パ・リーグは熱かった 今井雄太郎&新井宏昌対談 猛者たちの激闘 | FRIDAYデジタル

パ・リーグは熱かった 今井雄太郎&新井宏昌対談 猛者たちの激闘

「完全男」と「最高のバットマン」が語り尽くした「あの夏、いちばんアツかったパ・リーグ」

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’78年にプロ野球史上14人目の完全試合を達成した元阪急の”酒豪”今井雄太郎。’87年に当時のシーズン最多安打記録184本を達成した元近鉄の”理論派”新井宏昌――。2人のレジェンドがパ・リーグの最もアツかった時代の舞台裏を語り尽くす!

今井雄太郎 いまい・ゆうたろう ’49年、新潟県生まれ。中越高から新潟鉄道管理局(現、JR東日本新潟支社)を経て、’70年にドラフト2位で阪急へ入団。極度のあがり性だったが、’78年5月の試合前にビールを飲んだことで覚醒。以後、オリックス、ダイエーと渡り歩きプロ通算21年で130勝112敗の成績を残す
今井雄太郎 いまい・ゆうたろう ’49年、新潟県生まれ。中越高から新潟鉄道管理局(現、JR東日本新潟支社)を経て、’70年にドラフト2位で阪急へ入団。極度のあがり性だったが、’78年5月の試合前にビールを飲んだことで覚醒。以後、オリックス、ダイエーと渡り歩きプロ通算21年で130勝112敗の成績を残す
新井宏昌 あらい・ひろまさ ’52年、大阪府生まれ。PL学園から法政大を経て、’74年にドラフト2位で南海へ入団。俊足好打で1年目から規定打席未達ながら打率3割をマーク。’85年末に近鉄に移籍。’87年には初の首位打者を獲得。’92年に引退するまでのプロ通算18年間で放った安打数は2038本にのぼる
新井宏昌 あらい・ひろまさ ’52年、大阪府生まれ。PL学園から法政大を経て、’74年にドラフト2位で南海へ入団。俊足好打で1年目から規定打席未達ながら打率3割をマーク。’85年末に近鉄に移籍。’87年には初の首位打者を獲得。’92年に引退するまでのプロ通算18年間で放った安打数は2038本にのぼる

登板直前にコーチが「酒をグッと飲め!」

新井 今井さんは指名打者制のパ・リーグで唯一、完全試合を達成した大投手(’78年8月の対ロッテ戦)。最多勝のタイトルを2回も獲得した猛者(もさ)ですが、酒にまつわるエピソードには事欠きませんね。

今井 入団して7年間は、泣かず飛ばずの二線級の投手やったけどな。7年間の通算成績は6勝8敗。投手コーチの梶本(隆夫)さんも「ブルペンではエエ球放るのに、なんで試合になるとダメなんかなぁ」と、それはそれは心配してくれて、いろいろなことをしてくれたんよ。お守り持ってきてくれたり、新しいトレーニング方法を考えてくれたり……。

新井 上田利治監督(当時)も、相当気を揉んでいたんやないですか。

今井 ワシに酒を飲ませろと言ったんは、その上田さんなんや。ある日のコーチ会議で、こう言ったそうサ。「雄ちゃんは飲むと陽気になってノビノビしている。試合前に一杯飲ませてみたらどうや」と。

新井 あの時代らしいムチャクチャな発想。しかも、それが実行された……。

今井 忘れもしない’78年5月のこと。大阪球場での南海戦やった。先発のワシがベンチからマウンドに行く直前に、梶本さんに呼び止められたんサ。梶本さんは、ビールのなみなみ入った500mlの紙コップを手にこう話すんよ。「雄ちゃん、グッと飲め!」と。

新井 かなりの量やないですか!

今井 ワシは「登板前に飲めるワケがないでしょう」と断ったんよ。でも梶本さんは、「どうせこれが最後だからエエやないか」と言うんサ。

新井 最後、というのは?

