台湾発のお洒落本屋「誠品書店」は、日本でも成功するのか?
台湾で大人気の誠品書店が、この秋、日本に初上陸する。単なる書店という枠を超えた空間作り、度肝を抜くコラボ企画など、その動向は、世界中のカルチャーシーンから注目を集めてきた。「蔦屋書店」がお手本としたともいわれている、この書店。中国語圏外での出店は、今回の日本橋が初めてになる。
この誠品書店の魅力と歴史を、『FRaU』の台湾特集をはじめ、数々の台湾関連の記事でお馴染みの青木由香さんに語ってもらった。
17年前、私が初めて出会った誠品書店は…
私が台湾に住み始めた17年前。すでに誠品書店・敦南店は洒落た空間と24時間営業を売りに、他とは一線を画す本屋として注目されていた。カッコよく作られた空間とは裏腹に、ヘッドホンで音楽を聴きながら、床にあぐらをかいて読書をする客や、夜中になるとおめかしし、ナンパを期待して待つ女子が出没することでも有名で(実際、ナンパスポットとして知られていた)、“台湾らしさ”もそこここに垣間見られるところだった。
今でこそ誠品書店の信義店や松菸店ではメイドイン台湾の土産物を扱っていて、観光客を真っ先に案内する場所となっているが、以前から私は「台北には面白い本屋があるんだよ」と深夜の敦南店に観光客をよく案内していた。当時の敦南店の下層階には、台湾ではあまり見かけない海外のブランドの店舗や飲食店があり、本屋というよりデパートのような機能を備えていた。
その後、私も台湾で本を出し、本を売る側の立場に回る。そうすると、台湾の読者に「本、読みましたよ!」と言われて喜んだのもつかの間、それが本を“買って”読んだのではないことが多々あることが判明! 作者本人に嬉しそうに「立ち読みで読みましたよ!」と言う読者の存在と、今でこそ日本でも当たり前になったが、その当時から一冊丸ごとタダで読ませてしまう台湾の本屋の存在に心底驚き、書店と出版社の経営を心配してしまった。案の定、24時間営業が売りの誠品書店は、立ち上げから15年赤字経営が続いていたと言う。
誠品書店は、1989年、呉清友によって創業される
その頃、台湾は38年も続いていた戒厳令が解かれたばかり。海外の映画や雑誌の輸入が禁止されていた文化の鎖国とも言える戒厳令時代、若者たちは、密輸で持ち込まれた雑誌をこっそり見て外国の情報を得ていた。
私が台湾に来たのは、台湾では芸術的なことがあまり理解されない時代。私が、美大出身だとわかると「芸術なんて食っていけないものを勉強するなんて…」「親に反対されなかった?」と言う人が何人もいて、「なぜだ?」という気持ちになったことをよく覚えている。誠品書店は、そんな時代の台湾で、文化やアートやライフスタイルの書籍の専門店としてスタートする。
“勢い満点で堪え性がない”のが台湾人気質。気軽に起業して、思った結果が出ないと3ヵ月でもたたんでしまうのはよくある話。呉清友の場合、バックには文化に理解の深い投資家のサポートがあったのだが、創業から連続15年の赤字を計上しながらも、世界的に評価される誠品書店を一代で築き上げた創業者・呉清友の精神力や情熱は、台湾人らしからぬものがあったと言える。
この誠品書店の現在の成功までの軌跡は、文化的なことに携わる台湾人なら誰もが知っていることで、2017年7月に呉清友が心不全で急逝した際には、ネット上に老いも若きも、各方面から追悼の言葉が上がった。
「台湾の今の文化面の基盤は、誠品書店が作った」台湾中の誰もが、そう再認識したのだ。
2006年、売り場面積の一番大きな誠品書店・信義旗艦店がオープン
この信義店から、単なる本屋というより「本をメインにした洒落たものを売るデパート」という印象がさらに強くなる。
ライフスタイルの書籍のフロアには、輸入雑貨のテナントがちょこちょこ入っていて、本を立ち読みして触発された“物欲”は、その側のお店で“発散(購買)”できる造りに。たぶん、このスタイルを「蔦屋書店」が取り入れたのだと思う。
