「新宿タイガー」街を駆け抜け40年超。謎の男が映画になった!
トラのお面で新聞配達、「新宿タイガー」とは何者? “街のレジェンド”の誕生と歩み、変わりゆく新宿への想い
ピンク色の髪の毛に、花柄のブラウスとスカーフを身に着け、顔にはトラのお面(タイガーマスク2世)。新宿を駆け抜けるこの男を目撃したことはないだろうか?
ド派手な姿で新聞配達をするこの男は、なんと1948年生まれで現在71歳! 1967年に長野県松本市から上京し、新聞配達員だった24歳のときに縁日でトラのお面を見つけ、「ジャングルのトラになる!」と決意した。以来40年以上、雪の日も台風の日も、この姿で新聞を配り続けている。人呼んで「新宿タイガー」。
そんな彼の行動や想いに密着したドキュメンタリー映画「新宿タイガー」が公開される(3月22日よりテアトル新宿ほか)。FRIDAYデジタルでは、タイガーへのインタビューを敢行。「孤高の人生の秘密」と「お面の下に秘められた想い」に迫った。……というか、迫ることを試みた。その結果やいかに!
■冒頭から“タイガーワールド”全開
取材会場となった「テアトル新宿」の会議室に向かうと、映画に登場する通りのスタイルで、タイガーがやってきた。トラのお面の下から「どうも、どうも!」と気さくにあいさつ。ぬいぐるみもしっかり身体からぶら下げ、演歌を流すラジカセもかついでいる。これが、新聞配達&集金をするときの“フル装備”だ。
タイガーは現在、火曜日以外は毎日、「朝日新聞」の朝刊を配り、夕刊も火曜日と発行されない日曜祭日以外は、毎日、配達している。配達担当は、新宿3丁目のビックロ(ビックカメラ新宿東口店)や東口の駅ビルが建ち並ぶエリア。集金は、新宿3丁目一帯を担当している。
インタビューは、タイガーの休日である火曜日の昼下がりに行った。インタビュー中もお面を外さないタイガーは上機嫌の様子だったが、前日にも、テレビ局による撮影があり、その後、朝の4時まで飲んでいたそう。71歳とはとても思えない快活な口調で「火曜日だったらいつでもOK!」とインタビューに応えてくれた。現住所を尋ねると、「新宿区内。“虎の穴”じゃないからね(笑)」と豪快に笑い飛ばす(※虎の穴:漫画・アニメ「タイガーマスク」の主人公・伊達直人が殺人トレーニングを強いられた悪のプロレスラー養成機関)。
■映画を公開したら「テアトル新宿」がすごいことに!?
――3月22日公開です。自分が映画になってしまう心境は?。
タイガー:生涯に一度きりですよ! “トラ人生”、最高の瞬間!
――映画の中で足繁く映画館に通う様子が映されていますが、映画「新宿タイガー」は何回くらい観に行く予定?
タイガー:公開している間は、最低でも半分は観ますよ! 映画を観るのはいつも最前列のド真ん中の席なのですが、初日はたぶん、最前列のド真ん中に座らせてもらって、監督には何も言っていないのですが(笑)、“映画が終わったら、演歌をかけながら登場”など、うちはうちなりに色々と考えていますから!
――映画を観るときはいつも、このスタイル&最前列のド真ん中?
タイガー:そうです。45年間、これで観続けています。だから、映画館のもぎりの女の子が「タイガーさん、残念ですけど、最前列、空いていませんよ」と向こうから言ってくれます。混んでいるときは、ぬいぐるみなどのオブジェは劇場内のすみに置くので、映画「新宿タイガー」はぜひ、最前列で、トラの隣で観てください。映画「~タイガー」は、3Dどころじゃなくて、4次元、5次元だから!
佐藤監督:極端な話、オードリー・ヘップバーンの映画を観に行って“スクリーンに主人公のヘップバーンが映っていて、しかも、隣にそれを観ているヘップバーンが座っている”ような状態です(笑) IMAXや4Dを超えた、5D、6Dの世界(笑)。

■生い立ち、上京。「東京っていいな!」
――経歴を教えてください。
タイガー:長野県松本市の生まれです。東筑摩郡波田村下三溝(はたむらしもさみぞ)というところで、統合(1954年)して松本市になった場所。高校生のときは牛乳配達していました。高校の競歩大会では、2年生のときに20キロで3位、3年生のときに40キロで1位を取ったほどで足腰は昔から丈夫でした。
田んぼの中の一軒家だったから、子どものころは電気がなくて、ランプ生活でした。小学生のころには、「月光仮面」、「赤胴鈴之助」、「まぼろし探偵」、「快傑ハリマオ」などが流行って、テレビがある家に見せてもらいに行っていました。そんな環境から、1967年に上京し、大東文化大学の日本文学科に入学しました。東京に出て、「東京っていいな!」と思いました。“飲むか、飲まれるか”という活気。大学は2年で中退したのだけど、キャンパス気分はいいですね。
――監督(1975年生まれ)から見て、当時の新宿はどんな雰囲気だったのですか?
