小室哲哉、浅野忠信、石橋凌、柄本明…『シーナ&ロケッツ』鮎川誠さんの「ロック葬」に集った人々
1月29日に亡くなった『シーナ&ロケッツ』のギタリスト・鮎川誠さん(享年74)の「ロック葬」が2月4日、都内の葬儀場で営まれた。葬儀場に予定していた寺院からキャンセルされて、急遽変更となったこともあり、葬儀会場はかなり小さめだった。だが、レスポールを持って微笑む鮎川さんの遺影の周りは色とりどりの風船や花で彩られ、壁にはシーナ&ロケッツのポスターが貼り巡られていた。別室には鮎川さんが愛用したギターやステージ衣装も並べられ、鮎川さんが生前に選曲したという自身のロックナンバーが大音響で建物全体に流れていた。
午後4時からの関係者の弔問を前に、愛娘の3人が会見を行い、喪主で長女の陽子さんは、
「ライブでレスポールを弾いている父の姿は世界一かっこよくてファンの皆様にも愛されて本当に幸せだったと思います」
と語った。弔問には関係者約900人が訪れたが、その中には、小室哲哉(64)や柄本明(74)、浅野忠信(49)などが訪れ、同じ福岡県の博多で「めんたいロック」を牽引したロックバンド『ARB』のボーカリストだった石橋凌(66)や、かつてジョイントコンサートを頻繁に行っていたロックバンド『子供ばんど』のボーカリスト兼ギタリストのうじきつよし(65)の姿もあった。午後5時からの一般客の弔問前には最寄駅である代田駅まで列が連なり、全身黒づくめのロックスタイルのファンたちで歩道が埋め尽くされた。
今日のために北九州市から訪れたという56歳の男性は、
「私は高校生1年生の時、初めて行ったライブが博多の姪浜海浜公園で行われた野外ライブでした。大雨の中、鮎川さんは、『シーナ&ロケッツ』の結成前に所属していたバンド『サンハウス』で登場したんです。その日は『子供ばんど』、そして『サザンオーススターズ』が同じ舞台に立ったんです。鮎川さんは鳥肌が立つくらいカッコよかった。その翌年、八幡の中央町商店街で偶然、鮎川さんとシーナさんご夫婦にばったり会ったんです。僕は、たまたま持っていたサインペンで履いていたジーンズに鮎川さんにサインをお願いしました。ニコニコ笑いながら『ここに書いていいん?』って言って書いてくれました。鮎川さんは僕にとって、永遠のヒーローなんです」
と目を潤ませた。ファンに伝えたいことを問われた陽子さんは、
「お父さんは、最後まで、死ぬまでロックするって言っていたんですけど、本当にその通りになったと思います。ファンの方に本当に応援していただいて、シーナ&ロケッツのことが大好きで応援していただいたので、本当に感謝しています」
と話した。弔問客の数は約3100人で、その列は終了時間の午後8時になっても途切れることはなかった。鮎川誠のロック魂はファンの中に永遠に残ることだろう。合掌。












写真:足立百合