ラグビーに救われた男が、地元沖縄ではじめた「恩返し」

藤島大『ラグビー 男たちの肖像』

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「ワル中のワル」を変えた恩師

3月の沖縄北部。昼は暑く、夜はそれなりに冷える。そして、この人のハートは年間を通して灼熱だ。

銘苅信吾。31歳。名護の「デイゴラグビースクール」代表である。昨春に帰郷するまでは東京・杉並のワセダクラブを指導、早稲田大学のコーチも務めた。

本年2月、名護市の地域移動講座として「タグラグビー」をある小学校で教えた。タックルなしのルール、老若男女がプレーできる。途中で教員の許可を得て、負傷者のないよう注意を払いながら「ミニラグビー」に切り替えた。こちらは体と体をぶつけ合う。

「みんな、ミニが楽しかったと。非日常はおもしろい。普通、ぶつかると叱られるのにラグビーではほめられる。言葉だけでなく肌と肌でコミュニケーションを交わす。するとコーチにも心を開いてくれる。男の子だけでなく、何人かの女の子がラグビーをこれからも続けたいと言ってくれました」

事情があって親元を離れている子どもたちがどんどん声を出した。やはりラグビーには人間の心を変える力がある。本稿主人公こそはそのことをよく知っている。

名護は羽地(はねじ)の出身。地元中学では「ワル中のワル」で鳴らした。3年春、登校もしなくなる。そこへラグビーが降ってきた。

恩師、松本優一郎。名護高校のフォワード出身の社会科教員である。「信吾、放課後のラグビーにだけは出てこい」。不良とくくられる連中、不登校の傾向のある生徒らを集めて課外活動で楕円球を追わせた。

6月。市外の中学に大敗する。記憶では「0対60くらい」。無理もない。正式なクラブ活動というより「帰宅部選抜の同好会」。身体能力が高いのは「僕ひとりでした」。

夏休み。松本教諭は自身の休日をすべてつぶして校庭に立った。サッカーや野球などの公式活動を7月に終えた3年のスポーツ自慢も加わる。目標は12月の大会だ。

「そのころにはラグビーが好きになって。どうしても勝ちたかった」

決勝。同じ相手に半年前のスコアを反転させて優勝を遂げる。12月、1月、柄にもなく塾に通って「中学1年の勉強からやり直した」。県立名護高校ラグビー部にあこがれて進学したくなったのだ。

入学のころの成績は悪くない。われながら集中力はあった。合格。ラグビー部へ。人生は変わった。と書きたいところだが、もういっぺん波は立つ。高校2年の秋。学校がおもしろくない。退学しよう。平日の昼、自宅でサボっていると、ラグビー部の宮城博監督がいきなり自動車でやってくる。「信吾、乗りなさい」。ハンバーガーのチェーン、A&Wへ。明るい店内にふさわしくない言葉は暗く静かに発せられた。

「学校もラグビーもやめるなら、クルマでそこの海に突っ込んで一緒に死ぬか」

びっくりした。

「迫力があった。頭が真っ白になりました」

「チームは自然とできるもの」

翌日、教室とグラウンドへ戻った。こんどは本当に人生が変わった。3年で主将、花園出場を果たし、体育教員を志して、国際武道大学へ進んだ。ラグビー部ではセンターで副キャプテン、千葉・勝浦のキャンパスで青春を送り、学窓を出ると、ラグビースクールなどを運営する特定非営利活動法人のワセダクラブで働く。事務局の仕事をしながらスクールのコーチへ。最初に担当した小学1年チームを原則一貫指導、6年生で全国大会のヒーローズカップ3位となった。

2012年度には早稲田のラグビー部コーチへ招かれる。異例の他大学出身。3シーズン後にはヘッドコーチの重責も担った。

「松本先生、宮城先生は本気でその人のことを考えてくれた。チームをつくるんではなしに個人に愛情を注ぐ。ひとりに向き合うことでチームは自然にできるのだと学びました」

現在、デイゴラグビースクールに通う少年少女は約50人。小学低学年は週2日、高学年が同3日、中学生は同5日、芝を駆け回る。

東京の同年代と違いますか?

「かわいらしさはまったく同じ。ただ、ここの子どもたちはコーチや親のことを気にしない。すぐに子どもだけの世界ができる。問題が起きても、その中で解決してしまう」

活動は順調だ。先日の「やんばるセブンス」大会出場の中学生チームには、可能性に満ちた逸材がひしめいていた。

「低学年の子どもも楽しんでいるからもっと活動日を増やして、という要望も届きますが、この年代は友だちと外で遊び、習い事や他のスポーツをしたほうがよい」

中学時代の即席ラグビー部、「なぜかはわからない」のだが、活発な自分とまるで反対の「おとなしい不登校組」を嫌いにはなれず、奇妙な親近感を抱いた。いま思えば、それはコーチの資質だった。

救われ、学んで、みずから伸びて、他者を伸ばした。この3月16日。盛大な結婚披露宴が恩納村で催された。「銘苅信吾・里奈」を祝いたくて全国から300人が出席。母校や早稲田のラグビー人、ワセダクラブの同志、妻の励んだ琉球舞踊の関係者、多様、多彩な人々がテーブルを埋めた。一角、突風に微動だにせぬパンチパーマの6人が。あのころの仲間だ。いい顔をしていた。

※この記事は週刊現代2019年4月6日号に掲載された連載『ラグビー 男たちの肖像』を転載したものです。

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  • 藤島大

    1961年東京生まれ。都立秋川高校、早稲田大学でラグビー部に所属。雑誌記者、スポーツ紙記者を経てフリーに。国立高校や早稲田大学のラグビー部のコーチも務めた。J SPORTSなどでラグビー中継解説を行う。著書に『ラグビーの世紀』(洋泉社)、『知と熱』(文藝春秋)、『スポーツ発熱地図』(ポプラ社)、『ラグビー大魂』(ベースボール・マガジン社)など

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