池江璃花子にもエールを送った……ラグビー日本代表が挑むサモア代表司令塔は「白血病から復活した男」 | FRIDAYデジタル

池江璃花子にもエールを送った……ラグビー日本代表が挑むサモア代表司令塔は「白血病から復活した男」

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サモア代表の司令塔であるクリスチャン・リアリーファノ(36)。今から約7年前、日本で白血病が判明した。頭髪が薄くなってしまったのは闘病の痕跡だという(写真:アフロ)
サモア代表の司令塔であるクリスチャン・リアリーファノ(36)。今から約7年前、日本で白血病が判明した。頭髪が薄くなってしまったのは闘病の痕跡だという(写真:アフロ)

フランスで行われているラグビーワールドカップ(W杯)。イングランド代表に敗れて1勝1敗となったラグビー日本代表だが、予選プールの残り2戦、連勝すれば文句なしでベスト8進出が決まる。9月28日、(日本時間29日午前4時キックオフ予定)〝絶対に負けられない〟3試合目はサモア代表と激突する。そんなサモア代表の司令塔であるクリスチャン・リアリーファノ(36)は「血液のガン」とも呼ばれる白血病から復帰を果たした「奇跡のラガーマン」として世界のスポーツシーンに知られている選手である。

サモア人の両親のもと、7人きょうだいの6番目としてニュージーランドで生まれた。6歳から家族でオーストラリアに移住し、その後はオーストラリアで競技を続けた。父のテヴィタ氏の急逝を乗り越えてオーストラリアU-19代表として国際大会出場後、’06年から名門・ブランビーズで契約しキャリアを積んだ。スキルの高さと冷静なゲームコントロールを武器に活躍し、’13年には「ワラビーズ」ことオーストラリア代表にも初めて選出された。

’15年ワールドカップ出場こそ逃したが、’16年になると長男が誕生。その頃から非常に疲れを感じるようになっていたという。同’16年、サントリーサンゴリアスへの加入が決まったものの、8月に精密検査を受けると白血病が発覚……。1試合もサンゴリアスでプレーすることができず退団となった。

「サントリーにはチームのグッズをもらうなど、病気の間もすごくいいサポートをしてくれました。今感謝の気持ちを持ってプレーしている」

化学治療など行う中で、体重は一時期10kg以上減ったが、4分の1の確率という兄弟間でのHLAという白血球の型が一致し、下の妹サリーさんから骨髄移植を受けることができた。現在でもプレースキックを蹴るときにヘッドキャップを外すが、頭髪が薄くなってしまったのは闘病の痕跡だという。

そして11ヵ月後にトッププレイヤーとして見事に復帰を果たし、短期間の契約で移籍したアイルランドのアルスターでプレー。’18年から再びオーストラリアに戻り、ブランビーズのキャプテンとしてチームを引っ張った。その後、日本の豊田自動織機シャトルズにも在籍した。

’19年6月、ブランビーズの一員として来日したとき、白血病を克服した選手として、当時、同じ病を患っていた水泳の池江璃花子選手に対して「周囲の応援があったことが自分の闘病中のモチベーションになった。(池江選手には)強くあり続けてほしい。周囲に助けられたから周りのサポートに頼ってほしい」とエールを送ったこともあった。

そして’19年日本大会では「W杯でプレーすることは常に考えていた」というようにワラビーズの一員として念願だったW杯初出場も果たした。大会後、「日本に戻ってくることはいつも特別なこと」と再び日本のNTTコミュニケーションズシャイニングアークスでプレーし、ガンの治療研究を応援する「deleteC」のアクションに参加したり、TVの企画で池江選手と対談も行ったりなどの啓蒙活動にも携わった。

そんな中、リアリーファノに転機が訪れる。’22年、世界のラグビーを統括する「ワールドラグビー」が新しい規定を作り、両親または祖父母が自国以外の国に起源を持つ場合、元々プレーしていた代表から3年以上招集されなければ、両親や祖父母の国に代表資格を変更できるようになった。つまり自らのルーツであるサモア代表になれるチャンスが開かれたのだ。

ワラビーズで26キャップを誇るリアリーファノは’22年からサモア、トンガ出身選手がプレーする「モアナ・パシフィカ」でプレーし、アイランダー出身選手として初めてスーパーラグビーで1000得点を達成するなど国際経験豊富な選手らしくチームを牽引した。そしてオーストラリア代表から3年が経過した’23年に両親の故郷であるサモア代表に選出された。

強度の高い試合経験の少ない選手が多いサモア代表の中で、リアリーファノは「プロフェッショナリズム、例えば試合の瞬間、瞬間だけでなく、日々の準備の必要性、マッチデーの過ごし方などを自分の経験、知識をもとに若い選手に伝えている」という。

そして7月の日本代表戦で、10番を背負ったリアリーファノはサモア代表として初キャップを得た。

「非常に言葉にしがたい気分ですがすごく特別な気分です。サモア代表でプレーすることは、家族、民族を代表してプレーすることなので光栄に思っています。自分が本国に戻ってプレーする機会を与えてくれて、ワールドラグビーに感謝の気持ちを述べたい。このルール変更によって世界中のラグビーが変わっていくし強化につながっている」

腕のタトゥーは亡父の「テヴィタ」という名前を彫った。そして毎試合、手首のテーピングに「パパ」と「ママ」と書き、息子が生まれてからは「自分が受け継いで父になった」と息子のジェレミーの名も書いている。

「国を代表し、家族を代表することは、本当に特別なことです。W杯でプレーすることは決して当たり前ではない。’19年も楽しかったけど、僕は今、ホーム(サモア代表)にいる。サモア代表としてプレーすることを誇りに思う」

白血病を克服した男は、「マヌ・サモア」を引っ張る司令塔として、家族のため、故郷のために、2度目のワールドカップを心の底から享受している。

  • 取材・文斉藤健仁

    1975年生まれ。ラグビー、サッカーを中心に、雑誌やWEBで取材、執筆するスポーツライター。「DAZN」のラグビー中継の解説も務める。W杯は2019年大会まで5大会連続現地で取材。エディ・ジョーンズ監督率いた前回の日本代表戦は全57試合を取材した。近著に『ラグビー語辞典』(誠文堂新光社)、『ラグビー観戦入門』(海竜社)がある。自身も高校時代、タックルが得意なFBとしてプレー

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