戦力外から日本一に…元ヤクルト・入来智さん交通事故死 野球人生もプライベートも波瀾万丈の55年
2月10日の夜、近鉄バファローズ、ヤクルトスワローズなどで活躍した元プロ野球選手の入来智さんが交通事故で亡くなった。55歳だった。宮崎県都城市内の信号のない交差点で、入来さんが運転していた軽乗用車と普通乗用車が出会い頭に衝突。入来さんは病院に搬送されたが2時間後に死亡が確認されたという。
入来さんといえば、弟で現オリックス・バファローズで投手コーチを務める入来祐作氏(50)とともに「入来兄弟」としてファンに愛された。1989年にドラフト6位で近鉄に入団後は、先発・中継ぎ・抑えで活躍し、6年間で17勝を挙げた。98年オフに巨人に移籍し、当時、巨人に在籍していた祐作氏と兄弟で同一チームのピッチャーとなり、話題を呼んだ。
「しかし、巨人では2年間でわずか2勝。2年目の00年は一軍登板機会もなく“お払い箱”にされてしまいました。しかし、その後、テスト入団したヤクルトでプロ12年目にして大ブレイク。前半戦を終え9勝を挙げ、オールスターにも選出されました。実弟である裕作氏が8勝で、兄弟で最多勝を争っていました」(スポーツ紙記者)
本誌が、22歳の元アイドルと同棲する入来氏の記事を掲載したのは、まさにその真っ只中だった(2001年8月10日号)。
入来氏は当時、さいたま市にある家賃8万円の2DKで暮らしており、神宮球場には電車通勤をしていた。
「その年の1月、入来氏は元妻と離婚し、慰謝料と子供の養育費を合わせて9000万円支払う約束をしていました。しかし、当時の入来氏の年俸は推定1200万円。とても払える額ではないので、実母が土地を売却して慰謝料に充てるなどをしたそうです。そういう経緯もあり、入来氏の生活は最多勝を狙うプロ野球選手とは思えないほどつつましやかなものでした」(プロ野球球団関係者)
そんな彼の生活を当時支えていたのが、22歳の元アイドルの女性だった。二人はコーポで同棲生活を送っており、本誌は何度か、自転車で二人乗りをしてスーパーに買い物に出かけたり、駅に向かう二人を目撃していた。
その年、入来氏は10勝を挙げてヤクルトの日本一に貢献。年俸は上がったものの、翌年の2月、前妻に資産のほとんどを差し押さえられ、入来氏の手元には最低生活保障額の月21万円しか残らなくなる。当時、入来氏は本誌の取材に対し、
「ただ落ち込んでもしようがないので、彼女と二人で前向きにやっていこうと思っています」
と笑い、本誌の同棲スクープに対しても、
「隠すようなことじゃないので、フライデーさんの記事は全然いいんですよ」
と人の良さを見せていた(2002年3月22日号)。しかし、活躍はそう長くは続かなかった。その後、韓国、台湾と渡り歩くが思うような成績が残せず2004年に現役引退。日本プロ野球での通算成績は、214試合で35勝30敗2セーブ。決して華々しい成績ではないが、小さい身体ながら闘志むき出しに内角を攻める投球スタイルは「ケンカ投法」と呼ばれ、多くのファンの記憶に残る選手だった。
引退後は転職を繰り返し、荒んだ生活を送っていたということだが、2006年に高校時代の同級生だった女性と結婚。3人の子供に恵まれ、介護士として充実した日々を送っていたという。残された家族のことを思うと、その死はあまりに悲しい。冥福をお祈りいたします。



写真:安部俊太郎(2,3枚目)