【完全版】『たけし軍団』結成40周年!軍団メンバーが語った「師匠・ビートたけしの素顔」 | FRIDAYデジタル

【完全版】『たけし軍団』結成40周年!軍団メンバーが語った「師匠・ビートたけしの素顔」

つまみ枝豆、ガダルカナル・タカ、ダンカンが語り尽くした!

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『たけし軍団』結成40周年を記念して行われた舞台『ウスバカゲロウな男たち』の公演も、大盛況のもとに無事終了。本誌「FRIDAY」3月17日号では、現在の所属事務所である『TAP』の代表であるつまみ枝豆(64)、専務のダンカン(64)、最年長メンバーのガダルカナル・タカ(66)にフライデー襲撃事件のウラ話などを語ってもらったが、さらに書ききれなかった師匠・ビートたけし(76)との思い出や現事務所の立ち上げ秘話などを紹介するーー。

「もう24時間、いつも一緒にいましたね(笑)」
「もう24時間、いつも一緒にいましたね(笑)」

枝豆「いつから『軍団』になったのかってよくわからないんですよ。なんとなくズルズルと流れでっていう感じで」

ダンカン「それより前から、何人かはたけしさんに番組で使ってもらっていたんですけど、この8人のメンバー(井手らっきょとグレート義太夫は遅れて加入。後にそのまんま東と大森うたえもんは脱退)がひとまとまりになったのが83年ということですね」

タカ「俺らが入る前は軍団って言っていなかったんだよね。誰が軍団って言い出したのかな……」

枝豆「俺らが勝手に軍団って名乗ったのでないことはたしか(笑)」

ダンカン「誰かが『石原軍団』にあやかって呼び始めたんだよね、きっと。当時は3大軍団というのがあって、『石原軍団』、『日光猿軍団』、『たけし軍団』。我々は『日光猿軍団』よりもちょっと下だった(笑)」

結成当時、軍団メンバーたちは常に行動を共にしていたという。「たけしさんも気を使う人ですから、芸能界にあえて友達を作らなかったんです」と枝豆は言う。

「たけしさんって、ああ見えて意外にすごく気を使ってくれる人なんですよ」
「たけしさんって、ああ見えて意外にすごく気を使ってくれる人なんですよ」

枝豆「連絡が取れなかったら怒られたりするんですよ。『お前らすぐ集まれるようにしとけよ』って」

ダンカン「たとえば番組が終わっても、朝まで飲んでいて、そのままずっとエンドレスでいることが多かったです」

枝豆「仕事から遊びまで全部一緒だった。休みになると旅行もよく行っていて、スケジュールが空けば沖縄、また空いたら北海道。たけしさんもハマる人なんで、一度沖縄に行き出すと通い続けたり」

タカ「もちろん仕事はむちゃくちゃ忙しかったんだけど、事務所もたけしさんが爆発しないように、ウマいこと休みを作ってたね。ただ、それぞれが家族を持ち始めると、たけしさんも気を使って全員で集まることは少なくなった。たけしさんはそういうことって絶対に気にしていましたね。破天荒そうに見えるけど、そういう部分はすごく気にしてくれていた」

枝豆「軍団ができたときも、最初の頃はテレビ局から軍団にはギャラは払われていなかったんですよ。たけしさんが自分のギャラの中から出してくれていたんです」

タカ「何でそこまでしてくれたのか、我々にはわからないです。個人の資質というか、たけしさんがそういう人なんだとしか……」

ダンカン「そうですね。個人の性格的なものもあるし、もしかすると芸人の世界で先輩が後輩にメシを食わせたり面倒を見たりとか、そういう芸人の最後の姿なのかもしれないですね。今はそうではなくなりましたからね」

枝豆「僕らがあまりにもずっとくっついて歩いていたので、『金魚のフン』と言う人もいましたけど、そうするとたけしさんが『こいつらのおかげで助かっていることもあるんだ』って庇ってくれる。だからみんなもついて行くんですね。カネとか地位とか名誉とかじゃなくて、そういう人間性ですよ。後にも先にもこういう人は出て来ないって僕は思います」

