母親の顔面を乱打の衝撃…父親の過剰暴力に苦悩する少女「名門校に通うも自殺未遂やパパ活」壮絶な軌跡
ノンフィクション作家・石井光太が家を無くした若者「ヤング・ホームレス」の実態に迫る!
児童相談所に寄せられた虐待相談件数は30年以上連続で増加し、ついには20万件を突破した。
家庭で虐待を受けている子供を見つけて保護することは、「一時保護」と呼ばれている。いったん家庭から引き離して様子を見て、場合によっては児童養護施設なり、里親なりに預けることになる。
本シリーズ「ヤング・ホームレス」では、度々虐待によって家を失った子供たちに光を当ててきたが、今回中高生時代に合計3度にわたって一時保護されながら、いずれも虐待親のいる家庭に帰ることになった少女から連絡をもらった。
彼女はなぜ、一時保護されながら、虐待親の元に帰らされたのか。そのせいで、売春や自殺未遂で自分を傷つけつづけた少女の体験から考えてみたい。
妻でも娘でも怒鳴り手を上げる
西日本の閑静な住宅街に、その一軒家はあった。家の父親は研究職であり、母親は専業主婦。その4人姉妹の2番目が、山岸真菜(仮名)だった。
父親は外面だけは良いタイプで、他人には物腰が低く、誰に対しても愛想を振りまいていた。だが、家に帰れば、性格が一変し、常にいら立ち、少しでも気に入らないことがあれば、妻でも娘でも怒鳴り散らして手を上げた。
家族にとって、父親が怒りだす理由は不条理なことばかりだった。テレビの音がうるさいと言って暴れだしたり、言葉遣いが悪いと言って物を投げつけたりする。階段を歩く音が気に入らないと言って暴力を振るうこともあった。要は気分次第で何でもよかったのだ。そのため、妻と娘たちは常に恐れおののき、父親の顔色を伺って過ごさなければならなかった。
真菜は家族の関係をこう語る。
「母はおとなしくて父の言いなりでした。理由もなく殴られてもずっと黙っていて抵抗もしない。精神的に支配されている感じです。父から私(真菜)がうるさいから静かにさせろと言われ、私の首をしめたことがあったくらいですから。
周囲の人たちは父が暴力を振るっていたことを知らなかったはずです。母は祖父母や親戚にすら家庭内暴力のことを話しませんし、家から逃げることもありませんでした。ただ、ストレスは相当溜まっていたらしく、母は父のいない時に一番上の姉に当たり散らしていました。そのせいで姉は2番目の私に当たり、私は妹たちに当たっていました」
父親の家庭内暴力が母から長女へ、長女から妹たちへと連鎖していたのである。それがまた家族の関係を冷たく、息苦しいものにしていた。
そんな父親は娘たちの教育についても異常な執着を見せていた。子供たちはみな物心ついた時から学習塾に通わされ、小学校受験をさせられた。また、習い事も次から次にやらされ、1週間はほぼすべて塾や習い事で埋まっているような状態だった。
真菜は言う。
「習い事は塾、英会話、バイオリン、スイミング、空手などあらゆることをやらされていました。特に勉強にはうるさくて、成績が悪いとものすごく怒られた。自分から決めるのではなく、親にこれをやれあれをやれって言われて従っていた感じです。受験する学校もすべて親が決めていました」

