安田純平、横田徹、山路徹、小野一光が語り尽くす「戦場の生と性」

武装集団にとっつかまってリンチ、糞尿まみれの独房、見張りに求愛されて…

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安田純平、横田徹、山路徹、小野一光。最前線で取材を重ねてきた戦場ジャーナリストたちによる緊急座談会。彼らが戦地で見て、体験した壮絶極まるエピソードの数々を紹介する!

横田 徹 ’71年、茨城県生まれ。’97年のカンボジア内戦から報道カメラマンとして取材を開始。その後パレスチナやイラク、アフガニスタン、シリアなどの紛争地に赴く。著書に『戦争中毒』他
アフガニスタンでは米軍に従軍し取材。野営用の携帯食品を食べる

イラクの美人妻が夫のいぬ間に売春

横田 まずは安田さん、よくご無事でシリアから帰国されました。

安田 ありがとうございます。

小野 一番ツラかった体験は何?

安田 幅1m、高さ1.5m、奥行き2mの狭い独房での軟禁生活ですね。部屋の両側には常に犯行グループの人間がいて、私が少しでも音を立てると見せしめに他の囚人を激しく拷問したり、電気を点滅させたり、扇風機を消して蒸し風呂にしたりするんです。音がするので寝返りもできない。そんな状況が数ヵ月も続いたため、腰を痛め椎間板ヘルニアになってしまいました……。今でも痛みがヒドい時は仰向けに寝られません。

山路 拘束生活のツラさは想像を絶しますよね。ボクも’10年にミャンマー東部の街で、秘密警察に捕まったことがある。やはり、奥行き2mほどの狭い独房に閉じ込められました。床は土がむき出しで、雨風を防ぐのは木の粗末な格子のみ。近くには囚人たちが使う不衛生極まりないトイレがあり、仕切りもないので汚物や汚水が垂れ流し。常に糞尿の悪臭が充満していました。

横田 食事はどうしていたんですか。

山路 何が入っているのかわからないような料理や生水は口にしませんでした。不衛生な上に腹も壊したら最悪ですからね。唯一の楽しみは、爆笑問題の太田光似の見張り役がくれるタバコでした。

小野 優しい秘密警察がいたもんだ。

山路 ボクも、最初はいいヤツだと思っていたんですが……。ウラがあったんです。ある夜、その太田光がやって来てニヤニヤしながら変なジェスチャーをしました。腰の前で両手を前後に動かすような……。彼はゲイだったんですよ。タバコをあげたんだから、オレの欲望に応えろとアピールしていたんです。

横田 お、応じたんですか!?

山路 まさか! さすがに断固、拒否しました。まぁ、おかげでタバコはもらえなくなりましたが……。風俗ジャーナリストでもある小野さんは、紛争地で人妻取材もしたんですよね。

小野 はい。’04年にイラク南部のサマワに行った時、イラク人の通訳に現地の風俗嬢を探してもらったんです。連れて行かれたのはフツウの住宅街の一室。部屋に入ると、ブルカ(イスラム圏の女性用ベール)を着ていないリサ・ステッグマイヤー似の美女が! 30代前半の彼女は人妻で、夫が長期間の出稼ぎで留守にしている間に、自宅で身体を売っているとのことでした。値段は交渉で決まり、相場はないようです。

山路 おぉ! 興奮しますね~。

小野 相手にするのは、ヨソから来た男性だけ。地元の人間とSEXしたらスグ噂になり、バレたら姦通罪で最悪石打ちによる死刑になりますからね。

横田 小野さんも彼女のお相手を?

小野 イヤイヤ。リスクの高いことはやらない主義なので……。イラク人通訳は喜んで彼女を抱いていましたよ。ただ、人妻と別室に行き戻ってきたのはわずか3分後。彼が極度の早漏だったワケではなく、イスラム圏では前戯というものがないんです。服を脱いだらソク本番。サッサと出して、ハイ終わりという淡白さです。日本人のSEXが、いかに濃密で奥が深いかわかるってもんです!

安田純平 ’74年、埼玉県生まれ。一橋大学を卒業後、信濃毎日新聞に入社。’03年からフリーランスになりイラク、シリアなどを取材。著書に『囚われのイラク』『ルポ 戦場出稼ぎ労働者』他
シリアでは’15年6月から’18年10月まで3年4ヵ月もの間拘束された

ハチの巣になった自分の死体を想像

山路 小野さんは人妻を前に、欲求不満にならなかったの?

小野 さすがにイスラム圏で買春するのはリスキーなので、日本に戻る前にタイの首都バンコクにある「ポセイドン」という7~8階建てのビルに寄りました。世界の戦場ジャーナリストが、戦地で高ぶった気持ちを静めるために行く有名なビルですよ。

横田 中に何があるんです?

