前述の「お一人ラーメン」後に記者が「安倍政権にかわって東電としてはやりやすくなるのですか?」が直撃すると、こう強弁したのだ。

「私は知らないって! 現役の人に全部ゆだねたんだから。無責任にいろいろ言うのはおかしいでしょう!」

2審でも無罪となった東電の元幹部たち。東京高裁前では、判決言い渡し直後に告訴団の関係者らが「全員無罪」「不当判決」などと書かれた紙を掲げた。

12年3月、自宅の郵便受けから新聞をとる勝俣元会長
12年3月、自宅の郵便受けから新聞をとる勝俣元会長
  • 撮影船元康子 蓮尾真司

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