1973年、静岡県三島市生まれ。講談社『フライデー』記者。政治を主軸にしているものの、格闘技やビジネスレポートなどの取材もしている。著書に『ダークサイド・オブ・小泉純一郎　「異形の宰相」の蹉跌』（洋泉社）、『激闘 リングの覇者を目指して』（ソフトバンク クリエイティブ）、『団塊ジュニア世代のカリスマに「ジャンプ」で好きな漫画を聞きに行ってみた』（講談社）がある。

岩崎 大輔

<figure id="attachment_338419" aria-describedby="caption-attachment-338419" style="width: 4633px" class="wp-caption alignnone"><a href="#" data-ident_hash="662a53b4"><img src="https://res.cloudinary.com/fridaydigital/image/private/t_article_image/wpmedia/2023/10/19a366d076df47e76aa08245817b1240.jpg" alt=""></a><figcaption id="caption-attachment-338419" class="wp-caption-text">７月にはスティーブン・フルトンを倒し、ＷＢＣ、ＷＢＯ世界スーパーバンタム級のベルトも手に入れた井上尚弥（PHOTO：共同通信社）</figcaption></figure>
<p>日本ボクシング界の至宝・井上尚弥（30）。世界バンタム級４団体統一をすべてKO勝利で果たし、今年７月にはWBC＆WBO世界スーパーバンタム級のベルトもKOで獲得。階級差のあるボクシングにおいて、体重差をなくして誰が最強かを決める「パウンド・フォー・パウンド（PFP）」１位の称号も得た。そんな井上の名前が、強さが、世界に広がっていくなか、「東京新聞」ボクシング担当記者の森合正範の胸内に葛藤があった。</p>
<p><span class="strongInContent">「井上の強さを言葉にできていないーー」</span></p>
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<p>森合は井上の強さを解明するために、アルゼンチンやメキシコなどへ赴き、拳を交えた10人の選手と対話をした。それを10月26日に<a href="https://www.amazon.co.jp/%E6%80%AA%E7%89%A9%E3%81%AB%E5%87%BA%E4%BC%9A%E3%81%A3%E3%81%9F%E6%97%A5-%E4%BA%95%E4%B8%8A%E5%B0%9A%E5%BC%A5%E3%81%A8%E9%97%98%E3%81%86%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E3%81%93%E3%81%A8-%E6%A3%AE%E5%90%88-%E6%AD%A3%E7%AF%84/dp/4065337488">『怪物に出会った日 井上尚弥と闘うということ』（講談社）</a>として上梓。本書は発売前に重版が決まるほど、話題を呼んでいる。</p>
<p>井上の異次元の能力を聞き出しながら、敗者に寄り添い、敗戦から立ち上がっていくことで得たものを問うた。敗北を糧として世界王者に輝いた選手も二人いる。反対に幼少期より積み上げてきたものをリング上で壊され、絶望を味わいリングを去った選手もいる。それでも皆、井上と闘えたことを誇りにしているのだ（以下、「 」内はすべて森合氏のコメント）。</p>
<p><span class="strongInContent">「勝つためにみんな本気で練習をして、命を賭して闘った。でも、完膚なきまでに打ちのめされた選手が大半なんです。けれども、全力でやってきた人たちだからこそ、井上選手の凄さがわかる。</span></p>
<p><span class="strongInContent">拳が色々な角度から飛んでくる、自分が打てないようなカウンターがくる、狙いを見透かしたかのようなディフェンスに阻まれるーーなど、試合中に井上選手の異次元の能力に驚愕する。そしてその瞬間、井上選手が自分のことを研究し尽くし、どれだけの練習をしてリングに上がってきたのかが伝わる。日々の積み重ねが違う、積み上げてきたものが違う、と理解できてしまうようです。</span></p>
<p><span class="strongInContent">『あんな風にパンチをかわされたのは井上選手だけだよ』『ガードしたはずなのに内側から殴られていた』と感服したように語るんですよね。みなさん、身振り手振りを交えて井上選手の異次元の能力について饒舌に語ってくれたのは驚きでした」</span></p>
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<p>森合が聞き手だからこそ胸襟を開いたのだろう。森合には敗者への敬意がある。学生時代、後楽園ホールでアルバイトをしていた頃、試合で着用するグローブをボクサーに渡す、「カギ番」と呼ばれる任を担っていた。試合後、敗れた選手の打ちひしがれる姿を目の当たりにすると、「そろそろグローブを返してください」と言い出せずに、控室の扉の前で煩悶していた。そんな森合だからこそ聞けたのではないか。</p>
<div data-friday-nextpage-lead="「井上から逃げてまで上を目指す意味はない」"></div>
