ヤマハ清宮監督が退任会見で語った 「熱いチームの作り方」 | FRIDAYデジタル

ヤマハ清宮監督が退任会見で語った 「熱いチームの作り方」

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1月29日、日本青年館ホテルにて退任会見を開いた清宮監督
1月29日、日本青年館ホテルにて退任会見を開いた清宮監督

早稲田大学(早大)、サントリー、ヤマハでラグビーの監督として辣腕を振るってきた清宮克幸が、国内トップレベルでの指導に一区切りをつけた。1月29日、東京の日本青年館で会見を開いた。100名超という出席者を前に、コーチングにも役立てたであろうプレゼンテーション能力を発揮した。

「本当に長きに渡って、皆さまと一緒にラグビー界を盛り上げようと活動してきました。私にとって皆さまは同志になります。監督としての清宮は今日をもって最後となりますが、今後ともラグビー界を盛り上げるために皆さまと一緒に行動していきたいと思っています」

冒頭のあいさつで報道陣との距離を縮めた清宮は、2001年に着任した早大では在任5年間で大学選手権を3度制し、2005年度の日本選手権では国内トップリーグのトヨタ自動車を撃破した。人気校の指導者として名を上げた後は、現役時代を過ごしたサントリーを率いて2007年度のトップリーグで頂点に立った。

さらに本人が思い出深いと話すのが、2011年度から8季続いたヤマハでの日々だ。

声がかかった2010年は、リーマンショックの影響でヤマハの活動規模が縮小したタイミングだ。堀川隆延が指揮を執った同年度のチームは、当時多くいたプロ選手が社員選手に転じたり、他チームに移籍したりしたのを受け、トップクラブにしては異例となる30名以下という少人数で活動していた。清宮が就任した2011年度は、入替戦でなんとか降格回避を果たした直後だった。

都内から本拠地の静岡県磐田市へ単身赴任した清宮は、前監督でもある堀川ヘッドコーチ、サントリーの営業マンだった元日本代表プロップの長谷川慎フォワードコーチらとともに独自路線を打ち出す。大学のトッププレーヤーが集まりにくいなか、貫いたのは一芸重視のセレクションだ。

「清宮さんは欠点を見ない。長所を見てくれる。例えば外国人監督が来て、いまのヤマハのメンバーを見て、僕を使うことはないと思う」

こう断言するのは、今季まで在籍した宮澤正利だ。公式で「身長170センチ」と小柄も、各クラブが大型外国人を揃えるアウトサイドセンターに入り鋭いタックルを放った。

早大でも清宮に指導されたスタンドオフの大田尾竜彦、フルバックの五郎丸歩も、それぞれ戦術眼、キック力という個性を活かした。3季目からは堀川がアイデアを出し、当時日本では採用事例が少なかった「ポッド(各選手が左右にまんべんなく散る陣形)」を用いて球を左右に振った。マレーシア代表ロックのデューク・クリシュナンがタッチライン際で持ち前の快足を飛ばすなど、個々の持ち味が最大化された。

いい意味で凹凸のあるヤマハは、やがてトップリーグの上位陣に定着した。スクラムを磨いて上昇気流を作った長谷川は、2016年秋から日本代表に入閣。磐田市のスタンダードが、日本国のスタンダードに変わったと言えよう。

「こんなに嬉しいことはないですよね。このことが誰に影響を与えたか。ヤマハの選手たちです。ヤマハのプライドを作り上げた者たちの間に、絆が生まれたんですよ」

清宮はこう目を細め、限られた環境のなかでの結果の出し方を示した。

「熱いチームを作って、競争を激しくして、独自性を持って、熱い言葉、強い言葉でチームを率いる。(ヤマハは)自分たちが考え出したプレーでも、他チームが真似をし、それがスタンダードになったら、すぐにそれを止める勇気を持っています。トップリーグでは、ヤマハの得意なプレーを『ヤマハ』と呼んで真似るチームもありますが、そうなったら僕らはその『ヤマハ』のサインを捨て、違う動きをするでしょう。スクラムもそう。ヤマハの完全コピーをするチームが出てきましたが、そろそろ違うスクラムを組もうか…と。そういう考えを、ヤマハの文化として残せたと思っています」

会見では、2枚の写真を紹介した。

1枚目は、自身就任前、2002年度に関西社会人ラグビーAリーグでトップに立った時の集合写真。

「何とも言えない表情をしています。初めてこの写真を見つけた時、『俺は、こういう表情をした仲間たちと写真を撮りたいんだ』という思いを持ったんですね。この1枚が、僕にものすごいモチベーションを与えてくれました」

2枚目は、就任4年目となる2014年度の日本選手権で優勝した時のワンシーンだった。

「これがヤマハの全てですね。ずっと強豪と言われているチームが優勝争いを繰り返しているなか、低迷を経験した、人材、環境に恵まれないチームが4年で日本一になれた証明の写真なんです」

いつだってこのように、聞き手の五感に訴えかけるように話す。具体的な逸話や万人向けのたとえ話を用いるのも特徴的で、この日はかつての国民的ドラマを引き合いに出して堀川、長谷川を「助さん、格さん」と表現。この先はヤマハのアドバイザーとして後任監督の堀川を支えるが、その件についてはこう語った。

「そろそろ助さんに黄門様になってもらわなきゃ。この男にしっかりとした働く場所、活躍する大きな舞台を譲りたいと思ってから、数年が経っていました」

再三期待された日本代表監督への就任は、「時は逸した」。2014年度オフには立候補とも取れる発言をスポーツ紙の1面に踊らせたが、今後はナショナルチームどころかトップクラブでタクトを振るうこともなくなりそうだ。ヤマハに籍を残しながら、女性と子どもに特化した地域密着型の総合型スポーツクラブ「一般社団法人アザレア・スポーツクラブ」の代表理事として活動する。

1時間超の会見は「思い出話」の「第1部」と「これから」の「第2部」に分け、「第2部」ではパワーポイントを使い「アザレア・スポーツクラブ」を支える静岡の企業や理事の面々を紹介。手始めに立ち上げる7人制女子チームのトライアウト実施もアピールした。

「私が初めて磐田の町に車で降りた時、目の前に『サッカーとトンボの町』という看板が目に入ってきました。あそこに『ラグビー』をつけてやると宣言したんです。いま、『ラグビー』が入っている。ラグビー文化が根付いた証拠だと思います。私はヤマハの監督を辞任しますが、これからもヤマハとの関係は続きます。ファンの方にとっては、より私と話しやすくなるかもしれません。観客席で一緒に観ることもあるでしょうし、今後ともよろしくということで」

51歳。本当の意味での幕引きはまだまだ先だろう。

 

  • 取材・文向風見也

    スポーツライター 1982年、富山県生まれ。成城大学文芸学部芸術学科卒。2006年よりスポーツライターとして活躍。主にラグビーについての取材を行なっている。著書に『サンウルブズの挑戦 スーパーラグビー 闘う狼たちの記録』(双葉社)がある

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