1969年生まれ。ジュニアライト級でボクシングのプロテストに合格するも、左肘のケガで挫折。週刊誌記者を経て、ノンフィクションライターに。1996年に渡米し、アメリカの公立高校で教壇に立つなど教育者としても活動。2014年、東京大学大学院情報学環教育部修了。著書に『マイノリティーの拳』『アメリカ下層教育現場』『アメリカ問題児再生教室』（全て光文社電子書籍）『神様のリング』『世の中への扉 進め! サムライブルー』、『ほめて伸ばすコーチング』（全て講談社）などがある。ジェイ・ビー・シー（株）広報部所属

林 壮一

<figure id="attachment_327844" aria-describedby="caption-attachment-327844" style="width: 1169px" class="wp-caption alignnone"><a href="#" data-ident_hash="c51afca9"><img src="https://res.cloudinary.com/fridaydigital/image/private/t_article_image/wpmedia/2023/08/bb7cdaf0415ab0889a7879278f6785be.png" alt=""></a><figcaption id="caption-attachment-327844" class="wp-caption-text">15歳で渡米し、ロードワークを重ねたサウスセントラルの一角で</figcaption></figure>
<p>ロスアンジェルス中心街の南側に“サウスセントラル”と呼ばれる地区がある。132平方キロメートルの同地区は、1970年代、80パーセントの居住者が黒人だった。</p>
<p>第二次世界大戦後の1948年、同エリアに黒人が住み始めた。それに難色を示した白人たちと敵対し、若いギャング集団があちらこちらに誕生しては争いを続ける。相次ぐ人種間の抗争で、殺人事件も珍しくなくなっていく。また、貧しさから逃れるためにドラックの売人となる若者が、今でも後を絶たない。いつしか、同じ肌の色をした者同士の縄張り争いも生じるようになった。</p>
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<p>1965年8月11日からの6日間は、この近くのワッツで黒人たちによる大きな暴動が起き、34名が命を落とし、1032名が負傷、4000名近くが検挙された。人口統計を専門とする「Area Vibes」社によれば、今日、サウスセントラルで発生する犯罪数は全米平均の83パーセント増、暴行事件の数は、実に331パーセント増となっている。</p>
<p>そんな地域の一角に、メキシコ移民たちのコミュニティーがあった。彼らもまた、時に白人と、時に黒人との戦いを繰り広げた。時は流れ、今日、サウスセントラルに住む人口の3分の2が、ヒスパニックとなっている。</p>
<p>9月18日に予定されるWBOスーパーフライ級タイトル初防衛戦を控え、7月20日からロスアンジェルスでキャンプ中の中谷潤人(25)が、先日、当地を訪れた。デビュー以来、25戦全勝19KOの戦績で2階級を制した中谷にとって、サウスセントラルは思い出の場所である。</p>
<p><span class="strongInContent">「ずっと、ここにあるルディのお父さんの家に住まわせてもらっていたんですよ。ルディの妹さんの子供の部屋にステイしていたのですが、ある晩、外からパーンと何かが破裂したような音が聞こえました。『ジュント、今の音聞こえた？ 銃声だよ』って言われたのを覚えています」</span></p>
<p>アマチュアのU15大会で日本一となった中谷は、高校進学を選ばす<span class="strongInContent">「プロで世界チャンピオンになるために」</span>単身で渡米した。本場で出会った2人目のトレーナーがルディ・ヘルナンデス(60)である。言葉もろくに分からず、飛び込んだアメリカ社会。夢を追う15歳の中谷にとって、刺激的な毎日ではあったが、<span class="strongInContent">「もし、ルディに見限られたら…」</span>という不安もあった。</p>
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<p>ルディは、実弟の故ジェナロを世界チャンピオンに育て上げ、竹原慎二、畑山隆則、伊藤雅雪ら日本人トップ選手を指導した実績を持つ。15歳の中谷の動きを目にし、その非凡さと純真さに触れ、<span class="strongInContent">「この子は間違いなくモノになる」</span>と、指導を引き受けた。</p>
<div data-friday-nextpage-lead="銃声が聞こえた場所でロードワーク中に…"></div>
<p>その日から10年が経過し、中谷潤人はWBOフライ級、同スーパーフライ級と2つの世界タイトルを獲得。特に、今年5月20日に最終ラウンドでKO勝ちを収め、2階級制覇を達成した一戦はラスベガスで開催されたこともあり、本場アメリカで高い評価を得ている。</p>
