かつては「首相候補」だったが…高市早苗・経済安全保障担当大臣 “逆ギレ女王”が迎えた「崖っぷち」 | FRIDAYデジタル

かつては「首相候補」だったが…高市早苗・経済安全保障担当大臣 “逆ギレ女王”が迎えた「崖っぷち」

  • Facebook シェアボタン
  • X(旧Twitter) シェアボタン
  • LINE シェアボタン
  • はてなブックマーク シェアボタン
当該の発言があったとされるレク自体がなかったと答弁したことで、総務省行政文書問題は混迷を極めている
当該の発言があったとされるレク自体がなかったと答弁したことで、総務省行政文書問題は混迷を極めている

〈私は、間違ってない。私は、できる〉

永田町から赤坂議員宿舎へ帰る公用車内、心の中で何度も繰り返しながら、サポーターを着けた右手をぎゅっと握り締めた。総務省の行政文書問題で渦中(かちゅう)にある高市早苗経済安全保障担当相(62)が、政治生命の崖っぷちに立たされている。

発端は、’15年に作成された「放送法」に関する総務省の行政文書の内容が公表されたことにある。当時総務相だった高市が「そもそもテレビ朝日に公平な番組なんてある?」などと発言したことが記されており、当人は「捏造だ」と猛反論。立憲民主党の小西洋之参院議員(51)に「内容が事実なら国会議員を辞(や)めるか」と問われると「結構ですよ」と啖呵(たんか)を切った。

その後、総務省が文書はホンモノだと認める″追撃″をしても、〈私は、間違ってない〉とばかりに支離滅裂な発言を繰り返し、かえって立場を危うくしている。

「過去にも似たようなことがありました。総務相時代の’16年、放送局に対して電波停止命令を出す可能性を示唆(しさ)。『表現の自由を脅(おびや)かす大問題だ』とバッシングを受けました。発言を撤回するかと思いきや、『民主党も与党時代に同じことを言っていた』と逆ギレする始末。素直に矛(ほこ)を収められない性格なのです」(自民党関係者)

日本初の女性首相候補と持ち上げられたのも今は昔、クビ寸前の”逆ギレ女王”となってしまった。

神戸大から松下政経塾を経て渡米した才媛は、ハデなエピソードに事欠かない。’92年、地元奈良から初出馬するのに先立って出版したエッセイ本では〈地中海で、海の見えるホテルの部屋で、飲みィのやりィのやりまくりだった〉〈彼がすばらしいテクニックを持っていることは言うまでもない〉など、男性との情事を赤裸々に記述。その内容は今でも政界の語り草となっている。

「’93年の総選挙ではオープンカーに乗って選挙活動を行い、インタビューでは昔バイクを乗り回していた『不良娘』だったことを詳(つまび)らかにするなど、思いつきで行動するタイプ。一方で、政治家らしい付き合いや根回しは苦手で、ブレーンも友達もいない。政務が終わり次第、宿舎に引き上げるとか」(全国紙政治部デスク)

それでいながら今の地位まで上り詰めたのは、ひとえに故安倍晋三元首相の寵愛を受けたからだ。政治ジャーナリストの安積明子氏は言う。

「彼女の求心力は’21年の自民党総裁選がピークだったと言えます。この時も安倍元首相の呼びかけで推薦人が集まり、保守層を中心に『高市推し』で団結した。その議員たちも、今回は沈黙を貫いており、擁護する様子は見えません。清和会(安倍派)への出戻りも難しいでしょう」

二階の反感まで買った

「保守のマドンナ」というメッキはとっくに剥がれている。加えて高市は、岸田文雄首相(65)の怒りも買ってしまった。「”高市流”のパフォーマンスが災いした」と、安倍派中堅議員は声を潜める。

「高市さんは、岸田首相から現ポストの打診を受けた際、『受け入れられない』と一度固辞しています。彼女なりのパフォーマンスで、結局就任を受け入れた。こんなふうにコケにされたら、岸田首相だって怒ります。今の高市さんは『触れるな、キケン』というのが正直なところ」

トドメを刺しかねないのが、先述した「根回し」の弱さだ。4月9日に高市の地元・奈良で行われる県知事選で、高市が擁立した新人候補と現職の公認をめぐって党内が分裂。一本化できないまま、日本維新の会の候補が当選する可能性が浮上しているのだ。

「高市さんが現職に勇退を要請した際の発言が、当人に受け入れ難いものだったことが原因です。結果、現職は出馬を決め、混乱を招いたとして二階俊博元幹事長(83)や森山裕選挙対策委員長(77)ら重鎮の不評を買いました。明らかに高市さんの根回し不足で、地元での評判も良くない」(前出の議員)

〈私は、できる〉。自らを強く見積もっても、独りぼっちでは無力だ。早晩、岸田首相はじめ党幹部は決断を下すだろう。

数少ない味方は、議員宿舎で高市の帰りを待つ夫・山本拓前衆院議員(70)だ。’21年に再婚した山本氏は料理上手で、毎朝妻に野菜ジュースを振る舞うという。発言を謝罪し、「内助の功」を受けながら、陣笠(じんがさ)議員として政治家余生を全(まっと)うするのが、彼女に残された唯一の道なのか―─。

(文中一部敬称略)

’90年、フリーアナの小俣雅子(左)らとニュース番組のキャスターに抜擢された高市。ウィンクの余裕ぶり
’90年、フリーアナの小俣雅子(左)らとニュース番組のキャスターに抜擢された高市。ウィンクの余裕ぶり
’04年に山本拓氏と結婚披露宴を挙げた。高市とは’17年に離婚するも、その4年後に再婚。同年の選挙で山本氏は落選している
’04年に山本拓氏と結婚披露宴を挙げた。高市とは’17年に離婚するも、その4年後に再婚。同年の選挙で山本氏は落選している

『FRIDAY』2023年3月31日・4月7日号より

  • PHOTO鬼怒川 毅(1枚目) 中井川俊洋(2枚目) アフロ(3枚目)

Photo Gallery3

FRIDAYの最新情報をGET!

Photo Selection

あなたへのおすすめ記事を写真から

関連記事