【追悼’23】「歌い続けなさい。いつかわかるだろう」…伊集院静さん「近藤真彦が明かす」無頼の神髄
伊集院静
11月24日没・享年73
![FRIDAYに最後に登場したのは’14年。自著『許す力』刊行記念の取材だった。いつの時代も、活字で生き様を説いた](https://res.cloudinary.com/fridaydigital/image/private/c_scale,dpr_2,f_auto,t_article_image,w_664/wpmedia/2023/12/8df7b73a7820f4aef47864f2a6c5fccf.jpg)
′23年11月24日に亡くなった作家・作詞家の伊集院静さん(享年73)。テレビCMのプロデューサーや松任谷由実、松田聖子のコンサートの演出を担当。作詞家としても活動し、近藤真彦の『ギンギラギンにさりげなく』をヒットさせるなど大活躍をした。同年には小説「皐月」で作家デビューも果たし、数々の文学賞を受賞した。
伊集院さんが作詞した『愚か者』が代表曲となった、歌手の近藤真彦が当時の思いを振り返る――。
「『愚か者』の意味がようやくわかるようになりました」
近藤真彦(歌手)
僕が初めて伊集院さんに会ったのは16歳の時。デビュー曲のレコーディングスタジオです。スタッフから「うるさい先生が来るから礼儀に気を付けろ」と言われて、身構えていたんですけど、伊集院さんはとにかくカッコよかった。黒のロングコートをセンス良く着こなし、立ち振る舞いもスマート。少し話をしたあと、
「湘南に来ることがあれば寄りなさい」
と、名刺の代わりに、定宿にしていたなぎさホテルのマッチ箱を渡してくれました。「カッコいい〜!」って思いましたよ。
伊集院さんが歌詞を書いてくれた『愚か者』で、僕は’87年に日本レコード大賞を受賞できました。でも、歌詞がアイドルっぽくないし難解なんです。22歳当時の僕には歌の意味がわからなかった。だから伊集院さんに聞いたんです。すると、
「これは新橋の酔っぱらいの唄だ 」
って言われて……。「そんなワケないんじゃないか」と思いましたけど、
「近藤君、歌い続けなさい。いつかわかるだろう」
としか言ってくれなかった。ただ、僕も60歳近くなり、この曲を歌うとジワ〜と胸に来るものがあるようになりました。伊集院さんは一緒に飲むと、時々「人との別れ」を話してくれたんです。伊集院さんは無頼派でしたから、波乱万丈の人生の中で「愚か者」たちと、男同士の付き合いがあった。そして、彼らとの別れも経験していて、それを僕の歌の中で表現してくれていたのかなと思っています。
伊集院さんは僕にも無頼の雰囲気を感じていたのかな? 他にも男の友情や別れの歌をいくつか作ってくれました。どれも、僕にとっては宝物です。これからも伊集院さんが遺してくれた曲を、大切に歌っていきたいと思います。
![’81年に小説家としてデビュー。作詞家としても数々の名作を残した。近藤とは40年以上にわたり交流があった](https://res.cloudinary.com/fridaydigital/image/private/c_scale,dpr_2,f_auto,t_article_image,w_664/wpmedia/2023/12/0f46175cd9821e83cd9b134b39db8beb.jpg)
『FRIDAY』2023年12月29日号より
PHOTO:吉場正和(1枚目)