マサ斎藤 死してプロレス伝説を残した
アントニオ猪木との決闘は今も日本人の心に残っている
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「いまはとにかく言葉がでません。私の師匠であり、兄貴であり、親でもある、本当に特別な存在でした……」
ショックを隠し切れない様子でそう話すのは、プロレスラーの長州力(66)だ。
7月14日、人気レスラーのマサ斎藤が75歳で亡くなった。持病のパーキンソン病が悪化してのことだった。
まさに闘うために生まれてきたような男だった。大学在学時にレスリング全日本選手権を制覇し、’64年には東京五輪にも出場。’87年10月に行われたアントニオ猪木(75)との決戦、『巌流島の戦い』では、ルールも時間制限も無い中、2時間以上死闘を繰り広げた。
「巌流島を始めどの試合でも、マサさんはヒール(悪役)なのに尊敬の念を持たれていた。そんなレスラーはほかにいません。憎まれるヒールではなく、応援されるヒールなんです」(新日本プロレスリング元役員・上井(うわい)文彦氏)
“応援されるヒール”としてプロレス界で伝説を築いたマサ。そんな彼を誰よりも慕っていた長州力は、こう語る。
「マサさんにはプロレスにおいて大事なことをすべて教えてもらいました。いまの長州力があるのは間違いなくマサさんのおかげです」
マサは死してなお、日本のプロレス界に影響を及ぼし続けているのだ。
写真:日刊スポーツ、東京スポーツ