「幸福の科学」創始者兼総裁 大川隆法氏が死去 東京ドームで開いていた「ド派手生誕祭」内部写真 | FRIDAYデジタル

「幸福の科学」創始者兼総裁 大川隆法氏が死去 東京ドームで開いていた「ド派手生誕祭」内部写真

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09年、幸福実現党を旗揚げした際の大川隆法氏(写真:共同通信社)
09年、幸福実現党を旗揚げした際の大川隆法氏(写真:共同通信社)

色とりどりのレーザービームが飛び交い、ドームの天井に満天の星が映し出された。正面のステージがスモークに包まれるや、青い照明の中に人影が浮かび上がる。真っ白な階段をゆっくり降りてくる一人の男性。「幸福の科学」の創始者である大川隆法氏(35、当時)である。これは91年7月に東京ドームで開かれた大川氏の「御生誕祭」の様子だ。当時「FRIDAY」はこの生誕祭の模様を、ド派手なステージの写真とともにレポートしていた。

3月2日、大川隆法氏が亡くなったと報じられた。享年66だった。

「3月1日頃から『大川隆法氏が亡くなった』という情報が流れ始めました。『死因は脳梗塞らしい』『場所は自宅のようだ』と多くの情報が飛び交い、各社裏取りに走っていました」(全国紙記者)

FNNプライムオンラインなどによると、2月28日に港区の自宅で倒れ、病院に搬送されたものの、3月2日午前に死亡が確認されたという。

大川氏は1956年に徳島県で生まれた。東京大学法学部を卒業後、大手商社を経て、86年に「幸福の科学」を設立した。大川氏と幸福の科学の名前が広く知られるようになったきっかけは、冒頭に紹介した91年の「生誕祭」だ。

91年7月15日に開催された東京ドームの生誕祭の入場者数は約5万人。行進に続いて司会を務めた女優が全国の支部の会員獲得数を次々に発表していく。最後に「合計152万7278人!」と発表されると、熱狂的なバンザイの嵐が巻き起こった(下写真)。

そしてステージ上に現れた大川氏は、こう高らかに宣言した。

〈我、1年前に7万7000人の会員達成の勝利を宣言すると共に、1年後の今日、77万7777人の光の天使を集めようと思ったはず。見よ、今あなた方の前に表された数字を! 来年の7月には1000万人の会員を有したいと思う。私の心の中ではすでに実現している。私は2600年前に釈迦として生まれ、4300年前にヘルメスとして生まれ、今現れた大川隆法は仏陀の魂としてのエル・カンターレである!〉

同団体のHPによると「エル・カンターレ」とは〈地球の至高神であり、イエス・キリスト、孔子、ソクラテス、ムハンマドなどを地上に遣わした「神々の主」〉であり、〈今、エル・カンターレが、民族間・宗教間の対立や紛争を解決し、地球を一つにまとめる人類普遍の教えを説くために、大川隆法総裁として、日本に生まれています〉という。

大川氏が公式の場で自身を「エル・カンターレ」と宣言したのは、この91年の生誕祭が初めてのことだった。この生誕祭から30年あまりが経った。

「幸福の科学の会員数は1100万人という数字が出されたこともありますが、これは信者に渡される経典の発行部数を元にした数字に過ぎません。実際には最大でも100万人程だろうと専門家は推計しています。大川氏という創始者を失ったことで、幸福の科学という組織が大きく変わるのは間違いない。現在吹き荒れている『宗教2世問題』も他人事ではありません」(前出・記者)

「幸福の科学」はいま大きな岐路に立っている。

91年に開催された大川隆法氏の「生誕祭」(撮影:小澤宏之)
91年に開催された大川隆法氏の「生誕祭」(撮影:小澤宏之)

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