料理本のコーナーの横には、料理の写真を見て、食欲に火がついた人を待ち受けるレストランカフェがある。この料理本コーナーが、更に凄いのは、店内に立派なキッチンも備えていて、本が並ぶ中で料理の実演講座ができるところだ。目の前でジュージュー言って匂ったら、そりゃ、人は集まるし、本も買う。
他にも立派な視聴覚室や、写真展やライブもできるほどの広いスペースも作られ、本だけでなく文化を発信する現在の誠品書店のスタイルが確立された。
信義店には、オープン当初、日本語書籍専門コーナーもあった
通常の書店一軒分よりはるかに広いスペースには、日本語を解さない台湾人のためにビジュアルメインの日本の本が並んでいた。他の在台湾日系書店にもないラインアップは「日本の本は、こんなに面白かったのか?」と驚くほどで、日本から来る客をここに案内すると、日本でも見たことがなかった本を手に取りながら「こんな本屋、近所にあったらいいなぁ」と漏らす人もいたほどの品揃えだった。また同時に、台湾の人がどれだけ日本に興味を持っているのかを実感できるところでもあった。
しばらくすると、ここを立ち上げた日本人社員が離職し、維持が難しかったのか、なくなってしまった。その後そこには、台湾全土から集めたお土産にしやすいパーケージの良い食品や雑貨が置かれ、私のようなニッチな日本人ばかりでなく、観光客が「台北に来たら、”誠品”には行ってみたい」と言うところになった。
2010年、台湾に文化創意産業発展法という法が布かれる
平たくいうと、文化的に産業を発展させよう、国をあげて文化的にやっていこうじゃないか! というもの。今まさに、台湾では、まさにあちこちで「文創」(ウェンチュアン:文化創意の略)という言葉が聞こえ、猫も杓子も何かを“クリエイトする”時代になった。自分でデザインしたプロダクツを作りたければ、この法のおかげで、経験や資金がなくても国の公募で資金を調達できる。インディーズバンドでも企画書を書いて、文化機関に通せばCD作ってプロモーションビデオが作ることができ、海外遠征にも行けてしまう。そんな時代が台湾にやって来たのだ。
2013年、さらにライフスタイルにシフトした誠品生活・松菸店がオープン
日本統治時代のタバコ工場跡を利用したレトロな松山文創園區内に、新たに日本の建築家・伊東豊雄氏による設計で建てられた誠品生活・松菸店。地下には映画館、パフォーマンスホール、そして、クオリティの高い飲食店が並ぶフードコートができた。
2階は、メイドイン台湾のグッズに混ざって、指輪作り体験の工房や、吹きガラス工房などなど手作り体験ショップがいくつも入り、簡単な料理すら作らない、手を使うことをあまり好まなかった若者が物作りをしに集まった。「文創」の風潮で、“何かを作る”ことが流行り始めたこの時代、デパートの中で真っ赤なガラスの溶解炉がある光景は、ちょっとした見ものとなった。
そして、今年の秋、中国・香港への進出に続き、誠品書店は日本にオープンする。日本に台湾自慢の店が出店するのは台湾人にも喜ばしいことで、彼らの気質を考えると、多くの人たちが日本旅行のついでに訪れるだろう。日本には熱狂的な台湾好きという層がある。そんな人たちも、日本中からいち早く駆けつけるはずだ。
しかし、中国語の本をどう日本で売るのか? LCCで安く身近になった日台間なだけに、食に関しても台湾現地の味を知る人が多く、レストランでは、それなりの味が期待されるだろう。さらに、台湾の「文創」で生まれたプロダクトは、日本の好みよりちょっとファンシーな甘いデザインが多く、値段も割と高い。そして、台湾人が日本に紹介したいものと、日本人が台湾に求めているものにズレがある。
懸念点はなくもないが、新しい試みを常にやって来た自由な書店が、東京でどんな新しい場所を作ってくれるのか。台湾にはない新しい価値が生まれるかもしれないと期待して止まない。
- 文:青木由香