がん専門医が、がん再発 そのとき選択した「がん免疫療法」とは?
医師として患者として「ベストな治療法」を選んだ。大阪がん免疫化学療法クリニック院長・武田力医師
「医者がこんなこと言ったらアカンのかもしれんけど、自分ががんだと知らされたときは、そりゃ一瞬、頭ん中が真っ白になりましたよ。こう見えて気が小さいから、冷や汗がどんどん出てきて……。ああ、僕はもう、これで死ぬんかなぁと……。これまで末期のがん患者や家族と接して、長年がんの治療と研究に明け暮れてきた。そんな自分も、がんに侵されたと分かった瞬間はうろたえ、たじろぐものだったんです」
そう振り返るのは、大阪市北区にある『大阪がん免疫化学療法クリニック』院長の武田力(つとむ)医師(65)だ。同医師は、抗がん剤治療やオプジーボ、オーダーメイドがんワクチンをはじめとする最新の「がん免疫療法」のエキスパート。そして同時に、9年前にステージⅢの進行がんが見つかり、主治医から「5年先の生存率は30%」と宣告されたがん患者でもあるのだ。
がんと向き合い続けてきた専門家ががんにかかったとき、いったい何を考え、どんな治療法を選択するのか――。武田医師の言葉からは、トップドクターだからこその葛藤と、生々しい闘病の記憶が浮かび上がってくる。
「はじめ、自分ががんだと宣告された瞬間は本当に動揺しました。そやけど、なってしまったものは仕方がない。頭を切り替えて、前向きになるしかなかった。自分にとってベストな治療法を選ぼうと、徹底的に情報収集をしました。たとえば大阪大学や近畿大学、成人病センター(現・大阪国際がんセンター)で手術や放射線治療を行っている専門家から話を聞き、”一番いい治療法”を探していったんです。数ある治療法の中で、結局、僕が選んだのは”手術”でした。周りには自分ががんにかかったことは伏せていたので、ウチのスタッフに対しても『アメリカで学会があって、どうしても行かなアカンねん』と説明していました。表向きは海外出張扱いにして、1ヵ月間は治療に専念したんです。その間は、阪大で消化器外科の講師をしていた実弟がクリニックに来て、診療を助けてくれていました」(武田医師=以下、「 」内はすべて本人)
手術は無事成功し、経過観察へと入った。だが――。術後の傷が癒(い)えてきた数ヵ月後に、血液検査で「再発」の疑いが現れた。腫瘍マーカーの数値が通常の10倍以上に跳ね上がっていたのだ。しかし、CT検査をしても画像にはがんらしき影は写らず、どこにがんがあるのか分からない。
「主治医にはその時点で、手術した患部周辺に放射線を当てる治療を勧められました。でも、僕はクリニックを持つ経営者やから、数十人いるスタッフの生活を守らなアカン。それに、ウチで治療中の患者さんを途中で投げ出すわけにもいかへん。そのためには、副作用が強く出て仕事に支障をきたすような治療はどうしても避けたかったんです。そこで、日米でがんワクチンの研究を続けていた中村祐輔先生(66=現・がんプレシジョン医療研究センター所長)に相談したんです。『いま、自分の体はこういう状態なんやけど、先生ならどのワクチンを使う?』って」
当時、中村医師の研究グループは新たながんワクチンを発見した絶好のタイミングだった。武田医師はワクチンの可能性に賭けたのだという。
「ただ、このワクチンには特殊な溶液が必要でした。当時このワクチンを臨床の場で使用していた山口大学の硲(はざま)彰一先生の協力を得られれば、自分のクリニックでも打てることが分かった。もちろん確実に効く保証なんてない。でもこの方法なら、強い副作用が出ないので、いつも通り仕事を続けることができる。QOL(生活の質)を保ちながら治療効果が出るならば、それが自分にとってベストな選択だと思いました。主治医には一度免疫療法を試してみて、効かなければ放射線治療をしたいと伝えました。そしてがんワクチンの治療に踏み切ったんです」
幸い、ワクチンの投与を始めると、武田医師の腫瘍マーカーの数値はみるみる下がっていき、数ヵ月で正常値にまで落ち着いた。がんワクチンの治療が功を奏したのだ。
「腫瘍マーカーが下がってからも、数年はワクチンを打ち続けました。再々発の可能性を考えると、血液検査で腫瘍マーカーの数値を測ることは今でも怖い。年に1〜2度受けるCT検査も、結果が出てくるまでしばらく待たないといけないんです。その時間がホンマに長く感じるし、気持ちが淀んでイヤなもんなんですよ。がんワクチン治療の効果が出てからも、5年経つまでは、いつ死ぬか分からへんという気持ちが常に心のどこかにありました。だから、僕はウチへ来られる患者さんやご家族の不安、焦燥感が痛いほど分かるんです。その気持ちに寄り添って、できるだけ本人が望む治療をしてあげたい。そのためにも、しっかりとデータを積み上げて、きちんと公開していくことが大切なんやと思っているんです。ただ、がんというのは千差万別で、治療のタイミングやがんの種類によっては抗がん剤や放射線のほうがいい人もいます。だからこそ、ウチに来る患者さんには、必ずそこをよく考えて選ぶようお話しています」

