稀勢の里ついに引退 たったひとりの日本人横綱を潰したのは誰か?
横綱昇進後は12場所で36勝36敗 金星は18個献上
車を降りた横綱・稀勢の里(32)が、仏頂面で所属する田子ノ浦部屋に入っていく。多くの番記者が部屋近くで待っていたが、遠巻きに見るばかりで声をかける者はいない。稀勢の里が大相撲初場所初日から3連敗を喫し、ついに引退を決めた1月15日の朝のことだ――。
「横綱になってからの稀勢の里は、近寄りがたい雰囲気を出していました。初日から連敗した取組後には、支度部屋の風呂から出ると座敷に座りムスッと口を閉ざしたまま。報道陣が近寄ると、付け人に『下がらせて』と指示したんです。プレッシャーから、質問に答える精神的な余裕がなかったのでしょう。最近では、コメントはもらえないモノと諦めていました」(スポーツ紙相撲担当記者)
大関時代の稀勢の里は7割以上の勝率を誇り、休んだことは一日しかない。だが横綱に昇進してからは12場所で36勝36敗、半分以上の97日を休場。配給した金星は歴代ワースト2位の18になる。引退に追い込まれた稀勢の里は、どうして調子を落としてしまったのだろうか。
「ケガをしても、愚直に出場し続けようとしたからです。白鵬や鶴竜などのモンゴル人横綱は、軽いケガでもすぐに休場します。稀勢の里は『たったひとりの日本人横綱としての責任がある』と、そうした姿勢を反面教師としていました。横綱昇進直後の’17年3月には場所中に、左肩を大ケガしたにもかかわらず最後まで出続け優勝しましたから。モンゴル人力士に対抗しようとするあまり、ムリをして潰れたようなモノです」(前出・記者)
ガマンし続け、度重なったケガが災いし体調は悪化。初日から連敗しては途中休場という場所が続くことになる。相撲評論家の中澤潔氏が語る。
「親方の指導力の無さも大きく影響しています。出続けようという本人の気持ちはわかりますが、力士生命を左右するような大きなケガをしたら『完治するまで休め』とハッキリ言うべきです。潰れる前に止めるのも、師匠の愛情でしょう」
元日本相撲協会外部委員のやくみつる氏は、温かい目を稀勢の里に向ける。
「年齢的にも実力的にも、稀勢の里にとって横綱になったときが最終到達点だったんだと思います。以降の成績は望むべくもなかった。勝ち星よりも、白鵬などにはない愚直な土俵態度にこだわった横綱だったんです」
苦難を味わい続けた稀勢の里。今後は、自身の経験を若い力士たちへの指導にいかすだろう。
- 撮影:坂口靖子