元デイリースポーツ社記者、時事通信社編集委員

谷川 俊規

<figure id="attachment_320127" aria-describedby="caption-attachment-320127" style="width: 3702px" class="wp-caption alignnone"><a href="#" data-ident_hash="9dbdd6b8"><img src="https://res.cloudinary.com/fridaydigital/image/private/t_article_image/wpmedia/2023/07/bb5d7b035707e88039ba1b3307fa77a0.jpg" alt=""></a><figcaption id="caption-attachment-320127" class="wp-caption-text">’83年のドラフト１位で阪急に入団した野中は24歳で引退。肩痛が癒えて台湾でプレー後に中日にテスト入団（写真：ベースボールマガジン社）</figcaption></figure>
<p><span class="strongInContent">「どんな世界であっても、謙虚な気持ちを忘れずに、自分の目の前に与えられていることをきちんとやることが大切なんです。野球をやめても、社会人として、通用する子となってほしいんです」</span></p>
<p>水戸黄門のようなあごひげをたくわえたその男は、縁結びの神で知られる島根県出雲市の「出雲大社」から車で約２０分の場所に位置する私立「出雲西高等学校」でノックバットを握っていた。ちょうど40年前の’83年夏の甲子園で、のちの巨人のエース・水野雄仁投手のいた池田高校に準々決勝で挑み、高校球史に残る戦いをした中京高のエース、野中徹博（58）だ。</p>
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<p>その年の池田高校は前年、早実のエースでのちにヤクルトで活躍する荒木大輔を打ち砕き、優勝候補の筆頭といわれた。対抗馬と評された中京との一戦は「事実上の決勝」とうたわれ、前夜からチケットを求めて徹夜するファンが多数出現。試合開始直後に満員札止めになる盛り上がりぶりだった。</p>
<p>現在、野中が教える出雲西高の野球部員は20名。３年生が９名、２年生が８名、１年生が３名の構成。７月半ばから始まる「夏の甲子園」の地方予選にあたる島根県大会に登録できるは１チーム20名で、部員全員がベンチ入りする。少ない人数で練習を行う選手のかたわらで「子供らには『池田高校は11人で甲子園へ行って準優勝したこともあるんだよ、といっています」</p>
<p>野中は、前述した池田高校戦で水野と投げ合い、１-３で敗れたものの、春夏合わせて3度の甲子園出場（10勝３敗）の後、&#8217;83年秋にプロ野球・阪急ブレーブスにドラフト１位で入団。‘85年に主に先発投手として一軍での登板機会を得たが、故障や病気で活躍できず、’88年に野手に転向。</p>
<p>身売りによりオリックスと球団名が変わった１年目、‘89年に自由契約となった。その年、二軍で主に三塁手としてプレーし３割をはるかに超える打率を残し、「（野手として）やれる！」と自信を持ったところで受けた非情な戦力外通告だった</p>
<p>契約解除を告げた球団側は「他球団に移れるよう話をする」といってきたが、野中は「移れる保証はあるんですか？」と聞き返した。それに答えられなかった球団側に「それならやめます」と自ら引退のカードを切った。まだ24歳だった。</p>
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<p>その後、野球からは完全に離れてラーメン屋での修行や広告関係の仕事をしていた27歳の時、野中は旧知の新聞記者と数年ぶりに会った。</p>
<p><span class="strongInContent">「テレビの企画で、軟式の球を投げてみたんです。そしたら138キロが出たんです」</span></p>
<p>この話をその記者は聞き流さず、こう返答した。</p>
<p><span class="strongInContent">「硬式なら140キロ台半ばだろうね。プロに投手で復帰できるんじゃないか」</span></p>
<p>さらにその記者は、当時ルートさえほとんどなかった海外のプロ野球で活躍できれば、日本に戻れる方法を考える、と野中に約束したという。それが翌年の台湾での投手としての活躍と日本球界への復帰へつながっていく。野茂英雄投手が大リーグへの道を切り開くより３年も前の話だ。</p>
<div data-friday-nextpage-lead="阪急の同期入団にいたイケメン左腕エース"></div>
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<figure id="attachment_320128" aria-describedby="caption-attachment-320128" style="width: 1024px" class="wp-caption alignnone"><a href="#" data-ident_hash="4d952146"><img src="https://res.cloudinary.com/fridaydigital/image/private/t_article_image/wpmedia/2023/07/750cbd51b4b2e6a597f2e6b3c5e19c09.jpg" alt=""></a><figcaption id="caption-attachment-320128" class="wp-caption-text">’83年のドラフトで指名された阪急ブレーブスの入団会見。背番号18を背負った野中（前列右）。同期入団にはのちにオリックスのエースとなる星野伸之（後列右から3人目）がいた（写真：産経新聞社）</figcaption></figure>
<h3>ドラフト１位で指名されてから初勝利まで14年かかった</h3>
<p>現役を引退して４年が経過した‘93年、野中は台湾プロ野球の「俊国ベアーズ」で投手として入団し、１５勝をあげた。翌年、中日にテスト合格し日本プロ野球界への復帰を果たす。その年、プロ野球史に残る、最終戦で優勝決定戦となった巨人との’94年「10・８」に４番手として、最後の２イニングを投げた。</p>
