「AV出演の過去」は一生ついてまわる…伝説の女優・小澤マリアが語った「今のAV業界に思うこと」 | FRIDAYデジタル

「AV出演の過去」は一生ついてまわる…伝説の女優・小澤マリアが語った「今のAV業界に思うこと」

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経営する歌舞伎町のバーで取材に応じた小澤
経営する歌舞伎町のバーで取材に応じた小澤

カナダ人の父と日本人の母を持つ小澤マリア(37)は、’05年、18歳の時にAVデビューすると、その抜群のルックスとプロポーションで瞬く間にトップ女優となった。しかし、人気絶頂の’10年に突然の引退。その後は中国、インドネシアを中心に芸能活動に取り組みながら、’15年にフィリピンへ移住した。

フィリピンでは高級ラウンジや飲食店の経営に携わり、近年はカジノ事業へも進出している。実業家として大成功し、いまでは“フィリピンで一番有名な日本人”とも言われる小澤だが、ここまで来るまでには激動の人生を歩んできたという。

来日中の小澤が、自身が経営する新宿・歌舞伎町のバー『DRUNK』で、現在のAV業界への思いや、世界のVIPとの秘話を余すことなく明かした。

――’10年に人気絶頂のなか引退。なぜだったんでしょうか。

小澤「私の場合は、人気があるうちに惜しまれつつ辞めたい、という気持ちがありました。もともとAVでのキャリアを芸能活動に繋げたいという明確な目標があったので。当時はハーフのAV女優が少なくてラッキーだった部分も大きいですが、いろいろな賞もいただき、業界で一番にもなれた。AV卒業後にやりたいことがたくさんあったので、スパッと辞められましたね」

――セクシー女優として活動していた当時から、日本だけでなく、アジア圏で絶大な人気がありました。

小澤「中国や台湾、インドネシアで特に支持していただいていました。どの国に行ってもみんな私を知っているからビックリでした。インドネシアでは、入管職員が私のパスポートに載っていた本名を見て、『お前は小澤マリアだろう! 偽造パスポートか!』と疑ってなかなか入国できなかったくらい(笑)。アジア進出したのは、私と蒼井そらちゃんが先駆けだったんですが、現地の人の熱量は本当に凄かった。台湾で1本、インドネシアで2本映画にも出させてもらったんですが、私は英語が話せるので、向こうの方と直接やり取りできるのも面白かった。そういった経験が、後にビジネスに興味を持つ契機でもありました」

――’15年にフィリピンに移住しています。なぜフィリピンだったんですか?

小澤「実は深い理由はないんですよ。たまたま友人がいたので遊びに行ったら、妙に居心地が良くて。英語が通じるという点も大きかったですが、人々がオープンなことに惹かれました。たとえば向こうのメディアに出演して『こちらで飲食店をやりたい』と話すと、翌日に経営者からオファーが来たり(笑)。あとは、AV女優という過去を考えた時に、日本とフィリピンでは全然仕事の幅が違うな、とも思いました。チャンスがあるな、と」

――今では、世界展開するカジノグループとも仕事をしているそうですね。

小澤「もともと、アジア圏でカジノの広告モデルをやっていた時期があったんです。それを知っていた今のグループのボスから、『ビジネスを広げる手伝いをしてくれないか』と突然連絡があったんです。カジノ運営に携われるというだけでワクワクして、『やりたいです』とすぐに返事をしました。今は宣伝やウェブ部門に携わり、月に一度はフィリピンまで行ってミーティングにも参加しています。それもAV女優として知名度が高かったからこそ実現したオファーなので、本当に感謝しかないですね」

――フィリピンでビジネスをしていくなかで、ちょっと変わった口説かれ方をされたこともあるそうですね。

小澤「プライベートジェットを持っているという男性から、『マリア、今から世界中どこでも行きたいところに連れて行ってあげる』と誘われたことがありました。怖かったので断ろうと思って、『本当にどこでもですか?』と聞いたら、『そう言ってるだろ!』と怒られた(笑)。医者や弁護士、政治家や芸能人だろうと、立場関係なくフラットに付き合ってくれるのがフィリピンの良いところ。ただ、悪く言えば、すごくアバウトでもある。マニー・パッキャオのチームから、突然サイン入りのチャンピオンベルトのレプリカが送られてきたこともあったし、元大統領のお姉さんから攻撃されたこともあります(笑)。日本人の感覚を捨て、フィリピンに染まらないと見えてこない部分もあるかもしれません」