今井 先発はこれが最後のチャンスやと。ワシも「だったらエエかな」という気持ちになって、一気に飲んだサ。

新井 うわぁ~。

今井 投げたら心臓バクバクしてサ。飲んでスグ、マウンドに行ったワケやから、息が上がるわ苦しいわ。ところが……いつもならマウンドで打たれたことを思い出したり、「同じことを繰り返したら二軍落ちだ」とマイナス思考に陥るサ。ばってん、酒が入るとアレコレ考える余裕がない。余裕がないから「キャッチャー、はよサイン出さんかい!」と何も考えんで、指示通りに投げた。それで7回無失点。久しぶりの勝利投手になったんよ。

新井 それからですよね。今井さんが勝ち星を重ねるようになったんは。勝てば自信が出てくるんだから、登板前ビールの威力はスゴい。

今井 登板前ビールは、その後も何回かあったな。フフフ。対ヤクルトだか広島だか、日本シリーズの登板前にも飲まされたことがある。

新井 ホンマですか? もしかして飲んだ試合はすべて結果が良かったとか。

今井 そうやね。だいたい気持ちが大きくなって勝てるんよ。ハハハ!

新井 思い出した。新聞記事に「今日は雄ちゃんを酔っ払わせてマウンドに送ったのが良かった」と、上田監督の談話が載ったことがありましたよね。

今井 あれには参ったサ。話がどんどん膨らんでいくんだから。「今井は登板するときは必ずビール2杯以上飲んでいる」「調子が悪いときには一升瓶を空けて自分を奮い立たせることもあるそうだ」とね。アンタも『あぶさん』(水島新司作のプロ野球漫画)のように、打席に入る前に酒を飲んだことはないの?

新井 あるワケないでしょう! 近鉄時代は仰木彬監督(当時)をはじめ、チームメイトは毎日のように明け方までよう飲んでましたけどね。二日酔いで起きられず、デーゲームの試合開始直前に球場に駆け込んでくる選手もザラにいましたよ。ただボクが南海から近鉄に移籍したときは30代半ば。20代の選手が多く、ボクのことは「よそから来たオッチャン」という目で見られていたのでつるむことはなかったんです。

今井 あのアツい時代にしては、相当クールやったな~。

300万円の年俸で180万円の記念品

新井 あの時代でも、試合開始直前に酒を飲んでいた選手は今井さんぐらいですよ! まさか完全試合を達成した時も、ビールを飲んでいたんですか。

今井 飲んでない(笑)。ただ試合後は、毎日朝まで飲んだサ。次の登板は大阪球場での南海戦やったけど、試合が始まる直前までノックを延々と受けさせられた。コーチから『オマエ、完全試合でたらふく祝杯を飲んだやろ。とことん汗をかいて全部出せ!』と言われてね。キャンプ中のシゴキよりヒドかったサ。

新井 当時の野球選手は飲んだ分、よく練習もしていました。

今井 完全試合には後日談があるんよ。阪急百貨店の専務が訪ねてきて、「記念品を作らせてください」と言うんサ。思い出に残る品を考えようとね。それで、完全試合を達成した瞬間の写真を焼き込んだ皿時計を発注することにした。言われるがままに贈った先は監督、コーチ、チームメイト、高校時代の友人、知り合いの新聞や雑誌記者……。100人、200人とドンドン増えていったサ。しばらくして請求書が来てビックリ仰天。180万円もかかっていたんよ。サラリーマンの平均年収が260万円の時代。ワシの年俸も300万円に届いていなかった。女房には怒られたね。「アンタ、自分の年俸がいくらかわかってんの!」と。

新井 あの年(’78年)13勝して、年俸が790万円に上がってよかったですね。当時、誰と一緒によく飲んでいたんですか。

今井 同じ阪急の先発陣やった、山田久志さんや佐藤義則やね。あれは入団2~3年目のキャンプやったかな。宿舎の地下のバーで一緒に飲んでいた山田さんが「マッサージしたいなぁ。雄ちゃんの部屋は空いてるか?」と聞くんよ。ワシはちょっと足元がフラついていたけど、先輩のために慌てて部屋に戻ったサ。

新井 部屋をキレイにするために?