<p><span class="strongInContent">「９回に川相昌弘さんに打たれて無死三塁のピンチを作りました。でも、あとを抑えることができた」</span></p>
<p>後続は松井秀喜、岡崎郁、原辰徳。絶体絶命のピンチでこの３人を打ち取り、無失点で切り抜けたのだ。</p>
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<p>この年の３月のオープン戦の中盤。寝違えなどで登板回避が数度続いた後、野中は「今日、登板できなければ２軍へいってもらう」と首脳陣から通告されている。テスト入団の野中にとって、事実上の最後通牒だった。</p>
<p>そういう状況で迎えた、阪急の本拠地だった西宮球場でのオリックス戦。その日、終盤にマウンドに立った野中は、イチローに右前打を許すなどして無死満塁のピンチを作ってしまう。しかし、後続のパンチ佐藤らを抑えて無失点で切り抜けた。</p>
<p><span class="strongInContent">「あそこで崩れてたら、そのあと自分がどうなったのか分かりませんね」</span></p>
<p>ようやくつかんだ好機をフイにするかもしれない野球人生ぎりぎりのピンチに動じず、甲子園を沸かせた高校時代から潜在的に持っていた土壇場で発揮される集中力。それが、野球人生を左右したオープン戦のオリックス戦、そして「10・８」でも生きた。</p>
<p><span class="strongInContent">「あの時は、自分のことよりも、優勝したかった。その一心です。もう点数を与えるわけにはいかなかった」</span></p>
<p>’96年のオフに中日を自由契約となり、翌&#8217;97年にヤクルトへテスト入団した。当時のヤクルトは野村克也監督に、正捕手が野中と同期の古田敦也だった。</p>
<p><span class="strongInContent">「古田は、僕にはほとんどサインを出さなかったです。投球の組み立てを任せてくれていた。野村監督が古田に“野中は自分で投球が考えられる”といってくれてたと思います」</span></p>
<p>同年５月、プロ初勝利を挙げる。ちなみに、ドラフト１位で指名されてから初勝利まで14年費やしたのは、NPBの投手の最長記録だ。当時の試合後のインタビューでは、途中で感極まったのか、言葉がところどころ途切れたというが、そのことについてたずねると意外にも「どうだったか、詳しく覚えてないんですよ」という答えが返ってきた。</p>
<p>高校時代から優勝の現場にほぼ縁のなかった野中にとって、自分の勝ち負けよりも、チームの勝利のほうが大きくなっていたのだ。そしてこの年、野中の活躍も功を奏してヤクルトは優勝。その決定の瞬間、輪に居られたことで野中のプロ野球人生は完結していた。</p>
<p>翌‘98年シーズン終了後、二度目の引退を迎えると、下水道調査の会社などで働いた。出雲西高の監督となる直前まで、広告サインメーカーに長く勤務。現在の高校で監督に就任後も、平日の昼間は建設関係の会社勤めを変わらず続けている。</p>
<p><span class="strongInContent">「24歳で最初の引退を迎えた時、今振り返るとは色々な意味で若かったですね。野球ができないというのが、どれだけ自分にとって苦しいことか、分かってなかったです。引退してから後悔のような気持がこみ上げてきたというか……」</span></p>
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<h3>プロ通算２勝の生き様は、284勝の山田久志からも認められた</h3>
<p>&#8217;06年のワールド・ベースボール・クラシック（WBC）第１回大会では、打撃投手を打診された。すでに２回目の引退後、８年が経過していた。</p>
<p><span class="strongInContent">「津野浩君（元日本ハムなど＝現プロゴルファー）や河野博文さん（元巨人など＝現実業家）らと一緒に打撃投手に呼ばれました。当時、働いていた仕事場に『ひと月半休めますか？』と相談したら『それはダメだ』と。そこで私は打撃投手の仕事を選びました。もちろん、WBCが終わったら仕事先を探さなければいけないのは分かってました」</span></p>
<p>なぜそんな選択をしてきたのか。</p>
<p><span class="strongInContent">「僕は一度引退して野球界を離れ、もう一度台湾で投げられるようになって以来、『野球をできるようになったことが幸せ』をずっと感じています。だから野球と少しでも関わりをもてるのであれば、話を聞いてきました。プロ野球界にいると、コーチや監督への不満をもらすことで時間を費やしているプロの選手もたくさん見てきました。野球をやれる幸せを思えば、そんなことに時間をかけることなんてもったいないと思ってみていました」</span></p>
<p>野中をドラフトで指名した阪急は消滅してから35年経つ。この球団はOBのつながりが手厚く、コロナ禍になる数年前まで、OB会が毎年１２月に行われていた。その場に何度か出席した野中は、名球会入りの大御所で通算284勝の山田久志氏や世界の盗塁王の異名を持つ福本豊氏から「ようやったなあ」という意味の言葉を声をかけてもらえていたという。</p>
<p><span class="strongInContent">「日本のプロで２勝しかしていない僕に一目置くような感じで接してくださった」</span></p>
<p>24歳で一度引退してから故障が癒えた後に球界に戻り、一軍の一番ヒリヒリする舞台に戻ってきた野中の足跡は、名球会戦士からも認められたのだ。</p>
<div data-friday-nextpage-lead="髭を伸ばしている理由"></div>
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<figure id="attachment_320129" aria-describedby="caption-attachment-320129" style="width: 3648px" class="wp-caption alignnone"><a href="#" data-ident_hash="6ba73480"><img src="https://res.cloudinary.com/fridaydigital/image/private/t_article_image/wpmedia/2023/07/3a1c2dd294429237da738a78a0bd4339.jpg" alt=""></a><figcaption id="caption-attachment-320129" class="wp-caption-text">現在の野中氏（撮影：谷川俊規）</figcaption></figure>
