「仕事を続けて後悔するよりも」新十両・藤青雲「凸版印刷の工場勤務から脱サラ」異色力士の転身理由 | FRIDAYデジタル

「仕事を続けて後悔するよりも」新十両・藤青雲「凸版印刷の工場勤務から脱サラ」異色力士の転身理由

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十両昇進を決め笑顔で会見に臨んだ藤青雲(PHOTO:時事通信社)
十両昇進を決め笑顔で会見に臨んだ藤青雲(PHOTO:時事通信社)

「そのまま仕事を続けて後悔するよりも、夢を追いかけて関取になれて良かった」

夏場所(5月14日初日)で新十両への昇進が決まった藤青雲(25)は、3月29日に開かれた会見に出席し喜びを語った。

藤青雲の経歴は異色だ。相撲を始めたのは熊本県内の中学時代。文徳高や明治大では相撲部に所属し、大学卒業後は凸版印刷に就職する。

「全国高校大会で8強、全国学生体重別135kg未満級8強など、学生時代から実力の高さを認められていました。社会人になってからも、実業団力士として凸版印刷の相撲部に所属。凸版印刷相撲部は’54(昭和29)年創部の伝統ある強豪です。藤青雲も志を高くして入部したと思います」(スポーツ紙担当記者)

新型コロナで大会が開かれない

藤青雲の勤務先は埼玉県内の工場だった。作業員として働くかたわら相撲に打ち込もうと考えたであろう藤青雲は、なぜ大相撲界へ転身したのだろう。

「藤青雲が凸版印刷に入社したのは’20年春です。その年は新型コロナウイルス感染拡大の影響で、社会人の相撲大会がまったく開催されなかった。稽古もほとんどできない状態でした。藤青雲としては不完全燃焼の心境だったでしょう。このまま会社勤めを続け相撲ができないなら、脱サラして憧れのプロの道を歩もうと考えたようです」(同前)

藤青雲は9ヵ月で凸版印刷の退社を決意する。門を叩いたのは、元大関・武双山が師匠の藤島部屋だった。

「藤島部屋には同じ明治大出身で、部屋付きの山分親方(元幕内・武雄山)がいた縁で入門したようです。他の多くの力士と比べ遅いスタートとなりましたが、藤青雲はイジられ役。穏やかでマジメな性格のため、年下力士からも愛されています」(相撲協会関係者)

だが藤青雲の優しいキャラクターが、プロの取組ではマイナスとなる。昨年11月場所は幕下2枚目で迎え十両昇進のチャンスだったが、勝ち越しに王手をかけながら3連敗。7場所にわたり幕下15枚目以内にいても、なかなか関取になれなかったのだ。

「師匠の藤島親方は、藤青雲の十両昇進会見で『歯がゆかった』と話しています。『地力は付いてきたと思うが精神面が弱い』とも。本人も課題は自覚していますよ。気持ちを強くするため、毎日ぶつかり稽古を繰り返しています」(同前)

明治大出身力士が十両になるのは、前出の山分親方以来23年ぶりだ。凸版印刷の元サラリーマンは、’21年春の初土俵から丸2年で夢の一端を実現した。

  • PHOTO時事通信社

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