芥川賞受賞・上田岳弘 ビットコインを発掘する主人公に何を託す?

受賞作『ニムロッド』が描くテクノロジーの進化と生きづらさ

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上田岳弘氏 『ニムロッド』で第160回芥川賞受賞

第160回芥川賞作品に選ばれた上田岳弘氏の『ニムロッド』(講談社)。主人公・中本哲史(なかもとさとし)は38歳。サーバー保守会社に勤務し、社長の発案で仮想通貨のマイニング(発掘)作業を命じられる。中本の彼女・田久保紀子、ニムロッドを名乗って「駄目な飛行機コレクション」というメールを送ってくる元同僚・荷室仁の3人を中心に物語は展開される。
テクノロジーに置き去りにされていく人間、その未来のありよう、そこで得られる幸福の形も変化していく――。小説的想像力に満ちた受賞作について「芥川賞作家」になったばかりの上田岳弘氏に聞いた。

2017年末に仮想通貨ビットコインの暴騰がありました。1BTC(ビットコイン)が日本円換算で240万円付近になったのかな。ビットコインに興味をもって調べていくと、ビットコインには「提唱者」がいる。その名前がサトシ・ナカモト。通貨の最小単位が「サトシ」とか調べていくほど面白くて。サトシが実在の人物ではなくて匿名の誰か、というところも文学的な存在に感じた。これを題材に小説を書いてみようと思いました。

もう一つ大きなモチーフに「駄目な飛行機」があります。このリストはネット上に実在していて2016年頃に知りました。「駄目な」とは実在した飛行機だけども、飛行機としての実用性がないという意味でのダメです。とくに特殊で目立ってダメな飛行機として戦時中に日本で作られた特攻機「桜花」が挙げられています。こちらにも提唱者として軍人の大田正一さんがいました。「これで特攻すれば戦争に勝てる」と言って実行しましたが、戦後に責任の所在をめぐって叩かれた。自殺も試みました。最終的に名前を捨てて、ほぼ天寿を全うした人です。

サトシ・ナカモトと大田正一。どちらも提唱者ですが、その匿名性と非匿名性がすごく対照的にみえて、この「ビットコイン」と「駄目な飛行機」の2つのモチーフを合わせて小説を書いてみようか、というのが始まりです。

「駄目な飛行機」の中でも特攻兵器の桜花は痛ましい存在ですが、例えばプロペラ機「パーシュヴァル」のように飛行機なのに飛ばなかった飛行機が僕は好きです。皆が見守っているなかで燃料が尽きるまで地上でプロペラが回り続けていたという間抜けさ。この開発責任者のいたたまれなさを思うと格別なものがあります。それらは無駄なものだったのかもしれないですが、無駄がないもの、完成されたものはつまらない。完成されたものはそれ以降はコピーしていくだけ。ダメだった、無駄だった、上手くいかなかった、そういった何かの営為の軌跡が見えるものがなんだかすごく愛おしいなあと。

執筆後に気づいたのですが、この作品の中で仮想通貨の有り様と小説の内容がリンクしていると感じるシーンがあります。主人公・中本哲史(ナカモトサトシと同姓同名)、その恋人の田久保紀子、駄目な飛行機を題材に小説を書く荷室仁(ニムロッド)の3人が初めて出会うところです。

実は3人は実際には会っていません。3人がスマートフォンの画面越しに互いの姿を見ていて、「会った」という経験を仮想的に経験しているだけです。外部から見ると単なるデジタルコピーの集積にすぎない。3人の鼎談が存在したことになっているけど物理的にはなんにもない。無から有が生まれるという意味で仮想通貨的なのかもしれません。

上田岳弘氏 『ニムロッド』で第160回芥川賞受賞

でもそれは今の世界の実相にも似ています。人がどんどん移動しないようになり、さらに通信技術が発達していけば、もう本当に会わなくて済むのかもしれない。そういう意味ではリアルの側から無のほうに近づいていく、逆に無からもリアルのほうに近づいていく接合点があの鼎談だったのかなと思います。

作中人物が個人の存在について「取り換え可能」だと発言しているところがあります。そのセリフは無意識に出てきたのですが、逆にいうとたぶん僕自身が日々感じていることなのでしょう。「取り換え不能」であってほしいという願いはある。特別な存在ではなくても、少なくとも取り換え不能であってほしい。でもそうではないかもしれない。そのせめぎ合いです。取り換え不能であってほしいという祈りを込めて反対のことを書くんです。そう書くことによって作品全体に哀切さが浮かび上がってくる。むろん取り換え可能かどうか結論はでないことでしょうが。

それはまた、昨今の多くの人が抱えているだろう生きづらさにつながっているのかもしれません。中本は仮想通貨のマイニング(採掘)作業を社長に命じられます。「仮想通貨はソースコードと哲学でできている」と作中に書きましたが、その哲学の部分が彼にとってのモチベーションにつながる。彼がこれからどういうものを作っていくか小説の結末には書かれていないけれど、作者としては興味があるところですね。でも中本は流されやすいので、田久保のポジション(交際相手)にどんな人がはいってくるかで違ってくる。あまり主体性がないのでその女性の言った通りにやっていると思います。

