1969年生まれ。ジュニアライト級でボクシングのプロテストに合格するも、左肘のケガで挫折。週刊誌記者を経て、ノンフィクションライターに。1996年に渡米し、アメリカの公立高校で教壇に立つなど教育者としても活動。2014年、東京大学大学院情報学環教育部修了。著書に『マイノリティーの拳』『アメリカ下層教育現場』『アメリカ問題児再生教室』（全て光文社電子書籍）『神様のリング』『世の中への扉 進め! サムライブルー』、『ほめて伸ばすコーチング』（全て講談社）などがある。ジェイ・ビー・シー（株）広報部所属

林 壮一

<figure id="attachment_324081" aria-describedby="caption-attachment-324081" style="width: 4588px" class="wp-caption alignnone"><a href="#" data-ident_hash="df67a1b2"><img src="https://res.cloudinary.com/fridaydigital/image/private/t_article_image/wpmedia/2023/07/21c93dd04bc303d98a9f685374539cc3.jpg" alt=""></a><figcaption id="caption-attachment-324081" class="wp-caption-text">負け知らずだったフルトンを一蹴した井上尚弥。日本ボクシング史上、最強・最高のボクサーだ</figcaption></figure>
<p>井上尚弥（30）の挑戦を受けたステファン・フルトン・ジュニア（29）の故郷、ペンシルバニア州フィラデルフィアで、WBC/WBOスーパーバンタム級タイトルマッチのTV中継が始まったのは現地時間7月25日の午前8時だった。</p>
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<p>当地出身で、現在もフィラデルフィア近郊に住む元世界ヘビー級チャンピオン、ティム・ウィザスプーンは、前座が始まった午前4時半には起きられなかった。だが、メインイベントは見ようとソファに腰掛け、画面を見詰める。そして、およそ40分間、井上が4階級制覇を成し遂げたファイトを目にした。<br>
WBCとWBAでヘビー級タイトルを獲得したウィザスプーンは、井上が8ラウンド1分14秒でKO勝ちするシーンを見届けると、言った。</p>
<p><span class="strongInContent">「リングに上がったフルトンを見て、かなりナーバスになっているのが読み取れた。記者会見でヤツのトレーナーが、イノウエのバンテージの巻き方について、ああだこうだと捲（まく）し立てたのも、公開練習を数分で切り上げたのも、緊張の表れだな。本人もセコンド陣も、気持ちに余裕が無かったね。</span></p>
<p><span class="strongInContent">実際、ゴングが鳴ってからのフルトンの動きは固かった。左ジャブを出すことは出したが、届かない距離だった。もう一歩近付くと、イノウエの強打の餌食になるからな。逆にイノウエはリラックスして、チャンピオンのパンチが良く見えていた。最初のラウンドで、こりゃあイノウエのペースだ、心理的に優位に立ったのはチャレンジャーだなと感じたよ」</span></p>
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<p>井上は再三ボディーへのジャブ、そして2つ目のパンチとして右ストレートを放った。</p>
<p><span class="strongInContent">「序盤は、なかなか右が当たらなかったな。でも、イノウエは気が強い。どこかでフルトンを捕まえてやる！ 　という意志を示していた。その仕掛けがボディーへの左ジャブだったのさ。俺は『ボクサーはディフェンスが大事だ』と言い続けているだろう？　チャレンジャーのバックステップが光っていたのに対し、チャンピオンにはこれといった防御が無かった。</span></p>
<p><span class="strongInContent">下がってグルグルとリングを回るボクシングじゃ、12ラウンドはもたないよ。イノウエはビーストとしか思えない爆発力を備えているからね。2ラウンドに入り、3つ4つと挑戦者が繰り出すコンビネーションをブロックしながら、フルトンは『こんなのをもらったら危ない』という気持ちになっていた筈だ。ラウンドを重ねるに連れて自信を深めていった挑戦者と、自分が築き上げたものが崩れていったチャンピオン。両者の差がどんどん広がっていったな」</span></p>
<figure id="attachment_324079" aria-describedby="caption-attachment-324079" style="width: 4588px" class="wp-caption alignnone"><a href="#" data-ident_hash="2e7d4a41"><img src="https://res.cloudinary.com/fridaydigital/image/private/t_article_image/wpmedia/2023/07/b3aff0bffd85a9c4264a0f31bcf78999.jpg" alt=""></a><figcaption id="caption-attachment-324079" class="wp-caption-text">今回は、ボディーへの左ストレートで試合を組み立てた</figcaption></figure>
<div data-friday-nextpage-lead="「フィラデルフィア・スタイル」を凌駕"></div>
<p>フルトンとの試合がスーパーバンタム級での１戦目と思えないほど、井上の体躯はぶ厚かった。</p>