タカ「俺は人間性もそうですけど、芸人としての凄さを目の当たりにして憧れていたし、ファンだったので。そんなスゴイ人とずっと一緒に仕事をしていられるってことでしたね」

枝豆「無茶だったり不条理だったりすることもいっぱいありましたけど、それでもついて行くのをやめようとは思わなかった…なんだろうね」

タカ「どこかバランスが欠けているところが魅力なんじゃない? 完璧な人なんて面白くねえじゃん。ここはこんなに凄いのに、ここは何でダメなの、っていうアンバランスさがいいんじゃないかなあ」

18年3月にたけしが自身の新会社に移籍したことで、軍団も独立することになる。事務所を引き継いで枝豆が社長に、ダンカンが専務となった。

「たけしさんからの独立は、頑張れっていうエールだと思ってます」
「たけしさんからの独立は、頑張れっていうエールだと思ってます」

ダンカン「別れたのはたけしさんの最後のエールだって、我々は受け止めているんで。頑張るしかないです」

タカ「それ以前も、我々といることがたけしさんにとって重荷になっているんじゃないかと少しずつ感じていた部分はあるんですよね。本当はそんなに頑張らずに好きな映画を撮ったり、絵を描いたりする時間を増やせばいいのに、軍団がいるから頑張ってくれていた部分はあると思うんですよ。今はたけしさんも新たな家庭を持っていることだし、よほどのことがない限りはこちらから連絡はしないことにしてます。ひとつ何か言うと、その倍は気を使ってくれちゃう人なので」

枝豆「でも、いざ軍団が前事務所を引き継いで、僕が社長になった当時は『どうせ潰れるだろう』ってけっこう言われました」

ダンカン「シビアな意見はいくらでもあった。『たけし軍団なんて誰が知っているの?』って。たしかに45歳以上じゃないと知らないですからね」

タカ「タレントが社長をやって成功した人もたくさんいるんですけど、やっぱり芸人しかやっていない人間が社長としてプロダクションを回していくのって大変。見ていて可哀想になっちゃう」

枝豆「僕も好きで社長になったわけじゃないんですよ。誰か社長やらないかっていうときに誰も手を挙げないんですね。それでたけしさんに鶴の一声で、僕が『やれ』って言われた。そして横にいたダンカンが『お前が専務でいいんじゃないのか』って専務に(笑) 。でも社長が僕でよかったと思うんです。こんな大変なことは他の人にはできない。大変ですけど、自分のことじゃないなら苦にもならないので。軍団の中では僕でよかったかなと。僕はタカ坊を薦めたんですけど」

タカ「俺は何かストレスがあったら、仕事も自分のことも一切何もできなくなるタイプなんで、社長は絶対に無理(笑)」

枝豆「でも、これまでの人生を振り返ってみたら、人には言えないようなこともやってきてるし、とても社長になれるような人生じゃない。だから60歳を越えてから社長になれるなんて面白いことをやらせてもらっている気もします」

ダンカン「俺は1回も就職したことがなくて、初めての社会がこの世界だから何も知らないんですよ。どうやったらチケットが売れるとか、名刺の出し方や頭の下げ方もまったく知らなかった。これまでやってこなかったことを経験できるというのは、ありがたいのかなあ、なんてね」

枝豆「でもみんなが頑張ってくれて。普通だったら『えっ?』って断るような仕事も会社のためにやってくれる人が増えたので助かっています。今の事務所があるのはそれの積み重ねです」

タカ「今は高齢化社会じゃないですか。でもやっぱりテレビを観ているのも高齢者だから、軍団を知っている人も多いんですよ。『風雲!たけし城』観てたよ、と言って喜んでくれる世代の人たちがいるので、それはありがたいなと。また若い人は軍団のことなんて絶対に知らないだろうと思っていたんですけど、若い人たちから話しかけられたりすることもあるんですよ。そういう世代でも面白がってくれる人がいるんだから、まだまだチャンスはあると思っています」

師匠であるビートたけしとの絆は、いまだ変わらず。そして何より、若いとき以上に元気な軍団の面々。今後も芸能界にさらなる旋風を巻き起こしてくれそうであるーー。

還暦を過ぎても、絆は変わらず……
還暦を過ぎても、絆は変わらず……

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