ゲーム三昧のプチ引きこもりから…17歳で町内会長になった元・不登校生が見つけた「やりたいこと」 | FRIDAYデジタル

ゲーム三昧のプチ引きこもりから…17歳で町内会長になった元・不登校生が見つけた「やりたいこと」

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鹿児島市唐湊。桜島が望めるこの町で、17歳の高校生が町内会長になった。町が変わり「人生も変わった」という彼が拓く「未来」に期待が集まっている
鹿児島市唐湊。桜島が望めるこの町で、17歳の高校生が町内会長になった。町が変わり「人生も変わった」という彼が拓く「未来」に期待が集まっている

「僕がやります!」

金子陽飛(はるひ)くんが、鹿児島市唐湊(とそ)2丁目、山の手町内会の会長に立候補したのは今から2年前。高校3年生のときだった。高校生の町内会長…地域活動を通じて町内会に熱い思いが生まれたとか?

「いえ、ぜんぜん(笑)。町内会長がどんな仕事をするのかも知らなかったし、近所付き合いもとくになかったので、立候補したとき、町内で顔が浮かぶ知り合いはほとんどいませんでした。このあたりは、道を歩いている人も少ないんですよ

それなのに、なぜ…。

「勢い、ですね(笑)。他に手を挙げる人がいないなら僕が! って。じつはもともとは、父が関わっている地域のプロジェクトの手伝いを頼まれたのが、町内会を知るきっかけでした」

陽飛さんの父は鹿児島大学の准教授で、町や地域づくりについて研究、学生たちと一緒に地域活性化プロジェクトにも参加している。その活動のなかに、町内会会議の動画作成があった。仕事の都合などで参加できない人のために会議のようすを撮影して編集し、欠席の人にも見てもらうことで情報共有しようという試みだという。陽飛さんは、動画編集に興味があったので、動画撮影者兼編集者として呼ばれたのだという。

父親と一緒にプロジェクトに参加するようになったことで、町内会を知り、町内会長のなり手がいないのを見て、立候補に至ったと言う。

中学時代、2年間不登校だった

陽飛さんは中学1年から2年間、不登校だった。

「今でも5教科やれと言われたら、手がつけられないほど勉強が苦手です」

勉強は苦手なのに、父親が大学の教員というプレッシャー、「ちゃんとしなきゃ」と思いながらできないプレッシャーなどから、不登校になった。学校に行かず、ゲーム三昧の毎日。そのうちそれに飽きて、中学3年の春からは学校に通い出したというが、それも週2~3回、気が向いたときに行く程度。

「両親も心配していたと思うんですけど、行きたくない理由を伝えたら、それからは何も言われませんでした」

「学校に行かない」という息子への理解があったのだと笑う。それにしても、勉強の遅れとか、不安ではなかったのだろうか。

「僕自身は、不安を通り越して、もうどうでもいいという感じでした。本当に勉強に向いてないなという気持ちがあったので、がんばって追いつこうというモチベーションもなかった」

中学を卒業して、通信制の高校へ。町内会長を務められるのは、時間的に融通がきくということもあったからだと言う。

1軒1軒訪ねて「得意なこと」を調査

陽飛さんが町内会長になってまず最初にやったのは、町内会に加入している家を1軒1軒訪ねて、「できること」「得意なこと」を聞いて回ること。

「町内のみなさん、なるべくたくさんの人に、ご自分でできる範囲で町内の仕事を担っていただけないかと思ったんです」

結果、木工加工が得意な人、ドイツ語ができる人、教育関係の仕事に携わっていた人など、さまざまな「得意分野」をもつ人たちが住んでいることを知った。

「町内会に寄せられる住民からの要望を、それぞれの得意なことを生かして解決する。助け合える町になったらいいなと思ったんです」

たとえば、枝が伸びてしまったから切ってほしいという要望があったら、それが得意な人にお願いするとか?

「そういうイメージはあります。まだ実現していませんけど、住民一人一人の得意なことを把握して、それが地域に生かせればいいなと思っています」

コロナ禍で、なかなか思い通りの活動はできなかったけれど、話すのが好きな人に地域の歴史を聞かせてもらったり、営業の仕事をしていた人には、町内会勧誘のために初対面の人の家を訪ねてもらうなど「人材を活用」。実際、町内会の加入に繋がったこともあるという。そして、もう一つ力を入れているのが仕事の可視化。

「町内会長になり手がいないのは、たいへんそうだから。でも、どんな仕事があるのか見えるようにすれば、これなら自分にもできるという人が出てくるかもしれないですよね」

仕事を可視化して、分担していく。そのことで継続可能な活動にしていく。この方法をまとめたものが、2022年のマニュフェスト賞「グッドアイデア賞」部門で優秀賞を受賞した。

地域づくりの会社も運営。各地を飛び回る毎日

鹿児島市唐湊で彼が始めた活動が注目をされ、他県からも地域づくりのプロジェクトに呼ばれたり、講演の依頼がくるようになった。各地で、地域活動の活性化が叫ばれるなか「やれること」はまだまだある。親戚の会社を引き継ぎ、まちづくりや地域づくりのアイデアやアドバイスを提供する仕事も始めている。

現在、町内会長になって3年目。本当は1年ごとの輪番制になっているが、「まだまだできることがありそうな気がして」やらせてもらっているのだとか。

「僕が町内会長になったとき町内会に加入していたのは50世帯。そのうちの3分の1が75歳以上の世帯でした。だからといって、唐湊は決して山の中の過疎地ではなく、鹿児島市の中央部に位置していて鹿児島大学も近くにあるし、駅までもがんばれば歩いていける地域。マンションやアパートがあって、若い世代も引っ越してきています。加入世帯は、少しずつ増えてきました。お互いに助け合える町づくりをするためにも、町内会は大事だと思う。だけど、学校の連絡はLINEで行われているのに、町内会では相変わらず回覧板を回しているなど、このままでは世代間で分断してしまう。若い世代に町内会を引き継いでいってもらうためには、システムを変えていかなきゃいけないなと思っているんです」

なんだか町内会一色の毎日のように思える。今の楽しみは?

「いろいろなところに行く機会が増えて、観光するのが楽しいです。これからもどんどん出かけて行きたい」

プチ引きこもり生活を送っていたときには、思いもよらなかったと言う。

「町内会長に立候補したのは勢いだったけど、あのとき手を挙げていなければ、こんな生活にはなっていなかった。人生が変わりました。自信にもなりましたし、これから、不安になったり、困ったことが起こっても、なんとかなるんじゃないかと思っています。

町内会の仕事はこれからも続けられる限り続けていきたい。住んでいる人はどんどん変わるし、社会も今は5年後、10年後がどうなっているかわからないほど変化している。町内会は社会と密接に結びついていて、つねに変化し続けなくてはいけないと思うんです。その時代に必要とされる組織にしたいし、そういう仕事ができることにワクワクしてます」

地域を担うことで、自分の世界が広がった。若い世代がそんなふうに思える町は幸せだ。全国に、こんな町がつぎつぎと現れたら、と願わずにいられない。

「自分が知らなかったことを知るのは楽しい」という陽飛さん。町内会長になって、多くの人と出会い、話を聞くことで世界が広がった
「自分が知らなかったことを知るのは楽しい」という陽飛さん。町内会長になって、多くの人と出会い、話を聞くことで世界が広がっ
  • 取材・文中川いづみ

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