今井 そう。ばってん様子がおかしい。若手2~3人と相部屋だったはずが、布団が一つしか敷かれておらず、しかも誰か寝てるんよ。「ナニサッサと眠っとんねん」とガバッと掛け布団を引っぱがすと、「誰や!」と怒鳴られた。思わず正直に「今井雄太郎で~す!」と答えてしもて……。それから部屋を逃げだしたサ。

新井 誰だったんですか?

今井 当時の監督、西本幸雄さんサ。酔って部屋を間違えたんやね。翌日キッチリ、シメられたサ。「雄太郎! 泥酔するほど飲んだんだから、グラウンドで徹底的に汗をかいてアルコールを出せ」とね。時効やろうから言うけど、あの時代は飲みに行って飲酒運転で帰るというのも当たり前やった。アンタはマジメやから、飲みに行かへんかったやろ。

ボールをナイフ切り「飛ぶボール」発見!

新井 そうですね。試合が終わったら、スグに部屋に戻っていました。身体が小さかったから(現役時代は身長175cm、体重66kg)、遊びに行っても疲れるだけ。野球のことばかり考えていました。

今井 当時、コンディショニングの大切さを理解していたのは、アンタくらいやろ。「飛ぶボール」と「飛ばないボール」の違いも見破ったもんなぁ。

新井 南海はクボタ製、阪急や近鉄はミズノ製のボールを使っていたのですが、飛距離は変わらないと言われていました。ところがボクが所属していた南海の打者は打球が失速し、阪急や近鉄の打者は同じスイングスピードなのに軽々とスタンドインする。それで近鉄との試合中に、両チームが使っているボールをナイフで二つに切ってみたんです。するとクボタ製は太く柔らかい繊維で作られているのに、ミズノ製は細くて硬いナイロン製の糸で強く巻かれていた。これなら反発力が出て飛ぶはずですよ。

今井 理科の実験みたいやな。

新井 近鉄のエース鈴木啓示さんは、感覚的にボールの違いがわかっていたので南海との試合では主催ゲームでもクボタ製を使っていました。鈴木さんは被本塁打が多かったですからね。

今井 アンタも恩恵にありついた?

新井 ハイ。南海時代は本塁打5本前後だったボクが、近鉄に移籍していきなり2年連続2ケタですから。

今井 近鉄時代のアンタには、よう打たれたわ。顔も見たくなかった。

新井 反発力を利用するという理屈では、ボクは非力ですから今井さんのような速球投手に強かった。速いボールをバットの芯に当てる技術があれば、反発力で遠くに飛ばせますからね。ボクの通算本塁打は88本しかありませんが、一番多く打っているのが当時の速球王・村田兆治さんなんです。西武の渡辺久信や郭泰源なども、よく打った印象があります。

今井 バットについても研究したの?

新井 ハイ。メーカーからバットが届くと、袋のグリップエンドに必ず丸い穴が開いている。特に梅雨時はそこから湿気が入り、30gほど重くなるんです。だからメーカーに頼んで、穴の開いていない袋で二重にしてくださいと頼んだんです。

今井 さすが昭和の安打製造機やな。でもそのワリには年俸が1億円に届かず、安かったんやないか。

新井 近鉄のおエライさんに、年俸交渉の場でよくこう言われていました。「ウチの顔は大ちゃん(大石大二郎)や。いくら活躍しても大ちゃんの給料を超えさせられない。ガマンしてくれ」とね。その代わり、大ちゃんの成績がいいと、ボクが多少悪くても上げてもらいました。

今井 細かい査定基準がある今では、考えられへん適当さやな。

新井 酒を飲んでマウンドに向かった今井さんの存在自体、現在の野球界では認められないでしょう(笑)。

今井 ワシらのような猛者が思い切り野球のできた、エエ時代やったんやな。

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  • PHOTO青沼修彦、高野宏治

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