彦根・警官射殺事件 19歳元巡査が語った「これ以外に道はない」

  • Facebook シェアボタン
  • Twitter シェアボタン
  • LINE シェアボタン
  • はてなブックマーク シェアボタン

上司である警察官から、書類作成の際に繰り返し訂正を求められて鬱憤を貯め、自尊心を傷つけられたという犯行当時19歳の新人巡査。「この人が死んだら楽になる」と思い、厳しい指導で知られる上司を殺害したーー。

昨年4月、滋賀県彦根市の県警河瀬駅前交番で起きた警察官射殺事件で、殺人と銃刀法違反の罪で起訴された元巡査の男(20=当時19歳・懲戒免職=)の裁判員裁判の初公判が1月30日、大津地裁(伊藤寛樹裁判長)で開かれた。「間違いありません」と元巡査は起訴内容を認めたが、弁護人は、犯行当時元巡査は心神耗弱状態にあり責任能力が著しく減退していたと主張している。

犯行があった4月11日、彦根市の路上で取り締まりをする元巡査(左)とその同僚。シートベルトの閉め忘れで違反切符を切られた車のドライブレコーダー画像。この時も、何度も先輩から注意を受けていたという

起訴状によれば被告人である元巡査は昨年4月11日夜7時47分ごろ、一緒に勤務していた上司の井本光(あきら)巡査部長(当時41=警部に2階級特進=)の背後から、拳銃で頭と背中を2発撃ち殺害。その後は拳銃を所持したままパトカーや徒歩で逃走し、翌日未明に同県愛荘町内で身柄を確保された。

公判では、被告人が法廷に入り、手錠を外すまで、衝立が置かれる措置が取られていた。犯行当時未成年だったため、手錠をかけられている姿を傍聴人に見せないための配慮だろうか。席につき衝立が外されたが、そこに現れたのは筋肉質な体にスーツを着た坊主頭の若者だった。のちの冒頭陳述によれば、高校卒業までは野球に打ち込んでいたという。真正面ではなく机に目を落とし、目を閉じているようにも見える。

弁護側は、上司だった被害者による厳しい指導により非番の際も書類作成などに追われ、次第に「自分は価値のない人間だ」という思いを強めたとして、被告人が犯行当時心神耗弱状態にあったことを主張している。対する検察側は、犯行動機が「上司からの厳格な指導で怒りや鬱憤が溜まっていた」こと、背後から的確に頭部と背部を狙い拳銃を発射していること、そして犯行後は発覚を遅らせるために交番の出入口を施錠し逃走していること、犯行時の記憶が鮮明であることなどを挙げ、完全責任能力を有していると主張している。この裁判員裁判の争点は被告人の責任能力についてだ。そのため裁判では、上司だった井本元巡査部長による指導が果たして心身を病むほどのものだったのかということに、自ずと注目が集まることとなった。

被告人である元巡査は一昨年に高校を卒業、事件のあった昨年1月に警察学校を卒業した。別の交番で勤務したのち、事件直前の3月26日から河瀬駅前交番配属に。もう1人の警察官と3人で勤務することとなった。

事件が起こったのと同じ時間帯の、滋賀県警河瀬駅前交番

ところが被告人は、書類作成が不得意だったという。

「3月30日(犯行の12日前)には作成した書類の内容が不正確だと被害者である元巡査部長から指摘を受け、繰り返し訂正を求められたことで、今後も働けるか不安になった。他の勤務日においても、被害者から繰り返し書類の訂正を求められたほか、パトカーで向かう現場の場所をきちんと調べていなかったことを指摘されるなどして、手元の仕事がますます蓄積していった。被害者への鬱憤と、同期の中で自分だけ恵まれない境遇にいるという不安を感じ、自尊心を傷つけられ感情を溜め込み、事件当日を迎えた」(検察側冒頭陳述)

「書類作成を被害者に見てもらうと何度も訂正を受け、深夜までかかった。仕事ができず学歴もない自分は価値のない人間だと思う一方、被害者の指導がおかしい、と考えるようになった。(略)4月2日には書類指導で書き直しの指示を受け午前3時まで作業をした。眠れず、被害者に対してびくびくするようになった」(弁護側冒頭陳述)

双方の冒頭陳述によれば、被害者が被告人を厳しく指導していたことに間違いはない。弁護側は、この指導により被告人が疲弊し、心を蝕まれていった結果「この人が死んだら楽になる。これ以外に道はない」と思い、事件に至ったと主張している。