<figure id="attachment_338423" aria-describedby="caption-attachment-338423" style="width: 3088px" class="wp-caption alignnone"><a href="#" data-ident_hash="a243d50d"><img src="https://res.cloudinary.com/fridaydigital/image/private/t_article_image/wpmedia/2023/10/f2f1d57962c4344dad293386ec397389.jpg" alt=""></a><figcaption id="caption-attachment-338423" class="wp-caption-text">井上と対戦した佐野友樹。後ろは井上戦の際のポスター</figcaption></figure>
<p><span class="strongInContent">「失礼なことですよね。負けた選手に話を聞くこと。それも自分の話ではなく、勝った相手のことを聞く。いいのだろうか、自分にできるのか、という葛藤は最後までありました。取材前はいつもカギ番をやっていた頃と同じ心境で、このタイミングで聞いていいのか、と悩みは抱えていました。</span></p>
<p><span class="strongInContent">その葛藤は最後までありましたが、佐野さんは目の疾患の話もしてくれた。引退手前の網膜裂孔であったこと。心配させまいと、所属ジムには白内障と偽っていたことも語ってくれた。限られた人しか知らない話で、赤の他人には話すつもりもなかったと思います。</span></p>
<p><span class="strongInContent">メキシコのアドリアン・エルナンデスも敗れた後、酒に溺れ、当時の恋人とも別れるような荒れた生活を送ったことまで話してくれた。そこまで彼らが覚悟し、傷をさらしてくれるなら、僕はその生き様を世の中に伝えないといけないと思った。取材をすればするほど、あの選手たちの生き様をきっちりとした形にしないとならない、と強く思うようになりました」</span></p>
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<p>森合が語る「佐野さん」とは、’13年４月16日、井上と拳を交えたライトフライ級日本ランキング１位の佐野友樹（41）のことだ。当日は、２戦２勝２KOの鳴り物入りのスーパールーキーを観に来た観客が大半だった。佐野は第２ラウンドにダウンを奪われ、KO負けは時間の問題と思われたが、踏みとどまった。初回からKOラウンドの10回まで、佐野は一方的に殴られ続けたが、何度も立ち上がり、浅いパンチが井上の顔にヒットすると会場から拍手と歓声が沸き起こった。</p>
<p><span class="strongInContent">「佐野さんとしゃべっていて、言葉の端々から人生をかけていたことが伝わってきました。自分の存在証明をあの一戦にかけていたと思います。アマチュア時代の一時期、中途半端だった自分を悔いていましたし、あと一歩で日本王座にも届かなかった。そんな彼があのリングで燃え尽きるために、ボクシング人生のすべてをかけていました。傍目には一方的な試合展開でしたが、佐野さんはパンチをもらっても９ラウンドまではボディワークで急所をずらし、井上選手が後半、口で息をするのを感じ、あとちょっとの我慢だ、と鼓舞し、右のショートストレートが当たるタイミングを計っていたんです。佐野さんの章は書いていたときも、読み返すときも、取材風景が蘇って泣きそうになりました」</span></p>
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<p>’13年８月25日、日本ライトフライ級王者の田口良一は井上とフルラウンド打ち合った末、判定で敗れ、ベルトを失った。ベルトを返上し、井上の挑戦を避け、世界を狙う道も所属ジムの会長に示されたが、<span class="strongInContent">「井上君から逃げてまで上を目指す意味はない」</span>と井上との試合を選択した。</p>
<p><span class="strongInContent">「世界チャンピオンを目指していて、挑戦できる可能性があるのに、わざわざ井上戦を選んだ心境が理解できずに、本人だけでなく会長やトレーナーにも何度も質問しました。田口選手の価値観では世界チャンピオンより井上尚弥と闘うことーー、そこに価値を見出していたようです。</span></p>
<p><span class="strongInContent">井上選手にスパーリングで倒されたことがあり、その雪辱もあったでしょう。業界内で『井上から逃げた』と言われるのが嫌だったとも話していました。ボクサーとしての矜持で、本当の強さを求め、井上選手と闘ってみたかったのでしょう」</span></p>
<p>井上に善戦した田口は１年４ヵ月後、WBA世界ライトフライ級王者になり、７度防衛し、IBFとの統一王者にもなった。</p>
<p><span class="strongInContent">「トレーナーは『井上選手との試合の過程が活きた』と話しています。試合中、苦しい展開となると『井上君より強くないだろ』と精神的な支えにもなった。井上戦を逃げなかったことが、財産となったと。</span></p>
<p><span class="strongInContent">田口選手に限らず、井上選手と闘った人たちは、強い人と闘いたい、自分がどれくらい強いのか知りたい、と純粋に語っていたのが印象的でした」</span></p>
<div data-friday-nextpage-lead="なぜ王者は「井上にいかに負けたか」を語ったのか"></div>
