松井稼頭央 「身体能力はほぼ現役」西武ライオンズ二軍監督の野望 | FRIDAYデジタル

松井稼頭央 「身体能力はほぼ現役」西武ライオンズ二軍監督の野望

密着インタビュー

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全選手の顔と名前、特徴、取り組んでいることも把握済み。「東尾修さん、星野仙一さんら、一緒にやらせていただいた監督さんのスタイルを自分なりに継承していきたい」(松井稼頭央監督)
全選手の顔と名前、特徴、取り組んでいることも把握済み。「東尾修さん、星野仙一さんら、一緒にやらせていただいた監督さんのスタイルを自分なりに継承していきたい」(松井稼頭央監督)

ときにファームの若い選手たちが逸(そ)らしたボールを拾いながらキャッチボールを見守っていた松井稼頭央二軍監督(43)は、記者を見つけるや、日焼けした顔を崩しながら右手を差し出した。

「はるばる高知まで、ありがとうございます。取材の方に来ていただくと、選手たちのいい刺激になります」

言われて周囲を見回すと、たしかに本誌の他にメディアはいない。球場がある高知市春野町の山中には選手たちの声だけが響いている――なんて思っているうちに、松井監督の姿もなくなっていた。

再び彼が球場に現れたのは、投内連係が終盤に差し掛かったころ。

「メヒアの打撃練習が始まったので、状態を確認しに行っていたんです。その後はブルペンに寄ってピッチャー陣の投げ込みを見て……その合間にコーチからの報告をもとにミーティングです。全体練習が終わった後は個別練習も見ます。毎日、朝9時から夕方6時ごろまでここにいますね。とにかく、監督は忙しい。想像以上でした(笑)」

この日も全体練習終了後、4年目の川越誠司外野手(25)の特守に付き合った。一緒にノックを受けて、手取り足取り指導。気づけばすっかり暗くなっていた。

精悍(せいかん)な顔つき、若手と遜色ない動きを見ていると、身体能力はほぼ現役レベルだ。そう水を向けると「実は監督就任要請を受けてから1週間ぐらい悩みました」と松井監督は苦笑い。「メチャクチャ嬉しかったんですが」と言って約1分沈黙したのち、ゆっくりと口を開いた。

「いずれは監督をやってみたいという想いはありました。ただ、(評論家として)外から野球を見たり、コーチ経験を積み、段階を踏んでからというイメージを持っていた。それに――オファーをいただいたときに、引っかかる部分があった。今季で引退すると決めてはいたんですが、可能性というか……若い選手に負けたくない、チャンスがあれば現役にこだわりたい、という気持ちがどこかにあった。自分の中で『足が衰えて走れなくなったら引き際かな』という考えがあって、実際にはまだ走れていたし、足も動いていたので……年とったら人間って、しつこくなるんですね(笑)」

就任要請を受ければ、現役続行の道は完全に閉ざされる。悩む彼を後押ししたのは美緒夫人と恩師の東尾修氏だった。

「『前に監督をやりたいって言ってたよね。本当に良かったね!』と家内は背中を押してくれました。東尾さんとは『こんな機会はなかなかない』という話をしました。移籍など節目で報告しているんですが、東尾さんも喜んでくれました」

原点は「初」の瞬間

ついに区切りをつけた日米25年間の現役生活。今もまぶたに焼き付いているのは「初」の瞬間だという。プロ初安打は’95年4月の日本ハム戦。初打席で初打点のおまけつきだった。

「マウンド上には芝草宇宙(ひろし)さん。スイッチヒッターになる前だから右打席でした。2ストライクに追い込まれていたんですけど、ヤマも張らず『来たボールは全部振ろう』と決めていました。真っ直ぐだった記憶がありますが、内角に来たのか外のボールだったのかは覚えてない。無我夢中でスイングして、気付いたらレフト前に打球が転がっていました」

メジャー初安打は’04年の開幕試合、アトランタ・ブレーブス戦。初打席の初球を本塁打するという衝撃のデビューを飾ったのだが、そこにもドラマがあった。

「オープン戦で打てず(打率.192)、守れず……開幕が近くなったある日、アート・ハウ監督から呼び出しがあったんです。『ああ、マイナー行きかな』と思ったら、『開幕戦で使うから、気にせんと自分の思うようにやりなさい』と。それですごく楽になった。それまで、動くボールとか深い芝だとか、メジャーの情報を詰め込み過ぎていた。まずは本能のままプレーして、壁にブチあたってから考えればいい。自分の良さは積極性。それだけは失わずにいこうと開き直れた。そこで『開幕戦の初球を打つ』と決めたんです」

今後は、ファームにいる若手たちの「初」を作る手伝いが松井監督の仕事となる。青年監督が立つ高知の地は、自身のキャリアが始まった場所だ。

「練習していた記憶しかないですね。投げる、捕る、振る、走るという基礎――土台を大きくできればと思っています。土台が大きければ、どんどん上に技術を積み重ねていける。逆に小さいとフラついてしまう。土台を大きくするには練習しかないんです。僕が入ったときの二軍監督は黒江透修(ゆきのぶ)さんでしたが、とんでもないエラーをしても試合で使ってくれました。短所を直すというより、長所を伸ばす方針で大きく、大きく育てていただいた。ファームにいる若い選手たちも、自分のいいところを伸ばしてアピールしてもらえたらと思います。毎年、キャンプの時期は『今年はヒット打てるのかな』と不安になる。その不安を解消するために僕はひたすら練習していました。そんなことを思い出しながら、若手と一緒に楽しくやっていきたいと思います」

気力も体力もほぼ現役。自身を創った猛練習で、次代のミスターライオンズを産み出す――それが松井監督の野望だ。

投内連係を見守る松井稼頭央監督(中央)と高木浩之野手総合コーチ。選手との距離は常に近い
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投手から外野にコンバートされた川越誠司(左)の打球処理の練習をマンツーマンで指導
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そのうち「やってみせたほうが早いな」と上着を脱ぎ捨て、監督も特守に参加した
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  • 撮影ジジ

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