真菜自身、小学校受験だけでなく、中学校受験もさせられた。これだけの学費や月謝を払おうとすれば、4姉妹で相当な額になる。そうまでしてでも、父親は家族を支配しなければ気が済まなかったようだ。
最初に真菜が一時保護されたのは中学1年の時だった。親の言いなりになって中学で再度受験をし、名門校に進学した。この時、学校側がPTAへの参加者を募集したところ、母親が真菜のために一肌脱いでやってみようと言い出した。家庭の外で何かしらの役割を満たしたかったのかもしれない。
だが、それを聞いた父親が、顔をこわばらせて怒りはじめた。
「うちにそんな暇があると思ってるのか!」
そう言って父親は、母親の顔面を何度も乱打した。そのため、母親の顔は原形を留めないくらい腫れてしまった。
翌日、真菜は学校へ行ったものの、前日のショックから立ち直れず、涙があふれて止まらなかった。先生が異変に気がついて声をかけてきたので、家で起きたことを話した。
「刑務所」のような規則一覧
学校に児童相談所の職員が来たのは、数時間後のことだった。学校側が通報したのである。真菜はそのまま児童相談所に一時保護されることになった。
通常、児童相談所は保護した子供を一時保護所へ連れて行く。だが、満員だったのか、真菜は児童養護施設へ連れて行かれ、そこで短期預かりされることになった。ケースワーカーの話では、両親と話し合って今後のことを決めるという。
施設での暮らしは、真菜に言わせれば「刑務所」のようだった。規則の一例が次だ。
・学校へ行ったり、外出したりしてはいけない。
・人とは、手を広げて届く距離に近づいてはいけない。
・服などあらゆるものは施設からの支給品を使用すること。
・文房具は決められた時間に職員の前でのみ使用可能。
・1日4時間の学習時間はプリントをひたすら解く。
・男の子と目を合わせてはいけない。
事情があるとはいえ、中学1年の少女にとってはあまりに厳しいものだった。

真菜は当時の気持ちをこう語る。
「なぜ私がここにいなければならないのだろうって思いました。だって悪いのは父であって、私じゃないですよね。それなのに、父はのんきに家で暮らして、私がこんなところに閉じ込められ、学校にすら行かせてもらえない。なんでそうなるのかぜんぜんわかりませんでした」
しばらくして、ケースワーカーがやってきた。ケースワーカーは家庭での暴力はさほど深刻なものではないと受け取っていたようだった。外面の良い父親がうまく取り繕い、母親も従ったにちがいない。
ケースワーカーはこう言った。
「今後のことは真菜ちゃんに任せるね。家が嫌で施設で暮らしたいのなら受け入れるよ。ただし、その場合は今通っている私立中学を辞めて、施設の近くの公立中学へ行くことになるからね」
まるで父親の肩を持つような言い方
真菜は愕然とした。せっかく猛勉強の末に合格した中学をなぜ辞めなければならないのか。
真菜は訊いた。
「何で学校を辞めなければならないんですか」
「学費を払っているのはお父さんでしょ。施設で暮らすなら、原則として公立の中学じゃなきゃダメなの。今の学校に通いつづけたいのなら、家庭に帰ってお父さんに学費を払ってもらうことになる。まぁ、私立の学校へ行けているんだからそれも一つだよね」
まるで父親の肩を持つような言い方だった。おそらく父親が家に帰らなければ学費を払わないと言ったのだろう。真菜は肩を落として答えた。
「父と暮らすのは嫌です。でも、学校を辞めて施設で不自由な生活をするなら、家に帰ります」
こうして真菜は父親の支配する家に帰ることになった。
だが、これが真菜をより困難な状況に突き落とす。彼女は逃れようのなくなった状態で自殺未遂をしたり、パパ活に走ったりするようになるのである。そんな少女の悲しい物語については【後編:売春や自殺未遂でどん底の名門・女子校生の奇跡】をお読みいただきたい。
*児童養護施設から私立校へ通うことは可能だが、諸条件があり、真菜の場合は当てはまらなかった。


取材・文・撮影:石井光太
77年、東京都生まれ。ノンフィクション作家。国内外の文化、歴史、医療などをテーマに取材、執筆活動を行っている。著書に『絶対貧困』『遺体』『「鬼畜」の家』『43回の殺意』『本当の貧困の話をしよう』『格差と分断の社会地図』『ルポ 誰が国語力を殺すのか』などがある。
写真:本人提供