武田鉄矢、照英、山村竜也が大激論!「新選組」最強隊士を決めよう

武田鉄矢×照英×山村竜也が大激論 近藤勇?土方歳三!?永倉新八も強いぞ!

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幕末の京都に閃光の如く現れ、そして散っていった”最強剣士集団”新選組。明治維新から150年を経た今、無類の幕末好き3名が「新選組最強隊士は誰なのか」を巡り徹底討論。今宵、永遠のテーマに決着がつく――!

三度のメシより門弟が大事な近藤勇

照英 いまだに新選組っていうのは私たち日本人の心を捉えて離しませんよね。剣豪揃いで知られる新選組ですが、結局、誰が一番強かったんでしょうか?

武田 永倉新八や沖田総司、斎藤一は剣術の天才としてよく名前を聞きますが。

山村 新選組に約4年間在籍し、その後、離脱した阿部十郎という隊士がいるんですが、彼が言うには、「一に永倉、二に沖田、三番目が斎藤」なんだとか。

武田 ほお、そんな評価が!

山村 阿部は新選組と対立して離脱した隊士だから、この3人については中立的な視点で語っているだろうし、信用できる情報だと思います。

武田 沖田は今も昔も、早熟の天才というイメージで通っていますよね。

山村 沖田は子どもの頃から試衛館(市ヶ谷にあった新選組初期メンバーの古巣)に預けられて、道場で多くの時間を過ごしました。それだけに上達も早く、20歳やそこらで免許皆伝に達し、塾頭になってしまうんですよ。

照英 なるほど。沖田は新選組でも一番組組長を務めていたし、早くから頭角を現していたんですね。

武田 一方で、斎藤は謎が多い男だ。

照英 NHK大河ドラマ『新選組!』では、オダギリジョーさん(42)が「寡黙だけど恩義に厚い斎藤」を熱演しました。薩長に敗れた新選組は京都を離れ、会津から箱館へ向かうことになるんですが、その中で斎藤だけが、「自分は会津に残る」と言うんですよね。

武田 新選組は初期から、会津藩お抱えの集団としてずっと世話になってきたからですか。

山村 そうなんです。『新選組!』でも、ポーカーフェイスで何を考えているか分からなかった斎藤が、突然義に厚い一面を見せる。これは、様々な表情を持つ斎藤をうまく捉えた描写だと思いますね。

照英 永倉や斎藤、沖田と同様、藤堂平助、山南敬助らも相当強かったと聞いています。池田屋事件(京都の旅館・池田屋に潜伏していた長州、土佐などの尊王攘夷派志士を新選組が襲撃した事件)のことを調べると、藤堂の活躍について書かれた部分がすごく多いんですよ。彼らは皆、局長・近藤勇の剣術道場、試衛館に居候していたんですよね。

武田 近藤の剣術の腕前は、実際のところどうだったんだろうか。

山村 もともと近藤家の人間じゃないのに、近藤家から4代目の養子として迎えられて天然理心流を継いだわけですから、間違いなく強かったです。若くして道場をまとめる立場に就いただけあり、申し分のない実力はあったと思います。

照英 そうは言っても、剣術の天才・永倉をはじめ、百戦錬磨の剣士たちの上に立つのは容易じゃなかったはずです。

山村 試衛館に立ち寄った浪人は皆、近藤の人柄を気に入ってしまうんですよ。

照英 近藤のどこに惹かれたんですか。

山村 永倉が言うには、「義を重んじる心が近藤と合致して居ついてしまった」と。もともと、永倉も山南も神道無念流や北辰一刀流という有名な流派の剣術を学んでいて、しかも強かった。なのに、格下と見られる天然理心流を学ぶために道場に居ついてしまう。

武田 懐が深い男だったんだな、近藤は。

山村 ええ。道場に食客を招き入れると、金がかかる。食客を招くことは、当時、あまり流行っていなかった試衛館にとって、経営に差し障ることでした。

武田 それでも食客を拒まなかったと。

山村 はい。近藤は、「自分を慕ってやってきた者たちを追い払うことはできない。自分の食費を削ってでも、彼らを置いてやりたいんだ」と言っていたそうです。

照英 特に永倉は、戊辰戦争が終わってからも近藤の墓を建てたりして、最後まで彼に惚れ込んでいたようですね。

山村 永倉は、鳥羽伏見の戦い後に江戸で近藤とケンカ別れをしていますが、いざ生き永らえてみると、近藤たちと過ごした日々が懐かしく美しいものに思えてきたんでしょうね。過去は水に流し、新選組の名誉を回復させることに尽力しています。

武田 どうして仲間割れを?