一方、田久保紀子は給料もいいし、たぶん性的にも魅力的だし頭もいいしウィットがきいていて気持ちのいい女性。だけどなんのために稼いでいるかモチベーションの置き所がわからない。そのモチベーションの置き所をどうすればいいのかは今日的な問題だと思います。どうモチベーションを創出していくのかが生きるための手段として問われている。

田久保と中本の関係は、性的な決定権は中本ではなく、はっきりと田久保にある。いつ会うのかも、会ったときに何をするのかも、別れるのかも田久保紀子が決める。昔はどちらかといえば男性に決定権はあったと思う。性別まわりのところは結構揺れている気がしますね。だから性的な決定権が実は女性の側にある世界を書いてみたかった気持ちもありました。

片やニムロッド(荷室)は小説を書くことにロマンを感じている。でも認められなかった。(作家としては)生まれることができなかった。もしかしたら生まれることができなかった胎児の心境なのかもしれない。そういう読み方もあり得るのかもしれません。
自分自身も公募小説賞に応募していた側だから身につまされますね。荷室が3回連続で最終選考に落ちてしまうのは結構、悲劇だと思います。

上田岳弘氏 『ニムロッド』で第160回芥川賞受賞

仮想通貨をはじめ、これからテクノロジーが発達して行くなかで「思考」はどうなるのか。AIが芸術を含めての創造的な思考がどこまで可能かは専門家によって見立ては異なります。僕は歴史を振り返ってみても機械が人間を超えられないわけはないと素朴に思っています。AIにも思考能力がいずれ発生して人間を超えていくと思う。

2045年に迎えるとされる人工知能の性能が全人類の叡智の総和を越えるシンギュラリティ(技術的特異点)のときに一番の問題になる「権限」についてとても興味があります。どこまでを人間が判断し、どこからをAIが判断するのか。その最適解はどこにあるのか。

作中でヒロインに田久保に関連して新型出生前診断「NIPT」について言及しました。出産前に子どもに遺伝子の欠陥があるかどうかわかってしまう医療検査です。これまでは子どもを産むときには生んでみないとどういう子どもか分からないし、授かりものだからそういうことは考えないのが一応の倫理観でした。生まれる前にわかってしまうと倫理的な部分での「空白地」が生まれると思う。そこに権限が関わってきます。AIにどれだけの権限を任せるか。テクノロジーがこれまで想定した倫理を超えてしまった空白地をどうするのか――。

最先端の事象を小説に取り込む理由は、今起きている現象、今普及しているもの、これらは、その時の世相の「芯を食っている」と思います。その芯を食っているものを書くのが文学の使命の一つ。文学は固まりきっていないもの、揺れているものを掬い取るものだから。これだけITが普及してダイナミックに変革が起こっているご時世だからこそ、小説の中に仮想通貨やSNSといった題材・モチーフに取り込んで書いたのです。

『ニムロッド』は一時的なブームとして仮想通貨を描いた小説ではない。唯一絶対の尺度がなく価値が毎日乱高下する、いわば仮想通貨的ともいえる現実世界の中で、人間の能力をはるかに超えるテクノロジーが人間の価値観をいかに変えるのか。そして膨大な演算を間違えることのないテクノロジーからこぼれ落ちる人類の「無駄」ともいえる様々な営みが本当に無価値なのかを問いかける思考実験としての小説でもある。

〔「ニムロッド」ものがたり〕

IT企業に勤め仮想通貨をネット空間で「採掘」する僕・中本哲史。中絶と離婚のトラウマを抱えたキャリアウーマンの恋人・田久保紀子。小説家への夢に挫折した同僚・ニムロッドこと荷室仁。息苦しさを感じながらいまを生きる三人の物語。

あらゆるものが情報化していく不穏な社会をどう生きるか? 新時代の仮想通貨小説!

講談社BOOK倶楽部で『ニムロッド』の情報(ネット書店・電子書籍)を見る

 

上田岳弘氏 『ニムロッド』で第160回芥川賞受賞
  • 上田岳弘

    (ウエダ タカヒロ)1979年、兵庫県生まれ。早稲田大学法学部卒業後、法人向けソリューションメーカーの立ち上げに参画し、現在同社で役員を務める。2013年、「太陽」で第45回新潮新人賞受賞しデビュー。2015年、「私の恋人」で第28回三島由紀夫賞受賞。2016年、「GRANTA」誌のBest of Young Japanese Novelistsに選出。2018年、『塔と重力』で平成29年度芸術選奨新人賞を受賞。著書に『太陽・惑星』『私の恋人』『異郷の友人』『塔と重力』(以上、新潮社)がある。

  • 取材・文成相裕幸撮影森清

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