小野 全階、風俗店なんです。上の階に行けば行くほど、女性の質もグレードアップし値段も上がる。私は真ん中ぐらいの階でお世話になりましたが、値段は1万円もしなかったと思います。

山路 そ、そろそろ、紛争地ならではの危険な体験談に話を戻したいのですが。横田さんは、武装集団からリンチを受けたことがあるとか。

横田 ええ。イスラム国を取材した’13年のことでした。取材を終え同行者とシリアからトルコに入ると、武装した地元の自警団が発砲しながら追いかけてきたんです。「勝手にオレたちの土地に入りやがって」ということなのでしょう。近くの畑に飛び込んで逃げ切ったのですが、カメラなどの機材が入ったバッグははぐれた同行者が持っていたので回収に戻ると、5~6人の男に囲まれボコボコにされた。中には銃床で、私のこめかみを殴りつけてきたヤツもいました。トッサに腕で頭を防ぎました。それでも相当な衝撃で、気を失いそうになった。最後は持っていた2000ドル(約21万円)ほどのカネを奪われて解放されました。

山路 命があっただけ良かったよね。ボクも死を覚悟した体験があります。’93年にボスニア取材で車を運転していると、自動小銃を持った二人組の男に車を止められた。一人が「降りろ」という仕草をするので検問かなと思いましたが、ひと気のない森の中に連れていかれた。思い浮かんだのは、宿泊していたホテルのロビーに貼ってあった行方不明記者リストです。彼らはボスニア兵にカネを奪われたうえ、人目につかないところで殺されたという……。ボクは森の中で、ハチの巣のようになり血だらけで倒れている自分の死体が見える気がしました。この時は車と荷物を盗られましたが、命は助かった。自動小銃を持った男が発砲しなかったのは幸運だったとしか言えません。

小野 戦地では生きるも死ぬも運ですね。イラクで武器の密売人に話を聞いた時は、取材中ずっと頭に銃を突きつけられていました。「変な言動をしたらスグ撃ち殺すぞ」という脅迫行為です。取材が終わると、外で待機していた通訳が「早く乗って!」と言って車を急発進させた。後ろからは武器の密売人たちが銃を撃ってきます。ワケがわからず車内で通訳に事情を聞くと、密売人から「あの日本人を殺してカネと荷物を奪い逃げよう」と誘われたとのこと。その誘いを通訳が断ったので、密売人たちが激高したそうです。通訳がカネに目をくらませ、彼らに応じていたら私は殺されていました。

安田 戦車や爆撃機の攻撃で、命が危険にさらされたことはありますか。

横田 ’97年に取材したカンボジアでは、身も凍る体験をしました。スーパーカブの後ろに乗って前線から戻る途中、「ドン!」という凄まじい爆音とともに100mほど先で白煙が上がったんです。カブを下りて歩いてその地点に行くと、木の枝や葉に細い肉のようなものがたくさん付着していた。豚小屋にでも着弾したのだろうと、さらに先を行くと頭のない軍服姿の人間が倒れていたんです。枝についた肉片は人間のモノだったんですよ。カブが速度を少し上げていたら、私の身体もバラバラになっていたでしょう。

安田 ’12年にシリアを取材した時に政府軍の空爆を受け、すぐ近くにミサイルが着弾しました。2階建ての家が完全に潰れていて、周囲には焦げた臭いがたち込めた。ガレキの中から頭が割れて脳が飛び出してしまった子どもの遺体や、人がいたはずの場所から小さな肉片が見つかりました。すぐ隣や目の前の民家にも、迫撃砲弾が立て続けに着弾したんです。私に直撃しなかったのは、運が良かっただけだと思っています。

山路 徹 ’61年、東京都生まれ。テレビ局の報道番組制作会社に勤務後、’92年に独立。ボスニアやソマリアなどで取材を重ねる。著書に『「正義」という名の虐殺 恐るべき国連軍の真相』他
’93年のボスニア取材時の写真。戦地では使用されなかった迫撃弾も
’01年の同時多発テロ直後、アフガニスタンから日本へ原稿を電送する

ジャーナリスト負傷で仏の特殊部隊が出動

山路 横田さんは、事故で大ケガをしたことがあるんでしょう?

横田 ’15年にイラクへ行った時、大事故に遭いました。イラク人ガイドの運転で片側一車線の道路を走っていたんですが、彼が時速100㎞でトラックを追い越そうとしたんです。見通しが悪く「危ない!」と思った時には、遅かった。反対車線を同じく時速100㎞ほどで走っていた車と正面衝突。相手の車の運転手など3人が死亡しました。私は後部座席に座っていて、スグに頭を手で防いだので幸い肋骨を3本折っただけ。しばらく気を失いましたが、横転した車のドアを蹴破り外に出て救急車で病院に搬送されました。

安田 凄まじい体験ですね……。

横田 興味深かったのが、同じ車の助手席に座っていたフランス人ジャーナリストへの対応です。シートベルトはしていましたが、肋骨が肺に刺さる重傷。現地の病院で緊急手術を受けましたが、スグにフランス軍の特殊部隊がスッ飛んできた。応急手当てをして、そのジャーナリストは救急車でトルコの安全な地域まで送り届けられました。欧米諸国では、自国政府を批判するジャーナリストであっても当局が身の安全を守るのが当然なんです。日本では考えられません。

安田 戦地において日本政府ができることはほとんどない。現場に行く日本人はみな、それを認識していると思います。

小野一光 ’66年、福岡県生まれ。「風俗から戦場まで」をテーマに殺人事件、国際紛争、売春事情など幅広く取材。著書に『灼熱のイラク戦場日記』『彼女が服を脱ぐ相手』『人殺しの論理』他
’04年、イラクの首都バグダッドで。左端は戦場カメラマン渡部陽一氏
  • 写真小松寛之、時事通信社

Photo Gallary9

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