救急治療の経験もある
冒頭でも触れた通り、武田医師が院長を務める『大阪がん免疫化学療法クリニック』は、多岐にわたるがんの治療を行っている。幅広い治療の選択肢を患者に提示できるのは、同氏の医師としてのキャリアが深く関係しているという。
取材中、会話の端々に関西弁が飛び出す武田医師は、生まれも育ちも大阪だ。名門・天王寺高校を卒業し、阪大の医学部に進学。エリートコースを地で行っていた同氏が医療のやりがいに目覚めたのは、大学入学後のことだったという。
「阪大では、教養課程で遺伝学をはじめ、第一線の研究者から直接話を聞くことができた。それで視野が広がったんです。当時は、博士号取得のための研究テーマは、自分では選べなかった。基本的には、教授からテーマを与えられるがままなんです。でも、僕はたまたま勧められた”お題”が免疫治療に関するものだった。免疫はずっと勉強したい分野だったので、よかったですね。でも、医師としての僕の人生は、寄り道が多いんです」
大学を卒業した武田医師は、赴任先の市立病院で一つ目の転機を迎える。バイク事故で運び込まれた大学生の死に立ち会ったことで救命救急の世界へ入り、数年間の実践修業を積んだのだ。そして、赴任していた府立病院の救急医療の上司にかけられた言葉で、がん治療の世界に戻ることになる。
「がん治療の現場経験のある、当時の救急部長に、『武田君、目の前で人の命を助ける救急の仕事は素晴らしいし、意義もある。でも、がん治療を一所懸命勉強したら、もっとたくさんの人を助けられるかもしれないよ』と言われたんです。あの言葉が、僕ががん専門医になるキッカケとなりました」
その後、武田医師は大腸がんや乳がんの治療を専門とし、さらに頭頸部がんなど、多くの臓器の手術を経験。そして、抗がん剤治療にも携わってきた。
米国留学中にはがんワクチン研究や肝移植手術も手掛けることに。帰国後は、肝胆膵がんの治療を専門としながら、免疫培養チーム責任者としてがん種の垣根を越えて免疫療法を行うことになったのだ。
「客観的に見れば、僕は回り道ばかりしているかもしれない。でも、結果的にはそれらの経験がすべて今に活きているんです。たとえば、消化器がんの手術をしている時に突発的に大出血が起きても、救急での経験があるから慌てず対処することができる。免疫療法についても、これまで培ってきた知識が役立つことが本当に多いんです。結局、医師としての自分の人生に、無駄な経験はないんやなと感じています」
次に登場するオーダーメイドがんワクチン「ネオアンチゲン療法」も、武田医師が行う最先端治療のひとつだ。はたして、同氏のクリニックではどのような方法でネオアンチゲン療法が行われているのか。実際に治療を受ける患者のインタビューとともに紹介しよう。





がん治療 最新免疫療法「ネオアンチゲン」が効いている人びと
「ネオアンチゲン療法」と呼ばれるオーダーメイドがんワクチンは、近年注目を集めている最新の免疫療法。いま、この治療によってがん細胞が消え、快方に向かう患者が少しずつ増えてきているのだ。これまで、本誌はネオアンチゲンの効果を紹介してきた。ここからは、前出・武田医師のもとで実際にこの治療を受けている人の「生の声」をお届けしよう。
患者は大阪市在住の吉田今日子さん(55=仮名)。昨年春に子宮頸がん(ステージⅡa)が見つかり、手術で子宮を摘出。その後、「再発予防」を目的に、抗がん剤、放射線治療と併せてがんワクチンを受けている女性だ。
「私は医師ですが、がんや免疫は専門ではないので、こういう新しいがんワクチンがあることは、手術直前までまったく知りませんでした。治療を受けることができたのは、本当に偶然だったんです。病院の都合で手術の予定が数日先延ばしになったので、その間にも何かできることはないかとインターネットで免疫治療について調べたことがキッカケでした。免疫治療というと、怪しげなモノも多い。だから、きちんとエビデンスを提示しているところを探しました。そして辿りついたのが、武田先生のクリニックだったんです。たまたま、頭頸部がんを専門にしている友人医師に相談してみたら、武田先生をよくご存じだった。それで、すぐにクリニックを訪ねました。先生とお話しをすることで免疫治療の可能性を強く感じたので、急遽、術後にネオアンチゲン療法も受けることに決めたんです」
ネオアンチゲンのがんワクチン作成には、手術で摘出した自身のがん組織が必要になる。吉田さんは手術直前にこの治療法を知ったことで、がん組織を準備することができたのだ。
手術当日、摘出されたがん組織は、吉田さんの家族によって武田医師の元へと届けられた。その組織を処理したうえで、川崎市内(神奈川県)にある遺伝子解析の専門ラボへ。ワクチン完成までの期間は2ヵ月。筆者が治療に立ち会ったのは、吉田さんにとって5回目となるワクチン投与日だった。

武田医師は、診察室で横になった吉田さんの左頸部に超音波検査の器具を当て、モニター画面を凝視した(上写真)。そして狙いを定めて彼女の首の左下に注射器を刺し、モニターで注射針がリンパ節に入ったことを確認すると、ワクチンを添加した免疫細胞を注入していった(下写真)。一般に、首には大きな血管や神経が複雑に走っているので、医師であっても安易に注射を打つことはできない。これも自身のキャリアの中で武田医師が頭頸部がんの手術を行う知識と技術を持っているからこそなせる業なのだ。
「がんは常に再発のリスクが伴う病気です。治療で悔いを残さないために、できることは全部したい。武田先生のもとで標準治療と併せて免疫療法を受けることで、抗がん剤や放射線の副作用も軽減されています。がん細胞の遺伝子解析をした結果、私にはがんを攻撃できる可能性が多く見つかりました。再発予防のために、ネオアンチゲンのワクチンをもうしばらく続けていく予定です」(吉田さん)
ネオアンチゲンは、今後オプジーボなどと組み合わせることで、さらに発展していく可能性がある。手術なしでがんが根治する――。いずれ、そんな時代がやって来るかもしれないのだ。

取材・構成:青木直美(医療ジャーナリスト)写真:浜村菜月