山村 江戸にいたころは義に厚かった近藤が、京都に来てから変わってしまったんだそうです。局長だからどうしても部下たちを上から見ることになるわけですが、江戸からの仲間だった永倉には、それが気に食わなかった。

武田 なるほどね。

照英 とはいえ、近藤の実直な部分は最後まで変わらなかった気がします。

山村 もともと、新選組は1863年、将軍・徳川家茂の上洛に合わせて結成された組織です。その後、大多数が庄内浪士の清河八郎に付いて江戸に戻ってしまう中で、「俺たちは将軍を警護し続ける」と言って京都に残ったのが、近藤たちでした。

照英 当初から一本筋が通っていますよね、近藤という男は。「将軍を守るために京都に来たのだから、最後までその役目を果たす」ということですもんね。

武田 彼は池田屋事件のとき、たった4人で勤王の志士の大集団に立ち向かっていくんです。司馬遼太郎さんも、小説で「たった4人でその場から逃げなかった近藤はただ者ではない」と書いています。坂本龍馬好きとしては、近藤がすごいやつに見えて困っちゃうよ(笑)。

近藤勇
永倉新八

白馬に乗ったイケメン 土方歳三

武田 ”鬼の副長”土方歳三の剣術の腕はどうだったんでしょうか。

山村 ポテンシャルという点では、新選組で一番だと私は思っています。

照英 おお! それはどうしてですか?

山村 史料によると、土方が天然理心流の道場に入門したのは25歳のときです。それから3年経った28歳の時点で、彼は免許皆伝の一歩手前である中極位目録という位に達しているんですよ。

照英 それはすごいことなんですか?

山村 相当早いんですよ、これが。土方は29歳のときには京都に上っていますが、もう少し道場にいれば、間違いなく免許皆伝まで到達していたでしょう。

武田 そうなんだね。土方は、策士である一方、剣はイマイチだっていうイメージもあったけど、今はそのイメージが180度変わってきているのか。

照英 驚きましたね。でも、何と言っても土方のかっこよさは、旧幕府軍が劣勢になっても最後まで戦い続けた、その男らしさですよね!

武田 彼ほど勝利の女神に突き放された男はいないね。池田屋事件では到着に遅れ、鳥羽伏見の戦いでは先頭にいたけど負け戦、岩手の宮古湾の海戦も負け戦、最後の五稜郭の戦いも負け戦。

山村 土方は、負けても負けても、幕府のために戦い続けます。幕府が正しいとか間違っているとかではない。ひとたびこうと決めた以上、どんなに劣勢になろうとも、忠義を尽くして戦う。なかなかできることじゃありませんよね。

照英 その生き様自体がかっこいいので、負けても魅力的ですよね。

武田 鳥羽伏見の戦いで負けて退却するとき、土方は先頭を張るわけですよ。銃弾が頰をかすめて飛ぶ中で、誰かが「危ない、土方さん!」と言うと、「当たらん、当たらん、当たらんよ」と答えるんです。このシーンは、かっこよくて震えました。

照英 カリスマ性がありますよね。一本木関門の戦いで戦死する際、土方は白馬に乗っていたとも言われています。

武田 まさに白馬に乗った王子様だ。まあ、見栄っ張りな土方のことだから、白馬が手に入るまで待ったんじゃないかね。

山村 面白いですね(笑)。

照英 土方は自分から撃たれに行ったという説があります。彼は榎本武揚率いる旧幕府軍に参加していて、新選組にほとんど顔を出せなくなっていた。それで、隊士たちへの申し訳なさに耐えきれなくなったのでは、という見立てです。

武田 白馬に乗ってたった一人で突撃してくる土方に、官軍兵が「何者だ!」と聞くと、彼は「新選組副長! 土方歳三!」と答えたらしいです。

照英 京都にいたころは輝かしい活躍をしていた新選組も、箱館ではほとんど瓦解しかけていた。それでも彼が最後に名乗ったのは、榎本軍ではなく、新選組のほうだったんですね。

武田 彼のアイデンティティは、間違いなく新選組にあったんだ。最後に「新選組副長!」と名乗ったとき、彼は幸せだったんじゃないかな。

山村 土方は幕府と一緒に滅びても良かったわけです。男としての意地を通せたんだから。節義を貫いて美しく散ることが彼の最大にして最後の目標だったでしょうね。

土方歳三

大らかで一本気な怪力男 島田魁

照英 僕が大河ドラマで演じた島田魁も、土方のそんな男らしさに惹かれて最後まで付いていった。島田の日記にも、「幕府を守りたいとかではなく、土方さんが箱館に行くから俺も付いていっただけだ」みたいなことが書かれているんです。

武田 そうなのか。島田という男はこれまでそんなに有名な隊士ではなかった気がするけど、戊辰戦争後も生き延びたんですか?