佐藤監督:僕もそのころの新宿について知りたいなと思って、色々な方に話を聞きました。印象に残っているのは、「当時の新宿に集まる人たちは、お互いのことをもっと知ろうとしていた」という言葉です。今は「新宿に行って誰かと知り合う」ということには、なかなかならないと思います。ただ、「新宿ゴールデン街」には今も、知らない人同士がカウンターで知り合おうという雰囲気はあります(※新宿ゴールデン街とは:200軒以上の小さな飲食店が密集する繁華街。戦後の闇市に端を発し、作家、編集者、映画監督、俳優などをはじめ文化人たちが足繁く通った。サブカル・アングラ芸術の発信地として栄え、現在では、外国人観光客も多数訪れる)。

■直感で誕生した「新宿タイガー」、正体は“ジャングルのトラ”
――新聞配達を始めてからすぐの1972年に「新宿タイガー」が誕生しました。トラのお面をかぶり始めたキッカケは?
タイガー:朝日新聞のお店がまだ歌舞伎町にあったころで、お店の裏が稲荷鬼王神社だったの。お祭りの縁日に行ったら、お面が50枚、並んでいて、その中にあったのが、このお面。そこで“トラの直感”が走ったの! 実はこのお面は初代のタイガーマスクじゃなくて、タイガーマスク2世ですが、俺のイメージでは“ジャングルのトラ”。同じトラでも、かぶる人によって、ジャングルのトラにもなり、ただのお面にもなりますから。俺は、直感で「ジャングルのトラ」になろうと思ったの。
“トラの直感”が来てから、お面と合体して「ジャングルのトラ」が誕生。それから、歌舞伎町の花園神社とか色んなお祭りを回って、同じお面を30枚、買いあさりました。タイガーマスク2世のお面なんて今はもう売ってないけど、うちにはまだ、これと同じお面のストックが7、8枚残っている。俺は「生涯、トラ」だから、1枚、1枚を大切に使わないとね。100歳まで新聞配達をしたら、「やっぱり、あいつは、人間じゃなかった。本物のトラだった」なんて言われたり(笑)。
■初期のころは「罵倒の嵐」も、トラブルは一切なし?
――お面をかぶり始めたころはどんな反応だったのでしょう。
タイガー:やり始めのころは大変ですよ。罵声の嵐でしたから。あげくの果てにコーラのビンで殴られたこともあるし、いきなり蹴っとばされて膝のところがえぐられてしまったことも。でも、俺は、学生運動には行かず、(映画の中の)任侠の世界に行ったから。(高倉)健さんの世界ね。だから、俺は一切、暴力は使わないし、暴力に対しても見向きもしない。トラとしての威厳があるもん。「生涯、トラ」と誓ったのに、挑発に乗って「何だこのやろう」となってしまったら終わりです。暴力をふるって、檻の中に入ってしまったら終わりなのです。
40年前は、歌舞伎町1丁目と2丁目の集金を全部やってたんだけど、本物のやっちゃんの事務所もあってね。“あっちも本物、こっちも本物”みたいな(笑)。言葉こそ交わすことはなかったけど、トラブルは一切なかったから、無言で受け入れてくれたんだと思っています。今じゃ、交番も、JRの駅も全部、俺の顧客だから。みんな、映画「新宿タイガー」のポスターを貼ってくれてるよ!

■ハワイ・都庁……すべて、タイガーの格好で突撃
――新聞配達や集金のとき以外も、この格好?
