パワースポット? 青森の奥地におキツネ様が集まる秘境があった | FRIDAYデジタル

パワースポット? 青森の奥地におキツネ様が集まる秘境があった

「千体きつね」のある高山稲荷神社を訪ねて

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役目を終えたおキツネ様が集まる地

世の中には「捨てづらいモノ」というのがある。

お守りやお札のたぐいはその筆頭だと思う。少なくとも私はかなり迷う。色あせたお札を手に、さすがに神様ももう見てないだろうな~とは思っても、さすがにゴミ箱に捨てたらむっとするんじゃないかしら、とか恐れおののいてしまう。

神社には不要になったお札を納める「お焚き上げ所」があるが、瀬戸物とかどうするのだろう、と常々思っていた。だから、青森に「役目を終えたおキツネ様が集まる地」があると聞いて、ぜひ行ってみたいと思ったのだ。

青森県五所川原駅から車で約40分。周囲に平坦な田畑が続く中をひたすら走ると、巨大な一の鳥居が突然現れた。その横には錆びた農機具と覆いが剥がれたビニールハウスだけがうち捨てられ、まるで農家の敷地ににゅっと生えたかのようだ。

鳥居をくぐっても、店一軒見当たらない。鬱蒼としたクロマツ林の中の一本道をゆくと、二ノ鳥居と巨大な社務所、車寄せに着いた。青森県で最大の社、高山稲荷神社である。

とにかく大きい鳥居
とにかく大きい鳥居

この神社は不思議な地形をしている。ここまで40分、遙か先まで見渡せる地を走り、広々と整地された社務所に着くが、出迎えてくれた権禰宜・松橋浄嗣氏に従って左手に進むと、階段が現れ、本殿に続く小高い山へと至るのだ。山の上からは、すぐ下に社務所が見え、そして遙かに七里長浜と日本海が遠望できる。あと少しで日本海に到達するという場所にもかかわらず、国道は高山稲荷神社で終わり、ここから先はつながっていない。

神社に向けて走ってきている時には、そんな山があることなどまるでわからなかった。社務所に至っても、まだ、この神社は広い平原の中にあるとばかり思っていた。高山稲荷社とその裏の敷地だけが人々の視線から隠されたように高く浮き、美しい庭園と神社があり、日常から切り離されている……そう、まるで桃源郷のようなのだ。

広い車寄せの左手にある参道。ここから本殿へと至る階段を上がっていく
広い車寄せの左手にある参道。ここから本殿へと至る階段を上がっていく
本殿の先に広がる池と長く続く鳥居。この風景が観光客に人気
本殿の先に広がる池と長く続く鳥居。この風景が観光客に人気

なぜおキツネさまが集まったのか?

高山稲荷神社の創建は鎌倉から室町頃とされているが、本殿に祀られているお稲荷様にも不思議な伝承が残っている。

元禄時代。「忠臣蔵」で知られる赤穂事件の際、赤穂城内に祀られていたお稲荷様が、「寺坂三五郎」という藩士の手で密かにここにもたらされたというのだ。松橋氏が言う。

「なぜ中国地方の赤穂藩の藩士がこんな北の果てへ、と思うかもしれません。実は、津軽藩ではかねてより赤穂藩がお抱えとしていた軍学者・山鹿素行を招聘しようとして果たせず、素行の子息を招いて家臣としていました。そのため藩お取り潰しの際に幕府を憚りつつ、ここまでお稲荷様を抱えてきたとされています」

ちなみに吉良上野介邸に討ち入った赤穂浪士で唯一生き残って離脱したのは「寺坂」吉右衛門。果たして三五郎は寺坂吉右衛門その人だったのか、あるいは縁者か? 想像の種が膨らむ言い伝えである。

高山稲荷神社・権禰宜の松橋氏。本殿の前に安置されているおキツネ様の前で
高山稲荷神社・権禰宜の松橋氏。本殿の前に安置されているおキツネ様の前で

松橋氏が続ける。

「お稲荷様というのは、江戸時代に全国的に大変流行った神様なんですね。五穀豊穣、商売繁盛、家内安全……そんなことで信仰されました。私どもも同じですが、ちょっと変わったといいますか、独特なのが“憑きもの落とし”の祈祷に来られる方が多いことです。

 

津軽のこのあたりでは、何かよくないことが続けて起きたときなどに祈祷や占いを行う“ゴミソ”と呼ばれる方々がいます。恐山のイタコさんのような人たちといったらいいでしょうか。イタコさんのようにホトケおろしをしたりはしませんし、外見はごく普通の女性ですが、悪いことが続いたり健康を損ねたりしたとき、人々はゴミソさんに相談するんです。

 

すると、高山稲荷神社に行って落としてもらいなさい、とアドバイスされることが多いらしい。うつなど心の病で悩んでいる方々もおられますので、そういう人たちにはお医者様にも行かれますように、とお伝えしたうえで、悩みなどをお聞きして憑きもの落としの祈祷をします」

さて、本題である“おキツネ様の終の棲家”のことについて聞いてみた。

「江戸時代に流行したお稲荷様信仰のため、この地方では家の庭やあるいは村内の敷地などに安置していたおキツネ様像がたくさんあったんです。ところが家族が世代交代し、家を改築したりしていくなかで、おキツネ様像を安置していた祠を取り壊し、さらには像そのものの取り扱いに困る人たちが増えてきた。そこで、誰いうともなく、こちらにおキツネ様像が持ち込まれるようになったんですね。明治の頃からだと聞いておりまして、私が奉職した時にはもう今のように敷地にたくさん並んでいました。

 

いまでも年に1~2体は持ち込まれていて、私どもで魂を抜く儀式を行ってから、敷地内に置いていってもらいます。県内のものがほとんどですが、秋田や岩手など東北各県からも持ってこられる方はいます。場所については鳥居を渡った敷地の空いているところであれば、ご自由にしていただいていますが、かなりいっぱいになってきましたので……」

山裾の敷地にずらりと並んだ「元」おキツネ様の像。摩耗具合も大きさも表情も千差万別
山裾の敷地にずらりと並んだ「元」おキツネ様の像。摩耗具合も大きさも表情も千差万別

松橋氏に案内してもらった。本殿を過ぎ、同社の“観光スポット”である竜神池をめぐる「千本鳥居」をくぐっていく。千本鳥居はまだ拡張中で、いずれ屏風山の敷地をぐるりと巡るようにしたいと構想中なのだとか。

その華やかな千本鳥居の先にひっそりと、おびただしい「おキツネさま」像が鎮座していた。同社が建てている千本鳥居とあわせ、終の棲家を見つけた「元御稲荷さん」たちは、いついうともなく「千体きつね」といわれるようになった。ちなみに「千体」はたくさん、という意味で、実際のところは200体ほどだ。

神社としては「魂を抜いたものですから、拝むものではありません」というが、これだけ集まっていると、やはりなんとも不思議な気持ちになった。

もしかしたら役目を終えたおキツネ様たちが、桃源郷の時を止めているのかもしれない。

高山稲荷神社/青森県つがる市牛潟町鷲野沢147−1 TEL:0173-56-2015

  • 取材・文・撮影花房麗子

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