《幸福の科学》教祖・大川隆法の長男・宏洋が明かす 「ぜんぜん幸福じゃなかった父」との思い出 | FRIDAYデジタル

《幸福の科学》教祖・大川隆法の長男・宏洋が明かす 「ぜんぜん幸福じゃなかった父」との思い出

「自分も信者も、幸せにすることができなかった」「僕は親ガチャハズレ、日本代表です」

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「神の子にならずに済んだ」と語る宏洋氏だが、”Godchild”と書かれたTシャツで登場。ネタにするしかない!?
「神の子にならずに済んだ」と語る宏洋氏だが、”Godchild”と書かれたTシャツで登場。ネタにするしかない!?

「訃報は知り合いの記者から聞きました。親を失った悲しみはありませんでした」

「幸福の科学」の教祖・大川隆法総裁(享年66)の長男、宏洋(ひろし)氏(34)は父の死を淡々と振り返った。

「もう何年も隆法に会っていなかったんです。最後に言葉を交わしたのは、5年前。『霊言なんて誰も信じていないから、もうやめたほうがいい。当選する見込みのない選挙活動もやめましょう』と5時間にわたって説得したんです。ところが隆法は、『もう30年もやり続けてきたから、今さら変えられないんだ』と聞く耳を持たない。その5日後、教団幹部からメディア文化事業局担当参事に降格する辞令を出され、実質クビに。隆法との訣別の瞬間でした」

宏洋氏は取材中、隆法氏のことを決して「父」とは呼ばなかった。

「幼い頃からずっと、『総裁先生』と呼ばされていましたから。育児もほとんど秘書の方が担当し、隆法はノータッチ。小学生の頃は、幸福の科学とオウム真理教が対立していて、オウムの信者に隆法や僕は襲われる可能性があった。そのため、防弾車で送迎されていました。

家族で食事をしても団欒なんてものはなく、食後に隆法の霊言を聞かされます。聞き手は僕の役目でした。空海のような偉人からマイケル・ジャクソンなど著名人、身近な教団幹部など、毎日5~10人くらいの霊言を聞かされました。だから、信者の前でいきなり隆法に『今日の霊言は宏洋がやれ』とムチャブリされても、見よう見まねで切り抜けることができたんです」(教団側は否定)

今年3月2日に隆法氏が死去してから約半年、自らを「親ガチャハズレ日本代表」と称する宏洋氏は、父の回想録『神になりたかった男 回想の父・大川隆法』(幻冬舎・9月21日発売)を上梓する。

「本を作るにあたり、教団に関する膨大な資料を読みました。すると、幸福の科学において聖典のような扱いをされている隆法の著書『太陽の法』が、’87年の初版と現在の新版で大幅に書き換えられていることに気づいたんです。そもそも’91年以前はただの『学習団体』としてビジネスを展開していましたからね。

ところが、宗教団体として信者を集めるにあたり、隆法は自らが至高神『エル・カンターレ』になることを決めた。だから新版では、初版に記されていた自伝的な記述を全て排除しています。『友達がおらず、ドライブデートで車のカギをなくすという失態を犯してフラれ、浪人して憧れの東大に入れたが留年を経験。総合商社のトーメンに入社したもののなじめずに5年で退職した』という冴えない田舎者が、『地元で神童と畏怖され、東大在学中に教授陣を超えてしまった天才』という設定に変わってしまっているんです」(初版の記述について教団側は否定)

″神の子″として幼少期を過ごし、現在は″裏切り者″として教団と袂を分かった宏洋氏は、亡き父をこう評した。

「可哀想な人だったな、と思いましたね。イエスマンで周囲を固めたせいで誰からも本音で意見してもらえず、信者数も正確に把握できない孤独な総裁でした。巨大な邸宅で暮らし、高価なスーツを着ていても幸福には見えなかった。高額な献金に苦しめられ、不幸になった信者の存在に気づけなかったことも哀れです」

訣別してなお、父の呪縛に苦しむ″神の子″もまた、幸福には見えなかった。

スマホもパソコンも全く使えないままだったという隆法氏。ネットの動画もDVDに焼かせて観ていたという
スマホもパソコンも全く使えないままだったという隆法氏。ネットの動画もDVDに焼かせて観ていたという
本誌未掲載カット
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『FRIDAY』2023年9月29日号より

  • PHOTO濱﨑慎治

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