タイガー:そう。「生涯、トラ」だから。服は女性もののブラウスで、花柄しか着ないんだけど、7、8千円するけっこういいやつを30枚くらいまとめ買いしてストックしてあるから。
俺、ハワイにも、この格好で行ったの。成田での出国審査はOKだったんだけど、ホノルルでは、税関の職員全員から指さされた。それで職員たちが成田に電話をかけ始めて、聞いてると、「ファック、ホワイ? ファック、ホワイ!?」って、悪い言葉ばかり(笑)。俺、アメリカのカルチャー新聞に載ったことがあって、たまたまその新聞を持っていて、「ディス・イズ・マイ・インターナショナル・パスポート」って言って渡したの。そうしたら、一生懸命、読んでくれて、やっと理解してくれた。税関を出るときなんか、プロレスラーみたいなでかい男が追っかけてきて、「ユー・オールタイム・ハワイ・OK」って言ってくれた(笑)。
ハワイに行くときに(本物の)パスポートを取ったんだけど、その前に、新宿ゴールデン街で飲んでたら、たまたまFRIDAYの記者がいて、「取材してもいいですか?」って。俺は肖像権ないから、いつでもOK。90年代前半だったと思うけどFRIDAYに載ったこともあるのね。それで、パスポートを取りに行ったときに、都庁の職員にそのFRIDAYを見せたら、写真撮影はお面だけを外してアフロは「そのままでいいです」って言ってくれたの。でも、そしたら翌日、「すみません、『そのままでいいです』って言ったのですが、やっぱり、アフロも外してください」って(笑)。
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インタビューは続いたが、タイガーの口から次々と飛び出す爆笑エピソードに、いつのまにか引き込まれていた(というか脱線の連続)。さらに、「人生は、シネマと、美女と、夢と、ロマン」というタイガーから飛び出すエピソードは、〔美女のために楽屋に花束を持って行ったら唐十郎と蜷川幸雄がいた話〕、〔まだ子どもだった安藤桃子・サクラ姉妹を連れて奥田瑛二があいさつに来た話〕、〔新宿にあった劇場『THEATER/TOPS』閉館の日にトイレで三谷幸喜から「タイガー、今晩が最後です」としみじみと声を掛けられた話(三谷が立ち上げた劇団がTHEATER/TOPSを拠点に活動していた)〕などなど、映画や演劇、そして新宿の歴史の生き証人ともいえる話が続き、気が付けば、インタビューの残り時間はあとわずかとなってしまっていた。
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■「説教はしない」「口は挟まない」、トラになった以上は信念を貫く!
――2020年には東京オリンピックも控えています。新宿の街が、変化していくことは嬉しい? 寂しい?
タイガー:“モダンできれいになればなるほど、心がすさむ”という感じだけど、トラは、古いものにも、新しいものにも、こだわらない。ただ、新聞配達を始めたばかりのころは、新宿は本当に賑わっててね。みんな自由奔放で、それこそ、アツアツジャングル! 今なんて規制、規制だからね……。俺は、1日に映画を6回観たことがあるけど、昔は、チケットを買えば1日中、観ることができました。今は、完全入れ替え制だけど、ただそれは劇場の方針なので、トラは口を挟みません。
――熱くなることがないと言われる今の若者たちに希望することは?
タイガー:説教じみたことになってしまうから、俺は、そういうことは一切、言わない。若者は未来を生きる人だからね。俺は、お面を見つけたときに「生涯、ジャングルのトラで行く」と決めた。トラになった以上は、信念を貫く。その信念とは、ラブ&ピースですよ。シネマと、美女と、夢と、ロマン!
――監督から見た、タイガーさんの魅力は?
佐藤監督:この見た目でしょうね。出会った人をとても愉快な気持ちにさせてくれます。人柄……というかトラ柄は、とても真っすぐで、自分の言葉に責任を持つ方だと感じました。
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気さくにインタビューに応えてくれたタイガー。佐藤監督は、映画「新宿タイガー」は新宿という街の記録にもなっているといい、「若い方にも観ていただきたいです」と語った。インタビューの最後、タイガーの内面に迫るひと言を引き出そうと、公開を楽しみにしている人へのメッセージを真面目にお願いしてみた。
タイガーは、快活な口調で、「ラブ&ピース! 愛と夢と感動をありがとう!」と声を弾ませた。
あるとき突然、トラになることを決意し、以来、シネマと美女と夢とロマンに生きるタイガー。インタビューでは、タイガーの内面に迫ることはできなかったが、タイガーの生き様や想いに触れてみたい人は、映画「新宿タイガー」を上映するテアトル新宿の最前列に行ってみては。もしかしたら、隣にタイガーが座っているかもしれない。
【プロフィール】新宿タイガー:1948年2月1日生まれ。長野県松本市(旧・東筑摩郡波田村下三溝)出身。高校生のころは牛乳配達を行う。1967年に上京し、大東文化大学に入学(2年で中退)。新聞配達をしていた1972年、お祭りの縁日でタイガーマスク2世のお面を見つけ「ジャングルのトラ」になることを決意。以来、40年以上、トラのお面に奇抜なヘアスタイル、花柄のブラウスという格好で新聞を配り続けている。現在、新宿区内在住。

映画「新宿タイガー」
24歳で「トラになる」
【 CAST 】新宿タイガー / 寺島しのぶ(ナレーション)
八嶋智人 渋川清彦 睡蓮みどり 井口昇 久保新二 石川ゆうや 里見瑤子
宮下今日子 外波山文明 速水今日子 しのはら実加 田代葉子 大上こうじ 他
取材・撮影・構成:竹内みちまろ