堺屋太一「大阪万博」は見果てぬ夢? 友人に託した「遺言」

享年83歳 平成を代表する「仕掛け人」が逝った

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2月16・17日に行われた堺屋太一氏の葬儀には、安倍晋三首相を始め、各界の大物が参列。その死を悼んだ

「タクシーに乗れば、『どないでっか? 儲かってます?』と話しかける。飲む店も居酒屋や食堂で、高い料亭にはよう行きません。経済企画庁の長官まで務めたのに、まったく偉そうなところがなく、どんな立場の人とでも同じ目線で接する気さくな人でした」

そう語るのは、大阪・天六商店街の振興組合元理事長・吉村孝司氏。2月8日、多臓器不全のため亡くなった作家・堺屋太一氏(享年83)と、30年にわたって親交があった友人だ。

’70年の大阪万博に始まり、’05年の愛知万博、’10年の上海万博にも携わってきた堺屋氏は、死の直前まで、自身が誘致活動に関わった’25年の大阪万博のことを口にしていたという。

「大阪万博の誘致が決まったとき、私が『開催のときには90歳を超えてますけど生きてはんの』と冗談で聞いたら、堺屋さんは『俺は絶対に死なん』と言っていました。病床でも『万博、万博』と口にしていたそうですから、相当無念だったでしょう。

最後に会ったのは去年の年末頃ですが、そのときも万博への思いを口にしていましたね。『こうしたらオモロイと思わんか?』と。『大阪城を活かさなアカン』とも言うてました。『天守閣を開放して、矢倉をたてて、提灯(ちょうちん)をごっついっぱい飾って、世界一の盆踊りをやろう!』と、目をキラキラさせていたのを覚えています」(前出・吉村氏)

生来の祭り好きだった堺屋氏。道頓堀をプールにする計画をぶち上げたり、大阪・船場の駐車場を無料開放して女子プロレスの試合を開催したこともあった。だが、堺屋氏は単純な「企画屋」だったわけではなく、そこには現代社会へのこんな思いがあったという。

「『このまま東京一極集中が続けば日本はダメになる』と常々言っていました。『地方の観光資源を活用しなければ』と。あの人はいつも、10年後20年後の未来を考えていた。だからこそ、自分の企画が成功したときは、子供みたいにはしゃいで嬉しそうでしたね。あの顔は、一生忘れられません」(同前)

日本を代表する「時代の仕掛け人」が逝った。合掌。

趣味は自転車。愛車のママチャリで走り回って市井の人々の声を聞き、自身の発想力としていた堺屋太一氏

Photo Gallary2

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