<figure id="attachment_338426" aria-describedby="caption-attachment-338426" style="width: 3088px" class="wp-caption alignnone"><a href="#" data-ident_hash="10d6407f"><img src="https://res.cloudinary.com/fridaydigital/image/private/t_article_image/wpmedia/2023/10/da40fb9230d8754db84b3c2fe55bba36.jpg" alt=""></a><figcaption id="caption-attachment-338426" class="wp-caption-text">森合氏のインタビューに応えたオマール・ナルバエスと息子のジュニア・ナルバエス</figcaption></figure>
<p>モンスターの名が世界に知られるきっかけとなったのは’14年12月30日のWBO世界スーパーフライ級タイトルマッチだ。王者のオマール・ナルバエスを４度沈め、２ラウンドKO勝利を収めた。ナルバエスはWBO世界フライ級王座を16度、同スーパーフライ級王座を11度防衛し、「アルゼンチンの英雄」と呼ばれた。プロアマ通じて21年、150試合で一度も倒れたことはない。そのレジェンドに「大きな差を感じた」と言わしめるほどのKO劇だった。彼は森合がもっとも気を配った取材対象だった。</p>
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<p><span class="strongInContent">「実績を残した選手が、あの負け方を喫したわけです。どう聞いていいのか悩みました。いちばん緊張した相手でしたが、実際に会ってみると本当に親切な人で、身振り手振りを交えて、自分が倒されたパンチを再現までしてくれたのです。『外から来ると思うだろ、でも軌道が変わって中にパンチが来たんだ』と井上選手との攻防を丁寧に解説してくれた。負けた試合に対してどうしてここまで克明に、自分が倒されたことを説明してくれるのか、疑問を感じました。</span></p>
<p><span class="strongInContent">そこには、ナルバエス選手の『メディアは井上の強さをきちんと理解して報じていない』という思いがあったようです。彼自身、現役時代に、防衛を重ねても『ナルバエスは対戦相手を選んでいる』と不本意な書かれ方をしたそうです。井上も『全盛期のナルバエスに勝ったわけではない』などと書かれているのではないか、と話をしてくれました。『自分がしっかり説明するから、井上がすごい選手であることをちゃんと伝えてくれ』と託された気がしました」</span></p>
<p>一方、彼らをことごとく退けた井上は敗者を語ろうとしない。森合が取材で井上に会った際、彼らの近況は尋ねてくるも、対戦相手について、深く話さず口をつぐんだ。井上は試合の勝者であり、何かを語ることは彼らに礼を欠くと考えているようだった。</p>
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<p><span class="strongInContent">「勝者は敗者のボクシング人生を代わって背負う。中途半端に語るなら、一層のこと黙って闘い続けていく、と井上選手は考えている気がしました。対戦した選手たちをリスペクトしているのは間違いない。リングの上で闘った者同士にしか分かりあえないものがあるのでしょう。勝った側であるからこそ、あえて語らない。特別な思いがあるからこそ語りたくないのかな、と」</span></p>
<p>森合はエピローグでこう書く。</p>
<p><span class="strongInContent">〈怪物に敗れた男たち。彼らは敗者なのだろうか〉</span></p>
<p>敗者も気高い。だからこそ井上の試合は多くのファンを惹きつけるのではないか。この書もまた、多くの読者を惹きつけることとなるだろう。</p>
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<figure id="attachment_338427" aria-describedby="caption-attachment-338427" style="width: 1329px" class="wp-caption alignnone"><a href="#" data-ident_hash="5db4a46b"><img src="https://res.cloudinary.com/fridaydigital/image/private/t_article_image/wpmedia/2023/10/b64da3642fe08504f68322cf64398e5d.jpg" alt=""></a><figcaption id="caption-attachment-338427" class="wp-caption-text">メキシコでアドリアン・エルナンデス（右）を取材する著者の森合正範氏</figcaption></figure>


岩崎大輔

７月にはスティーブン・フルトンを倒し、ＷＢＣ、ＷＢＯ世界スーパーバンタム級のベルトも手に入れた井上尚弥（PHOTO：共同通信社） 日本ボクシング界の至宝・井上尚弥（30）。世界バンタム級４団体統一をす

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