照英 そうなんです。鳥羽伏見の戦い、箱館戦争と生き延びて、最後まで土方の戒名を書いた木切れを持ち続けていた、土方の右腕みたいな人でした。

山村 彼は『島田魁日記』という記録を残していて、これが新選組の真実の姿を知るのに、大変大きな役割を果たしましたね。

照英 島田は、新選組が屯所として利用していた京都・西本願寺の守衛さんとして一生を終えるんです。

武田 彼も土方と同じように、最後まで新選組隊士として生きたんですね。

山村 そうなんです。島田は、おそらく一番長く新選組に在籍したメンバーでもあります。彼は大きくて力持ちで、しかも人情味のある好ましい男だったと言われています。だから、照英さんにはピッタリの役だったんですね。

照英 ありがとうございます! でも彼は本当に力持ちだったみたいで、鳥羽伏見の戦いでは、重装備でうまく動けない永倉をヒョイっと塀の上から引き上げたと言われているそうです。

山村 永倉も体格が良かったのですが、そんな彼をすら軽々と引き上げたのですから、とてつもない怪力です。

武田 知らなかったなあ。改めて、幕末には坂本龍馬以外にも面白い人物がたくさんいると実感するね。

山村 あえて最強の隊士は誰かを挙げるなら、沖田と言いたいところですが、私はやっぱり、土方を推したいですね。剣術の潜在能力が高いことはもちろん、最後まで男としての節義を貫き通したところも含めてです。

照英 僕は、強くて皆から慕われていた永倉を推すけど、自分の信じる道を進み続けた土方のことも、尊敬します!

山村 新選組は全体として一本筋が通っている。その中で、個々の隊士の人間模様が絡んでくるのが面白いんですよね。

武田 やっぱり幕末は最高だね!

島田 魁

新選組と剣術~天然理心流は最強の剣法~

幕末の江戸には3つの有名な剣術道場があった。鏡心明智流の士学館、北辰一刀流の玄武館、神道無念流の練兵館である。これらの”エリート道場”に比べ、近藤が4代目道場主を務め、土方、沖田らが学んだ天然理心流の試衛館は農民の弟子が多く、「田舎剣法」と馬鹿にされていた。

だが実戦の場において最も高い殺傷能力を発揮したのは、居合、柔術、短刀などの合わさった総合武術として進化した天然理心流だった。多摩に道場を持つ天然理心流には、当地域出身の門弟が多く集まった。多摩の民には、「自分たちは幕府に直接米を献上する『天領』の住人だ」という意識が根付いており、「幕府を守る」という明確な目的のもと、剣術も殺人術として独自の進化を遂げた。

沖田の必殺技として有名な「三段突き」は、3回の突きが1回に見えるほど素早かったと言われるが、確実に相手を仕留めるため、身体を鍛え上げていたからこそ成しえた技だ。

250年間戦争が起こらなかった江戸時代。平和ボケした空気の中で、剣術は”武士のたしなみ”程度にしか考えられていなかった。そんな時代に唯一、新選組の結成メンバーは実戦を想定した剣術を学んでいたのだ。彼らが後世にまで語り継がれるほど活躍したのは、天然理心流のおかげとも言えよう。

武田鉄矢 ʼ49年生まれ。芸能界屈指の坂本龍馬ファン。12月30日放送の時代劇専門チャンネル『小河ドラマ 龍馬がくる』で龍馬を演じる
照英 ’74年生まれ。NHK大河ドラマ『新選組!』では、その体格の良さと大らかなイメージを生かし、怪力隊士・島田魁を熱演した
山村竜也 ʼ61年生まれ。歴史作家、時代考証家。幕末維新史に造詣が深く、NHK大河ドラマ『新選組!』『龍馬伝』などで時代考証を担当
  • 写真濱崎慎治、霊山歴史館、土岐三雄/アフロ、共同通信社

Photo Gallary8

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