【閲覧注意】「遺体を塩コショウで味付け」「局部を水洗いして保管」…昭和史に残る残虐&怪事件3選 | FRIDAYデジタル

【閲覧注意】「遺体を塩コショウで味付け」「局部を水洗いして保管」…昭和史に残る残虐&怪事件3選

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狭山事件、西口彰事件、津山三十人殺し…。これらは昭和史に残る殺人事件として知られ、世間を震撼(しんかん)させた。連日マスコミが残虐非道な手口や被害規模の大きさ、犯人の動機などを報道し、現在でも多くの文献でまとめられている。当時生まれていない世代でも、事件の触りくらいは聞いたことがあるかもしれない。

一方で、この他にもあまり大々的に報道されなかった「昭和の怪事件」は数多くある。それらの事件をまとめ、書籍やYouTubeでも発信しているのが、珍事件・怪事件ライターの穂積昭雪さんだ。

今回はそんな穂積さんが印象に残った昭和の怪事件を3つ紹介していこう。なお食事中の方は、いったん閲覧を控えることをおすすめする。

中年男性の油いため事件

事件が起きたのは1976年3月。千葉県木更津市の山中で、当時39歳男性(以下、S)のバラバラ死体が見つかった。遺体はすでに腐敗した状態で発見され、野犬に食われた箇所もあったという。Sは普段から恨みを買うような背景がなく、捜査は難航すると思われるも、遺体発見から6日後に事件は解決。逮捕されたのは「K」という元板前見習いの男だった。

事の発端は、SがKと飲み屋で知り合ったことから始まる。Kは飲み屋でSを泥酔させたのち、現金5万円を盗取。その後KがSを自宅に連れ込み、体をバラバラにして殺害し山の中へ捨てたという。

驚くべきはKがSをバラバラにした後の行動にある。Kは兼ねてより人肉に強い興味を抱いていたとされ、Sから切り取った太ももの肉を油でいため、塩とコショウで味付けして食べようとしたのだ。その後の週刊読売での取材では「本当は刺身にして食べてみたかったが、ワサビ醤油が手元になかったので、油で炒めて塩コショウでソテーにした。人肉があんなに臭いものだとは思わなかった」と証言。カニバリズム事件は昭和史にいくつか存在するが、事細かに人肉の味ないし臭いを冷静に語るのは、当時珍しいケースだった。

また、Kは性的趣向として男性に興味があったと思われ、別の取材で《(遺体の)パンツから男性のシンボルがはみ出している。それは、わたしのものなんかとは比べようもないほど、立派で大きいものでした。以前から、わたしはそういうたくましいものに憧れていたので、急にほしくなりました》(『19人の阿部定』桑原稲敏/現代書林)と語っており、Sの陰茎と睾丸(こうがん)を水洗いして保管したという。証言ではそれらを「ごみ箱に捨てた」としているものの、食べてしまった可能性も拭えない。

1981年に日本を騒がせた「パリ人肉事件」の5年前に起きたこの事件。人間の知的好奇心が招いた世にも恐ろしい人肉食事件である。

1976年3月10日読売新聞より
1976年3月10日読売新聞より

ミイラ夫と愛の逃避行

1987年4月、朝日新聞に「夫のミイラとドライブ3週間」という記事が掲載された。東京都杉並区で室内装飾業を営んでいた仲睦まじい夫婦に起こった事件で、夫を思う純粋な気持ちが生んだ愛の逃避行である。

事件の登場人物は、夫のA、妻のB子、妻の友人Cの3人。1986年11月、夫であるAは脳出血で倒れ、意識不明の重体で入院していた。治療が続けられるも一向に回復しないAの状況を見ていた妻のB子は「もう病院は信用できない。私の方法で夫を治す」と一方的に退院を決意。その後B子の懸命な看病が続いたが、1週間後にAは亡くなってしまった。

しかし、Aの遺体を病院に引き渡したくなかったB子は、死んだ夫の埋葬先を探すために寺探しの旅を決行。愛する夫の弔いは誰かの手ではなく、自身が納得のいく方法にしたかったのようだ。友人のCと共にワゴン車に乗り込み、Aの遺体を手製の棺おけに詰めて出発した。

途中で寄った寺に「夫の死体を預かってほしい」と頼むも次々と断られる日々。京都、奈良、九州へと足を延ばした結果、逃走は3週間にも及んだ。その時点でAの遺体はすでにミイラ化しており、夫婦の逃避行に耐え切れなくなったCが杉並署に駆け込んだことから事件は明るみになった。

病院への不信感、強すぎる夫への愛情ゆえに起こった一連の事件。発覚から35年余りが経過しているが、今もAの遺体とB子がどうなったのかはわかっていない。

1987年4月8日東京新聞より
1987年4月8日東京新聞より

悪魔いバラバラ殺人事件

最後の昭和怪事件は、神奈川県藤沢市で起こった藤沢悪魔払いバラバラ殺人事件。先に紹介した2つの事件と比べて、すでに経緯がまとめられている媒体がいくつかあり、知っている方もいるかもしれない。

事件が起きたのは昭和末期の1987年。あるヴィジュアルバンドのボーカル・Mが殺害され、体をバラバラにされた。Mは端正な顔立ちから「和製マイケルジャクソン」とも呼ばれ、殺害前にはレコードも発売されていた。殺害したのは自身の妻と、従兄のS。親族2人による犯行であった。

当時被害者のMは、妻とSの3人で共同生活を行っていた。SはMの曲作りを支援し、妻は精神的なサポートをするなど、互いに支え合う関係だったという。

ただ、この3人には親族という以外に、某宗教団体の熱狂的な信者であるという共通点があった。共同生活をする中で、次第に3人の共通言語には「悪魔」「神」「救世」という言葉が日常的になる。閉鎖的な空間はやがてMの精神をむしばみ、いつしかMは「自分は悪魔にとりつかれている」と思うようになった。

そして1987年2月22日。Mについた悪魔を払うべく、妻とSは自己流の悪魔払いの儀式を行う。身体を爪でひっかき、傷口に塩を塗り込むなどで払おうとしたが、ふたりが思ったような効果は得られなかった。やがて「Mの体の中に悪魔がいるのでは?」と思うようになり、内臓辺りに潜んでいる悪魔を払うために、Mを殺害しバラバラにしたのだった。

その儀式は三日三晩続いた。室内に警察が駆け付けた際、カセットテープレコーダーから流れる自主制作途中の音源を聴きながら、2人の男女がMの遺体を一心不乱に解体していたという。

なお3人が信仰していた宗教に、悪魔払いに関する教義は一切存在しないという。閉鎖的な空間がそれぞれの精神を暴走させ、誤った判断をしてしまった事件。殺害時の行動と動機を鑑みても、昭和史の中でも猟奇性の高い事件だったといえる。

1987年2月26日毎日新聞より
1987年2月26日毎日新聞より

明治時代から昭和に至るまでの事件をまとめてきた穂積さん。

「昔に起こった猟奇事件をまとめた本を見ると、大体は津山三十人殺し、阿部定事件などが扱われていて、掲載される情報も絞られてきます。ただ、新聞が登場して150年以上ある中で、まだまだ数えきれない事件がある。先に紹介した、新聞の三面記事で扱われていたような事件を知る事で得られるものは必ずある。史実として、決して忘れてはいけない」

と最後に語ってくれた。

今回お話を伺った穂積昭雪さん 写真/本人提供
今回お話を伺った穂積昭雪さん 写真/本人提供
  • 取材・文FM中西

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