16回の改名、なめくじ長屋…。古今亭志ん生の豪快過ぎる貧乏人生 | FRIDAYデジタル

16回の改名、なめくじ長屋…。古今亭志ん生の豪快過ぎる貧乏人生

大河ドラマ『いだてん』でまたもブーム到来か? 落語の神様の破天荒エピソード

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現在放送中のNHK大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺~』の中で、作中の現在と過去に登場し、物語の語り部としての役割を果たしているのが、ビートたけし演じる落語家・古今亭志ん生。ご存知の通り昭和の名人の一人に挙げられる落語家で、現役当時だけでなく、没後何度も再評価され、そのたびに〝志ん生ブーム″を巻き起こしてきた。 

金が入るとすぐに酒や遊びに使ってしまった志ん生。そのため多くの貧乏エピソードや苦労話が語られる。

借金取りから逃れるため「16回改名」

志ん生は50歳を目前にようやく売れっ子になるまで、ずっと貧乏暮らしをしていた。方々に借金をしてはまったく返済をせず、そればかりか借金取りから逃れるために芸名を次々に変えていった。三遊亭朝太から始まり、円菊、馬太郎、武松、馬きん、志ん馬、馬生…。その後、講釈師になって小金井芦風、また落語家に戻って2回目の志ん馬、馬生を名乗り、改名すること16回。昭和14年(1939年)49歳で五代目古今亭志ん生を襲名して、ようやく名前を変えずに人気落語家としての道を歩むようになった。

手元にあるものは「誰のものだろうが質入れ」

11~12歳のころに父親の年金証書を抵当にして金を借りたことに始まり、14~15歳ころにまたも父親が大切にしていたキセルを質入れ。このことが父親にバレ、槍で突き殺される寸前で家出をして以来、実家に戻らなかったという志ん生。その後も、結婚した妻の長持ち(衣類などを入れる箱)、箪笥、釡、琴を次から次へと質入れし、1ヵ月半で嫁入り道具がすべて無くなったとか。さらに自分や妻の持ち物だけに収まらず、仕立ての仕事をしていた妻が預かっていた他人の着物、師匠の羽織までも質に入れ遊びに使っていた。

貧乏のどん底、一家で住んだのは「なめくじ長屋」

貧乏時代、「どこも家賃を払ったことがない」と語る通り、家賃を滞納しては、夜逃げ同然に引っ越しを繰り返してきた志ん生一家。「家賃はタダでいいから住んでほしいという家がある」と聞き、喜んで引っ越したはいいが、そこがその後「なめくじ長屋」と呼ばれる家だった。沼地を埋め立てた場所にあり、誰も住みたがらない家だったので、大家が「誰か住んでいればそれにつられて住んでくれるだろう」と志ん生一家を誘致。実際に住んでみると一軒だけ灯かりがついている家に、周辺の蚊が一斉に集結。「ただいま」と言ったそばから20~30匹もの蚊が口に入ってくるほどで、「蚊帳が命の次に大事」なものになっていた。さらに一家を悩ませたのが、毎日ちりとりでさらわなければならないほどの巨大ななめくじの大群。なめくじが這った跡はぬめぬめと銀色に光り、食べ物は片っ端から食べられ、おかみさんはかかとをかじられたといい、一家全員がなめくじの「ピシッ、ピシッ」という鳴き声を記憶しているという。そんな「なめくじ長屋」があった場所のすぐ目の前に、現在は東京スカイツリーがそびえ建っている。

そんな、数々の貧乏エピソードが語られる志ん生。当然、子供たちもその巻き添えを食らっていて、長男の十代目金原亭馬生は「(人のものもすぐ売るが)人にあげたものはいつまでも覚えている。親父(志ん生)からもらった煙草入れもすぐに取り返されて売られた」と言い、次男の二代目古今亭志ん朝は「親父は貧乏ではなかった。苦労したのは兄や姉だった」とのちに語っていたそう。おかみさんや子供たちは、志ん生よりも貧乏に悩まされていたようだ。

 

参考文献:「びんぼう自慢」(古今亭志ん生/ちくま文庫)、「志ん生、語る。」(岡本和明/アスぺクト)、「寄席紳士録」(安藤鶴夫/角川書店)、「寄席育ち」(三遊亭圓生/青蛙房)、「おしまいの噺」(美濃部美津子/アスペクト文庫)、「志ん生一代(下)」(結城昌治/中公文庫)、「落語無頼語録」(大西信行/角川文庫)、「永久保存版 古今亭志ん生 落語の神様/河出書房新社)

 

  • 取材・文高橋ダイスケ

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