ちなみに元巡査部長の指導を負担に感じたことがあるのは被告人だけではなかった。被害者は「書類作成に細かい」ことでよく知られていたのだ。被告人、被害者と同じく河瀬駅前交番に配属され、ともに働いていたもう1人の警察官が、午後に証人出廷した際、次のように語った。

「同僚からは異動前、被害者は『厳しく細かい方』だと聞いていた」

実際に、3人での勤務中、書類作成時に被害者から12〜13回もの修正を求められた被告人が、夜中まで対応している姿も見ていた。だが証人自身は、一緒に働いてみて「ちゃんと教えてくれる人なんや」という思いに至り、指導を受けることで「自分の実力が上がる」と考えるようにもなったと語っていた。

さらに、事件の前年度まで被害者とともに働いていた元部下の調書では、被害者の指導の実態がさらに明らかになった。供述では、当時の辛い状況を振り返りながらも、やはり先の証人と同様、“愛のある指導”だったとも語る。

「口が荒く『アホ、ボケ』などが口癖だった。相手を侮辱しているわけではなく関西人によくある挨拶がわりだった。何を言っても『それは違う』と否定するので、嫌になり、言葉を選ぶのが難しく、自然と話しかける回数が少なくなった。会話は減る一方だった」

という元部下はしかし、こうも語った。

「被害者は刑事出身で特に書類に厳しかった。指摘を受け毎回書き直しをしていた。ちょっとした間違いでも指摘してくるので正直気持ちよくはなかったが、書類作成の能力が高くなったのではと思う」

さらに、

「その姿はパワハラに思われるかもしれないがただ単に自分の仕事の出来が悪かった。異動直前の送別会で初めて酒を酌み交わした時『よう頑張ったな、これからも頑張れよ』と言われ、これまで自分を育てるために厳しくしていたのだとはっきりと分かった。感極まり号泣した」

と供述を終えたのだ。

取り締まりを受けたドライバーが、事件後に違反切符の担当警察官名を見て、事件当日の被告人ということに気づいた

被告人は勾留中に開示されたこの元部下の調書を読み「自分より厳しい指導を受けていた、それでも潰れなかった。被害者は自分を育てようとしていたのだとわかって後悔し、うつ状態となった」(弁護側冒頭陳述より)という。

厳しい指導に隠された裏にある上司の思いというものは、その指導が終わってから気づくことのほうが多い。また同じ指導でも、教える側の人格、教わる側の人格により、まったく違う結果を生む。

直近の例では、明石市の泉房穂市長(55)が2017年6月に、道路の拡幅事業で立ち退き交渉を担当する職員に対して「火をつけてこい」などと暴言を吐いたことが暴露され、市長が謝罪会見ののちに辞意を表明した報道が記憶に新しい。

ところがこの暴言に「続き」があったと報じたのが神戸新聞だ。それによると「ほんまに何のためにやっとる工事や、安全対策でしょ。あっこの角で人が巻き込まれて死んだわけでしょ。だから拡幅するんでしょ。(担当者)2人が行って難しければ、私が行きますけど。私が行って土下座でもしますわ。市民の安全のためやろ」など、暴言を吐いた理由を説明し市民の安全を慮っていたことが分かっている。「火をつけてこい」という発言自体には弁明の余地はないものの、この一連の発言がパワハラなのか否かには、現在も注目が集まっている。

指導の真っ只中において、上司は「教育」と思っていても、受け取る側は「パワハラ」と感じ、その臨界点を超えて彦根市の事件は起こった。

被告人は事件後パトカーで逃走するなか、コンビニに立ち寄り、タバコ2箱とライターを買った。その後、民家の縁石にパトカーをぶつけ、タイヤをパンクさせてしまったため、これを乗り捨てて徒歩で逃走。制服を脱ぎ、拳銃や警棒などを田んぼに捨て、フラフラと歩いているところを確保された。元巡査は、どんな思いで逃げていたのだろうか。判決は2月8日に言い渡される。

  • 取材・文高橋ユキ

    傍聴人。フリーライター。『暴走老人・犯罪劇場』(洋泉社新書)、『木嶋佳苗 危険な愛の奥義』(徳間書店)、『木嶋佳苗劇場』(宝島社)、古くは『霞っ子クラブ 娘たちの裁判傍聴記』(新潮社)など殺人事件の取材や公判傍聴などを元にした著作多数。

Photo Gallary3

share icon記事をシェアする

  • Facebook シェアボタン
  • Twitter シェアボタン
  • LINE シェアボタン
  • はてなブックマーク シェアボタン

Photo Selection

あなたへのおすすめ記事を写真から

関連記事