<figure id="attachment_327845" aria-describedby="caption-attachment-327845" style="width: 1526px" class="wp-caption alignnone"><a href="#" data-ident_hash="20d7b29d"><img src="https://res.cloudinary.com/fridaydigital/image/private/t_article_image/wpmedia/2023/08/f638283cc7ff9fe780c14ad409799803.png" alt=""></a><figcaption id="caption-attachment-327845" class="wp-caption-text">1回目の挑戦で2階級を制した中谷。その表情には精神的な余裕が見られる</figcaption></figure>
<p>「原点の地」に立った中谷は言った。</p>
<p><span class="strongInContent">「朝、ロードワークに出たら銃声が聞こえた場所に数日後、写真が置かれていたんです。あぁ、撃たれた人が亡くなったんだ、あの時の銃声だな……と気づきました。近所でドラッグを使用した人が逮捕される様子も見ました。サウスセントラルは</span><span class="strongInContent">確かに治安の悪いところなんだろうな、と感じました。</span></p>
<p><span class="strongInContent">でも、怖いとか、危険だとか、そんなことを考える余裕は当時の僕には無かったんです。とにかく、ルディに認められたい、この人に食らい付いて行って強くなるんだ、世界チャンピオンになってみせると、それだけを考えていましたから」</span></p>
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<p>ルディと正式に契約を交わし、サウスセントラルにある彼の父親宅にホームステイしながらボクシングの基礎を身に付けていった頃の中谷は、6時過ぎからおよそ10kmのロードワーク、9時半から、そして17時からと2度のジムワークをこなした。</p>
<p><span class="strongInContent">「ロードワーク、2回の練習が通常のメニューでした。ジムワークは、午前も午後も20ラウンドずつくらいやりましたね。プロになった17歳からはトレーニングの質を大事にしていますが、若く、吸収出来る時期には量をこなすことも大事だと、振り返って感じます」</span></p>
<p>中谷の戦い振りからはバランスの良さと共に、体の強さが伺える。現在も体幹トレーニングにかなりの時間を割いているが、その頑強さもルディの教えを吸収したからこそだと話した。</p>
<p><span class="strongInContent">「元々僕は、頑丈な方ではありません。鍛えたからこそ、今の身体があります。また、ルディから徹底的にディフェンスを習いました。足の位置、頭の位置、タイミング、角度、足捌きと、本当に細かな技術を身に付けました。打たれない位置に頭を持っていく、体をくっつけてパンチをもらわないないようにする、一歩サイドステップして、逆方向に動く等、徹底して教わりました」</span></p>
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<p>無我夢中だった15歳の晩夏、ホームシックのような感覚に陥ったこともあった。そんな折、中谷を励ましたのが、ルディの父だった。その“おじいちゃん”は、今も、同じ場所に住んでいる。</p>
<figure id="attachment_327846" aria-describedby="caption-attachment-327846" style="width: 1530px" class="wp-caption alignnone"><a href="#" data-ident_hash="c911750a"><img src="https://res.cloudinary.com/fridaydigital/image/private/t_article_image/wpmedia/2023/08/9240610107b99f4b248322364d06f477.png" alt=""></a><figcaption id="caption-attachment-327846" class="wp-caption-text">ルディ（左）との信頼関係は確かなものだ</figcaption></figure>
<div data-friday-nextpage-lead="中谷の「アメリカのおじいちゃん」"></div>
<p>2階級制覇の世界チャンプとなった中谷の訪問を、90歳となるおじいちゃんは笑顔で迎えた。彼は英語をまったく話さない。だが、豪快な笑い声と身振り手振りでコミュニケーションを取る。聞けば、生まれは1933年1月27日、メキシコ・グアダラハラ。1950年にアメリカ合衆国にやって来て米軍に入隊し、3年後にサウスセントラルに家を購入したそうだ。</p>
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<p>若き日はサッカー選手で、現在、メキシコ1部リーグに属するトルーカでプレーしたと、現役時代の写真を筆者に見せてくれた。ポジションはどこだったのですか？ と訊くと、ニヤリとして<span class="strongInContent">「GKもフィールドも全部やったよ。でも、あんまり真剣じゃなかったんで、その後はルチャ（プロレス）の世界に行ったんだ」</span>と答えた。</p>
