「運命の出会いで僕は変わった、これから恩返しです」クビを覚悟した中日・細川成也が開花できた理由 | FRIDAYデジタル

「運命の出会いで僕は変わった、これから恩返しです」クビを覚悟した中日・細川成也が開花できた理由

″奇跡″のオールスター出場へ プロ7年目、「クビを覚悟した男」が現役ドラフトで開花して″竜の若き主砲″に

  • Facebook シェアボタン
  • X(旧Twitter) シェアボタン
  • LINE シェアボタン
  • はてなブックマーク シェアボタン
5月27日のDeNA戦でサイ・ヤング賞投手のバウアー(32)から2発。バウアーはあるYouTubeチャンネルで「一番凄いと思った日本の打者」に細川の名をあげた
5月27日のDeNA戦でサイ・ヤング賞投手のバウアー(32)から2発。バウアーはあるYouTubeチャンネルで「一番凄いと思った日本の打者」に細川の名をあげた

ドラマよりドラマチックだ。

過去6年間の通算打率は.201。昨シーズン、一軍で打ったヒットはわずかに1本。硬く閉じていた中日・細川成也(24)のつぼみが一気に花開いた。6月までですでに10本塁打。貧打にあえぐ中日待望の大砲となり、現役ドラフトで移籍後、わずか7ヵ月でオールスターに選ばれ、本塁打競争で決勝まで駒を進めた。

「テレビでずっと見てきたオールスター戦に出られるとは思ってもいなかった。(古巣の)DeNAのレギュラーの人と出られるのは嬉しいです。でも僕の中ではまだまだ。今はとにかく、毎日結果を出さなければ、と必死です」

細川は高校時代に63本塁打を放って「茨城の中田翔」と呼ばれ、’16年のドラフト5位でDeNAに入団した。ルーキーイヤーの終盤、一軍に昇格するとデビュー戦から2試合連続で本塁打。高卒新人で史上初の快挙を成し遂げた。

ところが、そのまま大輪の花を咲かせるかと思いきや、2年目以降は鳴かず飛ばず。ファームでしか打てず、「二軍の帝王」と揶揄(やゆ)されもした。

「どうやったら一軍で結果を出せるのかと毎日野球のことばかり考えて、気づいたら6年がたっていた。去年はクビも覚悟していました」

開花の陰には、恩師の存在があった。細川が通った茨城の強豪・明秀日立高の金沢成奉(せいほう)監督(56)は、巨人・坂本勇人内野手(34)ら何人ものプロ選手を育てた名指導者で、細川は同監督に憧れて入学した。一方の金沢監督は「細川の名前を知ったのは入学後、2ヵ月ぐらいたってから」だったという。ある試合中にトイレに行くと、その脇で懸命にバットを振っていたのが細川だった。

「とてつもないスイングをしていて……。これは育てなきゃいかん、と付きっ切りで見始めました。ただなかなかバットにボールが当たらなかった」

2年生になるとようやく頭角を現し、パワーヒッターとして注目され始めた。細川の活躍で3年夏の茨城大会では創部以来初の決勝まで駒を進めた。

プロ入り後も毎年、細川は金沢監督のもとに挨拶に訪れたが、掛けられる言葉は厳しく、「それでもプロか」と突き放された年もあった。

「飛ばす能力は坂本とは比にならないぐらい凄くて日本人離れしていますが、一生懸命すぎて”抜く”ことを知らない。プロ入り後はタイミングの取り方が悪くて打球の質がよくなかったので、このままでは一軍で活躍し続けるのは難しいと感じていました」(同監督)

はからずもつながった和田一浩打撃コーチとの縁

伸び悩む細川を見ながら金沢監督が思い浮かべたのが、大学の後輩にあたる和田一浩・現中日打撃コーチ(51)だった。和田コーチはタイミングの取り方を大事にする右打者で、指導法は細川に合うと考えた。そこで和田コーチ(当時は野球評論家)に「細川に会うことがあれば、相談に乗ってあげて欲しい」と頼み、細川にもその旨を伝えていた。

過去6年間、じっくり面談する機会はなかったが、同監督の願いは図らずも運命の出会いにつながる。昨秋、中日が和田打撃コーチの就任を発表。その約2ヵ月後に、細川の中日入りが決まったのだ。

「いい出会いになりました。和田さんと色々な練習をすることで、バッティングの中身はたくさんあり過ぎるぐらい変わった。僕自身、ラストチャンスでしたので『和田さんについていく』と覚悟を決めたことが一番、大きかった」(細川)

身体の使い方から見直し、朝から行われる春のキャンプでも、遅い日は夜8時まで猛練習した。課題だったタイミングの取り方が少しずつ改善しはじめた。

「今年1年間出場し続けて、結果を残せたら、お世話になった皆さんへの恩返しになるのではないかと思っています」

細川が着る中日ドラゴンズのレプリカユニフォームが店頭で売られるようになったのは、つい最近のことだ。球団の予想を超えるスピードで成長を遂げた細川。これからも奇跡を積み重ね、昇り龍になる。

パワーを生み出す太い腕。中学時代、ジャベリックスロー(やり投げにつながる投擲(とうてき)競技)に挑み、77m超えを記録
パワーを生み出す太い腕。中学時代、ジャベリックスロー(やり投げにつながる投擲(とうてき)競技)に挑み、77m超えを記録
「運命の出会いで僕は変わった、これから恩返しです」クビを覚悟した中日・細川成也 本誌未掲載カット
「運命の出会いで僕は変わった、これから恩返しです」クビを覚悟した中日・細川成也 本誌未掲載カット
「運命の出会いで僕は変わった、これから恩返しです」クビを覚悟した中日・細川成也 本誌未掲載カット
「運命の出会いで僕は変わった、これから恩返しです」クビを覚悟した中日・細川成也 本誌未掲載カット
「運命の出会いで僕は変わった、これから恩返しです」クビを覚悟した中日・細川成也 本誌未掲載カット
「運命の出会いで僕は変わった、これから恩返しです」クビを覚悟した中日・細川成也 本誌未掲載カット

『FRIDAY』2023年7月28日号より

  • 取材・文塩崎記子写真佐藤茂樹

Photo Gallery5

FRIDAYの最新情報をGET!

Photo Selection

あなたへのおすすめ記事を写真から

関連記事