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<p><span class="strongInContent">「フルトンにしてみれば、バンタムから上がってきた選手には負けられない、という感情があっただろう。でも、パンチを受けてみて、驚かざるを得なかった。背はフルトンが高いが、骨格も体付きも、挑戦者の方が大きかった。5ラウンド、イノウエのパンチを貰いながらチャンピオンがワンツーを当てたシーンを覚えているか? 　あそこでフルトンは一気に行けず、捌（さば）かれてしまった。強引にでも詰められるかどうかが、肝心なんだよ。</span></p>
<p><span class="strongInContent">ボクシング界には『フィラデルフィア・スタイル』って呼ばれるものがある。接近戦でのカウンターを駆使する戦い方さ。巧みに相手の攻撃を外して、渾身の一発を叩き込む。力を込めていなくても、タイミングが合えば倒せるんだよ。それには、高度なディフェンスが不可欠。フルトンは今回、イノウエの攻撃を躱（かわ）すどころか、いいようにやられてしまった。効果的な攻めがまるで無かった。21戦全勝だったが、テクニックもスピードもパンチ力も、そしてメンタルも、何一つビーストに勝るものがなかった。</span></p>
<p><span class="strongInContent">多少、イノウエのパンチを躱しはしたが、それだけじゃポイントには結び付かない。フィラデルフィアンとして、フルトンを応援したい気持ちはあったが、6ラウンド以降、俺はイノウエがどう仕留めるかに注目した。イノウエは、フルトンのパンチが全部見えていたから、よけやすかったよね」</span></p>
<figure id="attachment_324076" aria-describedby="caption-attachment-324076" style="width: 4500px" class="wp-caption alignnone"><a href="#" data-ident_hash="0adaa888"><img src="https://res.cloudinary.com/fridaydigital/image/private/t_article_image/wpmedia/2023/07/ed3290d5032e19599449282d4065da5d.jpg" alt=""></a><figcaption id="caption-attachment-324076" class="wp-caption-text">井上の特徴のひとつは集中力。練習時から、自分を追い込める</figcaption></figure>
<p>6回は左ジャブの差し合いで、井上がアドバンテージを取る。同ラウンド中ほどにステップインして顔面にジャブを打ち、間髪を入れずに左フックを見舞った挑戦者の連打は、芸術的でさえあった。</p>
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<p><span class="strongInContent">「速かったなぁ、あの2発。俺も唸ったよ。超一流のボクサーってのは、アートの域に達する。間違いなく、イノウエもそう言えるだろう。手数もパワーも挑戦者が上。フルトンはもう一工夫したかっただろうが……出来ないのさ。後手後手になりながら、食らい付くのが精一杯だった。</span></p>
<p><span class="strongInContent">7回のチャンピオンも、相手を見ている時間が長く、手が出なかったな。一発いい右フックをヒットしたのに『打ち終わりを狙われる』とか『接近するとイノウエのハードパンチを喰ってしまう』という恐怖から、逃げるしかなかった」</span></p>
<p>続く第8ラウンド、ボディーへの左ジャブ、右ストレート、そしてフォローの左フックで、井上はWBA/WBOスーパーバンタム級王者からダウンを奪う。一度は起き上がったフルトンだったが、さらに連打を浴び、キャンバスに沈む直前にレフェリーが試合をストップした。</p>
<div data-friday-nextpage-lead="最強王者への提言"></div>
<p><span class="strongInContent">「イノウエはモンスターって呼ばれているんだよな？　俺にはビーストの方がしっくりくるよ。全盛期のマイク・タイソンみたいなノックアウトだったじゃないか。イノウエは122パウンドでは無敵だ。もっと階級を上げてもいいと思う。</span></p>
<figure id="attachment_324083" aria-describedby="caption-attachment-324083" style="width: 4588px" class="wp-caption alignnone"><a href="#" data-ident_hash="51903b28"><img src="https://res.cloudinary.com/fridaydigital/image/private/t_article_image/wpmedia/2023/07/c56a23a1deb9ce5394d7c88b093c107d.jpg" alt=""></a><figcaption id="caption-attachment-324083" class="wp-caption-text">ウィザースプーンはフリッカーに苦言を呈したが、ハーンズ以上にマスターする可能性も</figcaption></figure>
<p><span class="strongInContent">ただし、俺は敢えて苦言を呈すよ。（左手を下げてスナップをきかせて打つ）フリッカージャブはやめた方がいい。デトロイト・スタイルと呼ばれる構え方で、最も有名な使い手はトーマス・ハーンズ。ご存知の通り、ウエルターから5階級を制した伝説のチャンピオンだ。</span></p>