――実際にフィリピンの芸能人と交際したこともあるとか。

小澤:「シェフ兼俳優、という男性と付き合っていました。結婚も考えていたので、隠すつもりもなかったんですが、街を歩いているだけでパパラッチに撮られまくって、向こうのトップニュースになったり。コロナでロックダウンになり、フィリピンに行けなくてその間に別れてしまったんですが、そしたら『男性がかわいそうだ』『小澤マリアは日本に男を作って浮気した』と、嘘八百も書かれました。そういう意味では、アウェーな部分も少なくないかもしれません」

――実業家として成功した小澤さんから、今のAV業界はどう見えているのでしょうか。

小澤「私がいた時代より、業界の悪いイメージやレッテルがだいぶ薄くなっているのかな、とは感じます。三上悠亜ちゃんのようにインフルエンサーとして活躍する子たちも出てきて、イメージは明るくなった。その一方で、軽く業界に入ろうとする子が多いのも気になります。今でもたまに、SNSで『どうしたらAV女優になれますか?』と私にメッセージを送ってくる子もいます。一度でもAVに出ると、それは一生ついて回る。だから私はいつも『やめたほうがいい』と説得します。覚悟がないまま出演して、後で『強要された』と話す子も多い。でも、彼氏や親にバレて慌ててそんな嘘を言い出す子も少なくないと業界の人には聞きます。なんでそんなしょうもない嘘を、と憤りを感じます。そういう子が後を絶たないから、業界の悪いイメージがずっと消えないんだな、とも思いますね」

――昨年6月には、「AV出演被害防止・救済法」、通称「AV新法」も成立しました。

小澤「法案を見ましたが、なんで今さらというのが率直な感想です。少なくとも私のまわりでは、無理やり強要されてこの世界に入るというような子は聞いたことなかったですから。みんな自分の意志で入ってきているので、女優たちにも失礼ですよ。あれもダメ、これもダメと意地悪のように規制して、特に“撮影終了から4ヵ月以内に公表してはならない”という部分は、女優さんや業界で働く人達の生活に直結してくる。一部の声に対して過剰に反応し、業界側の意見や現場の声というのは一切反映されていない。原因を突き詰めると、やはり日本の教育現場で性教育を教えられる機会が充分ではないことに行き着く。作品の中の性と性教育は分けて考えられるべきだし、日本が取り組まなきゃいけないのはまずはそこじゃないかな、とも感じます」

――小澤さんの作品も、未だにネット上に違法アップロードされています。

小澤「本当にそう。あれなんか一円もお金が入ってこないから(笑)。規制するなら、そういう違法行為にも対策をしてほしい。『AVに出演するということはそういうことだよ』と、若い女性たちには伝えたいですね」

――今後、AV女優のキャリアのあり方は変わっていくと思いますか。

小澤「少しずつ良い方向には向かっていると感じます。ただ、根っこの部分では、日本での活動の場は、フィリピンより狭いのが現実だと思う。フィリピンだと、日本のポルノスターです、と説明しても『ほう。それであなたはどんなビジネスができるのか』と、肩書やレッテルではなく一人の人間としてフラットに見られる。だからこそ難しいということもありますが、それが心地良かったりもする。いろんなビジネスに関われて、今が一番楽しいですよ。一方日本だと、引退後もどうしても、『元AV女優』という見られ方はついてくる。でも、いつか日本でもそういう意識が変わる日がくればいいな、というのが私の願いです」

現在はフィリピンと日本を頻繁に行き来しているという
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バーでは小澤自らが接客をすることもあるという
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美貌は健在
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フィリピンでは高級ラウンジの経営などに携わっている
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フィリピンでバケーション中の小澤
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マニー・パッキャオのチームからレプリカのサイン入りチャンピオンベルトを贈られたことも
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カジノの広告モデルも務める
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フィリピンの高級ラウンジには、VIP客も多いという
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フィリピンでは絶大な知名度を誇る。イベントを開くと、ファンがサインを求めて殺到
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