<figure id="attachment_327847" aria-describedby="caption-attachment-327847" style="width: 1169px" class="wp-caption alignnone"><a href="#" data-ident_hash="26d7a248"><img src="https://res.cloudinary.com/fridaydigital/image/private/t_article_image/wpmedia/2023/08/0ccb50ec257ad9db65971b1ca5c9349d.png" alt=""></a><figcaption id="caption-attachment-327847" class="wp-caption-text">とにかく陽気な”グランパ”</figcaption></figure>
<p>そして、ダンスがあったからこそ、自分の人生は有意義なものになった、とステップを踏み、中指と親指を擦ってパチンと音を出してみせた。中谷が“グランパ”と呼ぶ90歳の彼は、25歳になった世界チャンピオンを誇らし気に抱き締めると筆者に向かって言った。</p>
<p><span class="strongInContent">「ジュントは昔から努力家だよ。だから、ここまで来られたんだ」</span></p>
<p>しばらくすると、15歳だった中谷が使っていた部屋の扉が開き、銃声の一件を告げた彼が現れた。WBOスーパーフライ級チャンピオンは、その一室に視線を向け、<span class="strongInContent">「昔、僕が生活していたのがここです」</span>と言った。</p>
<p>――今、この扉の向こうの光景を見て考えることは？ という筆者の問いに、<span class="strongInContent">「頑張っていたんだな、という感情でしょうか」</span>と答えた。</p>
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<p>サラリと語ったその一言に、15歳にして人生を決めたプロデビュー前の彼が、異国で孤独を乗り越え、全力で走ってきた矜持を見る思いがした。</p>
<div data-friday-nextpage-lead="上位ランカーが逃げ出した中谷の壮絶ＫＯ劇"></div>
<p>9月18日の防衛戦の相手は、25勝（10KO）3敗2分けで同級9位のメキシカン、アルヒ・コルテス（28）。チャンピオン陣営は上位ランカーから声を掛けたが、5月20日の鮮やかなノックアウトに怖気付いた挑戦者たちから色よい返事はもらえなかった。</p>
<figure id="attachment_327848" aria-describedby="caption-attachment-327848" style="width: 1551px" class="wp-caption alignnone"><a href="#" data-ident_hash="3071eada"><img src="https://res.cloudinary.com/fridaydigital/image/private/t_article_image/wpmedia/2023/08/0e7139f91534b5bae75cabdc9dd77373.png" alt=""></a><figcaption id="caption-attachment-327848" class="wp-caption-text">集中力の高さが目を引く</figcaption></figure>
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<p><span class="strongInContent">「日本人も含めて、名のある選手との試合を望んでいました。ファンの方々も喜んでくれますし、僕もやり甲斐を感じて気持ちが入りますから。でも、コルテスの映像を見たら、ランキング以上の実力派です。WBC王者のファン・フランシスコ・エストラーダともいい試合をしていますし、気が引き締まります。こういう相手にどういうパフォーマンスが出来るか、自分自身に期待しています」</span></p>
<p>WBOスーパーフライ級タイトルを獲る前の18度のノックアウト勝ちは、連打で相手にダメージを負わせてというパターンが多かった。しかし、前回のファイトはこれ以上ないという程のタイミングでカウンターの左フックをヒットさせ、対戦相手をキャンバスに沈めた。</p>
<p><span class="strongInContent">「ああいうKO勝ちをして、自信を付けることが出来たので、もっといい勝ち方を見せたいですね。力みなく、雑にならずに、丁寧に試合を組み立て、その上でしっかり仕留めたい。今は、自分の距離を保つことをテーマに練習しています。相手が混乱するような戦い方をしたいですね」</span></p>