<p><span class="strongInContent">だが、結構打たれただろう？　哀しいかな、ハーンズの話し振りには、パンチを受けたダメージが感じられる。イノウエの能力があれば、ガードを上げて相手のパンチをグローブでキャッチして、もう片方の拳でカウンターを取るような技術もマスター出来る。ボクシングは、絶対に打たせちゃダメなんだ」</span></p>
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<p>ディフェンスに長けていたからこそ45歳までリングに上がり、その直前まで世界9位にランクされていたウィザスプーンは、引退後に後遺症に悩まされるタイプではない。彼はプロモーターに搾取され続けた過去を持つが、井上の未来については、こう述べた。</p>
<p><span class="strongInContent">「イノウエはの強さは本物だ。パウンド・フォー・パウンド論が良いか悪いかは別にして、1位になったり、ならなくたって上位に食い込んでいる。それが当然の男だよ。でも、今回のようにアメリカでの放送が平日の早朝になるような試合をしていては“知る人ぞ知る存在”になってしまわないか?　 これだけのファイトが出来るチャンピオンなんだから、本格的にアメリカに進出するべきだ。3試合じゃ少ないぜ。</span></p>
<p><span class="strongInContent">今回のファイトも、アメリカでもっと宣伝したらよかった。彼のパフォーマンスを好まないボクシングファンなんていないだろうよ。ボクシングを知っているし、速いし、パワーもある。申し分の無い選手だよ。本場で戦わなければ勿体無い。どこまで大きなチャンピオンになるか、俺も楽しみだ」</span></p>
<p>元世界ヘビー級チャンピオンは日本でベルトを失い、傷心で帰国した後輩も慮（おもんぱか）った。</p>
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<p><span class="strongInContent">「俺も含め、ほとんどのファイターが、貧しさから這（は）い上がるためにボクシングを選ぶ。フルトンも犯罪者だった父を持ち、希望の無いゲットー（貧民の居住区）でグラブを嵌（は）めた男だ。他に生きていく術を知らないから、現役を続けるだろう。21年にWBOチャンプだったフルトンがWBC王者との統一戦にサインした時、相手の半分しかファイマネーを貰えなかったんだよな。イノウエ戦だって、カネは保障されただろうが、敵地に乗り込んだ訳だ。チャンピオンであっても、日向を歩いて来たタイプじゃない。</span></p>
<p><span class="strongInContent">確かにイノウエには及ばなかった。今回、プライドも、ボクサーとして積み上げてきた物も粉々になっただろう。でも、まだ29歳。いい選手だし、諦める年じゃない。フィジカルトレーナーを付けて体幹鍛え、そのうえで攻守一体のボクシングを学んでもらいたい。プロ生活初の敗北を喫して、ハートがズタズタになっただろうが、もう一度、自分を取り戻してほしいね」</span></p>
<p><span class="strongInContent">＜122パウンドのマイク・タイソン＞</span></p>
<p>世界ヘビー級チャンピオンに2度就いた男に、そう評されるのが井上尚弥だ。果たして、今後いかなる輝きを放つか。</p>
<figure id="attachment_324084" aria-describedby="caption-attachment-324084" style="width: 2589px" class="wp-caption alignnone"><a href="#" data-ident_hash="3b86f2e5"><img src="https://res.cloudinary.com/fridaydigital/image/private/t_article_image/wpmedia/2023/07/850656f81ab58a27e32987349666570b-2.jpeg" alt=""></a><figcaption id="caption-attachment-324084" class="wp-caption-text">五女と二人でフィラデルフィアの北、ペンシルベニア州ベンサレムで暮らす元ヘビー級チャンプのウィザースプーン©林壮一</figcaption></figure>
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<p><a href="#" data-ident_hash="5aaea7d6"><img src="https://res.cloudinary.com/fridaydigital/image/private/t_article_image/wpmedia/2023/07/a14668f0b640f5bfaaa9666c45da69e0-1.jpg" alt=""></a></p>
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1969年生まれ。ジュニアライト級でボクシングのプロテストに合格するも、左肘のケガで挫折。週刊誌記者を経て、ノンフィクションライターに。1996年に渡米し、アメリカの公立高校で教壇に立つなど教育者としても活動。2014年、東京大学大学院情報学環教育部修了。著書に『マイノリティーの拳』『アメリカ下層教育現場』『アメリカ問題児再生教室』（全て光文社電子書籍）『神様のリング』『世の中への扉 進め! サムライブルー』、『ほめて伸ばすコーチング』（全て講談社）などがある。

林壮一

松尾／アフロスポーツ

ＡＰ／アフロ

スーパーバンタム級1戦目がタイトルマッチ。しかも圧巻ＫＯ。あらためてモンスターぶりを見せつけた井上尚弥。その凄みと課題を元ヘビー級世界王者が解説する

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