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<p>夏の大会を控えた6月、出雲西高に練習を見に行くと、野中はひとりでバットを振り続け、打撃投手も務めていた。野球部の指導に関わっている人で車の運転免許を持っているのは野中ひとりしかいないため、練習終了後のグラウンド整備や遠征に出向くときのマイクロバスの運転も野中がひとりで行う。そんな境遇にあっても野中はむしろ、楽しげだ。</p>
<p><span class="strongInContent">「この子らのほとんどは、ここを出たら野球はやらないんです。でも、どの世界にいくことになっても、人が成長するためには自分で行動し、自分で考えなければいけないんです。そういうことを伝えてます」</span></p>
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<p>そんな野中の言葉の奥。好きな野球に向き合える幸せを胸に、率先して笑顔で動く野中の姿を見ている高校生の心には十分に響いているのではないか。</p>
<p>7月12日に始まる島根県大会。野中は指導者としての甲子園出場経験はまだない。それでも、出雲西高は’15年から野中が監督を務めた初年度の&#8217;19年も含め５年連続で初戦敗退だったが、それ以後、春の選抜大会につながる「中国大会」に２度駒を進めるなど、指導の成果は明確に出ている。</p>
<p><span class="strongInContent">「島根県は県大会出場38チームのどこが甲子園に行ってもおかしくない状況です。38分の１。可能性はあります。甲子園では髭は禁止だから（たくわえたあごひげを）剃らないかんよ、とほかの高校の監督からいわれています」</span></p>
<p>「高校野球の監督は威厳があったほうがいい」と今年の春先から伸ばし始めたひげ。「もちろん、そのときは剃りますよ」と野中のいう甲子園出場が、生徒の頑張りで現実となる日が待ち遠しい。</p>
<figure id="attachment_320130" aria-describedby="caption-attachment-320130" style="width: 3648px" class="wp-caption alignnone"><a href="#" data-ident_hash="7f50db01"><img src="https://res.cloudinary.com/fridaydigital/image/private/t_article_image/wpmedia/2023/07/6c2aed5c6aed8ccde35947499f4e0231.jpg" alt=""></a><figcaption id="caption-attachment-320130" class="wp-caption-text">あと２年で還暦。それでもボールとグラブを持つと少年のような表情に戻った（撮影：谷川俊規）</figcaption></figure>
<figure id="attachment_320131" aria-describedby="caption-attachment-320131" style="width: 3648px" class="wp-caption alignnone"><a href="#" data-ident_hash="96efc242"><img src="https://res.cloudinary.com/fridaydigital/image/private/t_article_image/wpmedia/2023/07/92d8c257e55b11bc74ce98be06999fe5.jpg" alt=""></a><figcaption id="caption-attachment-320131" class="wp-caption-text">練習を見に行った6月、円陣を組んで部員に指示を出す光景は見られなかった。「どの世界にいくことになっても、人が成長するためには自分で行動し、自分で考えなければいけない」（撮影：谷川俊規）</figcaption></figure>
<figure id="attachment_320132" aria-describedby="caption-attachment-320132" style="width: 649px" class="wp-caption alignnone"><a href="#" data-ident_hash="7f6f3e26"><img src="https://res.cloudinary.com/fridaydigital/image/private/t_article_image/wpmedia/2023/07/927a720c5805befa17e0de2cc27b3b0e.jpg" alt=""></a><figcaption id="caption-attachment-320132" class="wp-caption-text">’83年夏、当時、池田高校のエースでのちの巨人でも活躍した水野雄仁と投げ合った甲子園。この夏、監督としてもう一度行くことができるだろうか（写真：産経新聞社）</figcaption></figure>
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谷川俊規

ちょうど40年前の夏、池田高校のエース水野雄仁と投げ合った男は今、出雲西高校の野球部監督だ。入団した阪急で花が咲かず、一度引退した後、肩痛が癒えて日本球界で活躍した男は高校生に何を伝えているのか。

「24歳で引退したら後悔が…」プロ球界に戻り“10・８巨人戦”に投げた男が高校生に伝えていること

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