「また逢う日まで…」一世風靡セピアの元メンバー・故西村香景さんが見せたNYでのパフォーマンス | FRIDAYデジタル

「また逢う日まで…」一世風靡セピアの元メンバー・故西村香景さんが見せたNYでのパフォーマンス

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ニューヨークでパフォーマンスを披露する『劇男一世風靡』(1987年10月23日号)
ニューヨークでパフォーマンスを披露する『劇男一世風靡』(1987年10月23日号)

1980年代、「ソイヤッソイヤッ」の掛け声で、まさに時代を〝一世風靡″したパフォーマンス集団『一世風靡セピア』の元メンバー・西村香景さんが都内の自宅で亡くなっていたことがわかった。61歳だった。同メンバーだった柳葉敏郎(62)はインスタグラムに西村さんとのツーショット写真を投稿。「前略西村様」の書き出しで、

「貴方(あなた)は俺にとって、最良の悪たれ仲間でした。貴方のピュアな気持ちが俺には眩(まぶ)し過ぎました」

と投稿した。

「一世有風靡セピアの母体は、1970年代終わりから80年代にかけて原宿で有名になった『竹の子族』や『ローラー族』のリーダーたちが集まって結成された男性パフォーマンス集団『劇男一世風靡』です。彼らは渋谷のNHK前の広場で踊り始め、毎日5000人もの見物人を集めていました」(音楽雑誌編集者)

1984年に西村さんや柳葉、そして相川翔(61)など精鋭7人で『一世風靡セピア』を結成。その年スクーターのCMソングに『前略、道の上より』が起用され、メンバーもCMに出演したことで全国にその名が知られるようになった。『賽を振れ!』『汚れっちまった悲しみに…』等ヒット曲を飛ばし、ロンドン公演も行うほど大ブームに。1987年には『劇男一世風靡』のメンバー15人でニューヨーク公演を敢行。黒人音楽の殿堂で知られるハーレムの「アポロ・シアター」で公演を行い、タイムズ・スクエアやリンカーンセンターなどで路上パフォーマンスを行った。写真はその時の模様である。ちょうど中央奥に西村さんの姿が見える。

「公演の目的の一つは当時、世界中に広がりつつあったエイズ撲滅キャンペーンでした。公演の売り上げは全額、ハリウッド女優・エリザベス・テイラーの基金に寄付しています」(前出・音楽雑誌編集者)

そして、もう一つの目的は、

「よりよく現代の日本を世界に広めていきたい」

ということ。ショーのコンセプトは、

「能や空手、忍者や太鼓、三味線を駆使して、花鳥風月、春夏秋冬、風林火山といった日本の伝統文化をコングロマリットして表現する」

だったという。

その2年後の1989年、一世風靡セピアは柳葉や相川の俳優活動が忙しくなり、他のメンバーも服飾デザイナーやエンジニアなど本職を持っていたため活動困難となり解散。西村さんはしばらく芸能活動を続けた後、飲食店の従業員として働いていたという。柳葉は、

「俺はもうちょっとこっちで頑張ってみるわ…..ありがとう…..又、逢(あ)う日まで・・・草々JONY」

と柳葉の当時の愛称「JONY」名義で別れを告げた。西村さんのご冥福をお祈りいたします。

一世風靡解散後は、俳優として活躍後、飲食店で働いていた西村さん
一世風靡解散後は、俳優として活躍後、飲食店で働いていた西村さん

 

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