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<p>ロスアンジェルス・キャンプが始まってから9日目、世界中のボクシングファンが注目するメガ・ファイトがラスベガスで催された。4冠統一ウエルター級タイトルマッチである。WBOチャンピオンのテレンス・クロフォードが、WBA/WBC/IBF王者のエロール・スペンス・ジュニアを9回KOで下して、主要4団体のベルトを束ねた。2人の王者は、中谷と同じサウスポーである。WBOスーパーフライ級王者も、この統一戦をTV観戦した。</p>
<p><span class="strongInContent">「クロフォードの左のガードの高さ、常に顎の前にある点に目を奪われました。それプラス、ジャブの正確さです。ジャブだけでも相手を倒せる。本当に勉強になりましたね。クロフォードは戦い方が入念でした。緻密なボクシングが大きな差になる、ということを学びました。</span></p>
<p><span class="strongInContent">クロフォードはスイッチする選手ですが、今回はずっとサウスポーで戦いましたよね。スペンスには、それが有効だと判断したのでしょう。クロフォードは2ラウンドに最初のダウンを奪いましたが、一気に行かず、ダメージを蓄積させて、確実に倒しました。無理やり倒しにいくよりも、リズムの中でKOした点も流石でした」</span></p>
<figure id="attachment_327849" aria-describedby="caption-attachment-327849" style="width: 1553px" class="wp-caption alignnone"><a href="#" data-ident_hash="b1a1a196"><img src="https://res.cloudinary.com/fridaydigital/image/private/t_article_image/wpmedia/2023/08/674732ab11821387ea072e240c921420.png" alt=""></a><figcaption id="caption-attachment-327849" class="wp-caption-text">この日のランチは和食「照り焼きチキン」</figcaption></figure>
<p>中谷潤人は、サウスセントラルで誓った自分自身との約束を果たした。己を律することを肌で理解しているチャンピオンである。9月18日は彼の更なる進化を、クロフォードに近づく姿を目にしたい。</p>
<div data-friday-nextpage-lead="【画像】ＬＡキャンプ中のオフショット"></div>
<figure id="attachment_327851" aria-describedby="caption-attachment-327851" style="width: 1569px" class="wp-caption alignnone"><a href="#" data-ident_hash="640dc4bb"><img src="https://res.cloudinary.com/fridaydigital/image/private/t_article_image/wpmedia/2023/08/96a811895c86489ef8a706a5b80aa3f5.png" alt=""></a><figcaption id="caption-attachment-327851" class="wp-caption-text">「私が手掛けたファイターの中で、最高の選手」とルディは語る</figcaption></figure>
<figure id="attachment_327852" aria-describedby="caption-attachment-327852" style="width: 1551px" class="wp-caption alignnone"><a href="#" data-ident_hash="ba50b3ba"><img src="https://res.cloudinary.com/fridaydigital/image/private/t_article_image/wpmedia/2023/08/e06e207b9768c2f6ec5561565b8e1fb7.png" alt=""></a><figcaption id="caption-attachment-327852" class="wp-caption-text">マネージャーとして兄を支える実弟・龍人（左）とともに</figcaption></figure>


1969年生まれ。ジュニアライト級でボクシングのプロテストに合格するも、左肘のケガで挫折。週刊誌記者を経て、ノンフィクションライターに。1996年に渡米し、アメリカの公立高校で教壇に立つなど教育者としても活動。2014年、東京大学大学院情報学環教育部修了。著書に『マイノリティーの拳』『アメリカ下層教育現場』『アメリカ問題児再生教室』（全て光文社電子書籍）『神様のリング』『世の中への扉 進め! サムライブルー』、『ほめて伸ばすコーチング』（全て講談社）などがある。

林壮一

壮絶ＫＯで2階級制覇を果たした中谷は9月18日に迫った初防戦に備え、ＬＡの危険地帯でキャンプを張っている。犯罪多発地域だが、世界王者を目指して15歳で渡米した彼の原点でもあるのだ

2階級制覇のチャンプ中谷潤人～原点であるＬＡの荒廃地区で～

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